16話 ひび割れた鏡のかけら
そう、俺はブオーンを倒し騎士団長にまで上り詰め。リゼッタという綺麗な女魔法使いと女騎士アオイとともに、レッドドラゴンを打ち倒す滅茶苦茶カッコいい男。
「そうだ、それでいい」
レッドドラゴン討伐後。俺はリゼッタと結婚し、何人か子供をもうけ、幸せに暮らした。
――そうだっけ?
金髪の髪の男の子が2人と、女の子が1人。しょうらいはりっぱなきしになるんだ、とはしゃぐこどもたち。
そしてふたりは、なかよくくらしましたとさ。
めでたしめでたし。
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――そんなはずはない。
何かがおかしいようだった。歯車が軋むような、不快な音を立てている。
俺の目の前では、騎士団長になった俺の無双する姿が映されている。戦場をグリフォンで駆け、真紅の鎧を身に着けて幾千の敵をなぎ倒していくその姿は、まさに俺が夢見た姿だった。
それは、ともすれば、ずっと見ていたいものだったが、どこか空虚なもの悲しさを感じた。
何故か。俺にはその記憶がないからだ。
何か変だ。体が宙に浮いている感じがする。
ここは、どこだ?
左腕には、銀の腕輪。そうだ、俺は腕輪を取り返しに来たんだ。
居心地のいいようで、不気味な不自然さを感じる空間。
映像から目を離すと、周りはオレンジや青、緑などの何色もの絵の具をぶちまけたようなマーブル色で満たされていた。
「リゼ! アオイ! どこだ!」
叫んでも返事はない。この空間自体が閉鎖されているかのような……そんな感じを受けた。
ひたすらに、もがく。
空間の中を泳いでいると、裸の金髪少女の姿を見つけた。
リゼは、空間の中を胎児のようにうずくまって漂っている。そのまぶたは、固く閉じられていた。
「リゼ! 目を覚ませ!」
俺は声をかける。しかし、声は届かない。リゼも同じように、夢を見せられているのだろうか。
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「むかしむかし、あるところに」
優しい声が、私を包む。大好きなお母様の声。すべてを包み込んでくれるような、優しい声。
「リゼは本当に、このお話が好きだねぇ」
大好きな、勇者様のお話。すごい力と、勇敢で優しい心を持つ勇者様が、悪いドラゴンを倒すお話。
――うん、大好き!
「じゃあ、何度でも読んであげよう」
そう答えると、お母様はぐんにゃりと歪み、映像は切り替わる。
「さあ来いドラゴン! ジーハ村とわたしの娘には指一本触れさせないよ!」
ジーハ村の近く、お母様がドラゴンを前にしている。
――何をするの、やめて。
大魔法使いであったお母様は、村の近くに出現したレッドドラゴンを相手に杖を向け、呪文を詠唱している。
「
幾多の雷が、ドラゴンを包み込む。ドラゴンも、負けじと火を吹いて応戦する。
直後、お母様が火炎に包まれる。
――やめて!
願いむなしく。お母様は、私の目の前で倒れた。
――ああ、この世に勇者がいたのなら。どうか、お母様を助けてほしかった。
映像がねじまげられる。大蛇、マッドスネークが、ジーハ村で私を襲ってくる記憶。
この大蛇に対抗できる魔法を、私は学んでこなかった。
……バカだな、私。
一気に飲み込まれたら、痛くないのかな。この村で生まれ、この村で終わる。私の人生ってなんだったんだろう。
大蛇の牙が、私に向かってくる。
――ああ、この世に勇者がいたのなら。どうか……私の運命を変えてください。
全てを諦めかけた、その瞬間。
強い光とともに、映像が割れて、力強い手が差し伸べられる。その手は、何度も見たことがある銀の腕輪を着けた腕。私はその腕に手を伸ばすと、その手は、強く握りしめられた。
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「リゼ! 起きろ!」
俺がうずくまっているリゼに手を伸ばすと、リゼの体には薄桃色の魔法使いの服が浮かび上がってくる。
「ソウタ……様?」
マーブル色空間で、リゼの体が、ゆっくりと真っ直ぐになっていく。
「そうだ、俺が勇者ソウタ様。忘れたか?」
「忘れるわけ……ないじゃないですか」
よし、顔色は悪いが、記憶は混濁していないみたいだ。俺はリゼを引き寄せると、マーブル色空間の周囲を見回す。
そして、はるか上方にある鏡のような物体を見つけた。おそらく、あれが出口だ。
「いやな……夢を見ました」
リゼは少し顔色が悪そうだ。
「リゼも夢を見てたのか、まあいい。ここを早く出るぞ」
「は、はい!」
俺は右手で腕輪を起動し、武器を召喚する。
【R】鎖鎌
鎖分銅のついた、草刈り鎌。俺は分銅のついた方の長い鎖をぶん回し、上方の鏡に投げつける。ひっかかった。それを支えに、リゼを抱き寄せて空間を登っていく。
俺の腕の中のリゼは、先ほどまでとは違って安心したような様子だ。
鎖を手繰りよせ、空間の最上部まで着くと、俺たちは、鏡の中から外に出た。
盗賊団アジトの最奥の部屋。象男ブオーンと盗賊3人が、高らかに笑っている。
盗賊団のボス、象男ブオーン。その手には宝石が装飾された鏡が光っていた。
「ぶはははは! こいつはお笑いだぜぇ。今魔法鏡の中で夢でも見てるんだろうな」
「貴様! ソウタとリゼに何をした!」
アオイは拳を握りしめ、歯ぎしりしている。戦っている最中、トールハンマーを見たブオーンが何かを取り出し、近くにいたソウタとリゼは、まるで意志が奪われたかのようになり、ブオーンの前で膝から崩れ落ちた。
「この鏡を向けられた者は、みんな夢に囚われてしまうのさぁ」
鼻の下の口を開く象面。狡猾さを窺わせる、ねっとりとした視線がアオイに向けられる。
「マジックアイテム収集癖も、役に立つだろぉ?」
「だから勝てないって、言ったんだ……」
ブオーンの近くにいたクレアは、肩を落とし、しゃがみ込む。その目には、絶望の色。
――しかし、その直後、魔法鏡は光り出した。魔法鏡の中から外へ向けて、強い光が放たれる。
「な、なんだぁ?!」
そして、ブオーンの目の前に倒れていた二人が、ゆっくりと動き出す。
目を覚ました二人は、銀の腕輪の少年と、金髪の魔法使い。
「ソウタ! リゼ!」
「なぁにぃ!?」
二人は、鏡の呪縛を破った。
俺は、再びブオーンと対峙する。おそらく、トールハンマーを振りかぶった瞬間から幻術にかかっていたのだ。あの時、ブオーンの手元で何かが光っていたのを覚えている。
今、ブオーンの片手には、魔法の鏡が握られている。
「てめえ、よくも変な世界に閉じ込めてくれたな」
「ふん、幻術を破ったか。こざかしいガキだなぁ」
ブオーンは鏡を床に投げ捨てたかと思うと、双剣を引き抜いた。俺は言い返す。
「こざかしいのはお前だ、正々堂々と戦え」
腕輪を起動し、武器ガチャを引く。召喚するが、何もエフェクトがない、Rか。だがやることは変わらない。
【R】ソードブレイカー
その短剣は、一見すると普通の剣のようだったが、刃の部分には凶悪な櫛状の峰が無数についていた。敵の武器を破壊するための武器。銀の刀身の切っ先は鋭い。これならば、奴の双剣に対抗できそうだ。
「ソウタ様、攻撃が来ます!」
「ぶふぅん!」
ブオーンの体重を十分に乗せた、二つの短剣での時間差による重撃。おかしな象の顔をしているが、こいつの実力は本物だ。俺は、二つの短剣を、ソードブレイカーで受ける。
ガキン! ソードブレイカーの峰に双剣が挟まれ、がっちりと嵌っている。俺はその双剣の刃をひねるように、手首を回転させる。
バキィ! という音がしたかと思うと、ブオーンの双剣は砕け散った。
やったか!? と思った次の瞬間。ブオーンが懐から繰り出してきたのは、予備の鉄の短剣だった。ブオーンは薙ぎ払うように短剣を振ってくる。その巨体からでは、短剣でもリーチは十分。
「ガキがぁ! 死ねぇ!」
再びソードブレイカーを盾にして受ける。巨体からの遠心力が乗った一撃は、それぞれが重い。素早さも十分だが、予備動作が大きい。しかし、アオイの居合に比べれば、蝶が止まるようなスピードだ。
ブオーンは今度は折られまいと、短剣を手数で繰り出してくる。数々の連撃は、完全に避けきれるものではなかった。
俺は傷口が徐々に増えていく。ソードブレイカーと鉄の短剣は、それぞれに火花を散らし、競り合っている。
「もうちょっと……」
あと少し。腕輪の再起動は、もうすぐだ。
「ちょこまかと、すばしっこい奴だぁ、やっぱり前世はネズミだったのかぁ?」
「あいにくと、前世も人間だったん……でね!」
ソードブレイカーを渾身の力で振り下ろし、ブオーンがそれを短剣で受けたのを確認すると、俺はその隙にアオイとリゼの様子をうかがう。
アオイは、既に盗賊3人のうち2人を倒している。あと一人も、ほとんど抵抗の気力が残っていないようだった。よし、これなら。
「リゼ、次の武器にエンチャント
「は、はい!」
リゼが答えると、腕輪を再起動し、武器を召喚した。
腕輪から生まれるのは、光輝く金色。SRの確定演出。
【SR】ヘカトンケイル
巨人の腕。グローブのような形状の一組のそれは、拳にクワガタの牙のように二本、金属部分が飛び出ていた。緑と黒の、格闘武器。俺はそれを装着し、ファイティングポーズを構える。
「エンチャント
リゼが曲がりくねった杖をグローブへかざす。すると、ヘカトンケイルは風のヴェールに包まれた。
双拳ならば、奴の手数を上回ることができるはず。ブオーンは雄たけびを上げる。
「どんな武器か知らねえがぁ、オレを舐めるんじゃねえぇ!!」
のしのしと向かってきたブオーンが短剣を振るより早く、まずは顔面に右フック。心地のよい打撃音が、部屋に響く。
「ぐぉぉ……!」
象面の横っ面にしたたかに打ち付けられ、唸り声を上げるブオーン。風のヴェールが、風圧を発生し、さらに威力が増している。
体勢を立て直す前に、下から踏み込んで左腕を上に向かって振りぬくアッパー。破裂音のような音が響き、象面が大きく振動し、長い鼻が振り子のように揺れた。
「ぶ、ぶっ殺すぅ!」
連撃を許さないかのように、ブオーンは短剣の突きで反撃してくる。
――この瞬間を待っていた。
上体を前に屈め、ダッキングの要領で短剣をかわす。そしてお見舞いするのは、顔のど真ん中に、渾身の。
「だぁぁりゃああ!!」
右ストレート。
膨らませた小麦粉の袋を、そのまま押し潰したような鈍い音。風の勢いが乗った打撃は、2メートルは超えるだろう大男を、見事に吹っ飛ばした。
そして、その勢いのまま、ブオーンは部屋の玉座に激突し、ちょうど玉座にすっぽりとはまり込んだ。
「あ、がが……」
ブオーンは口から泡を吹き、ノックアウト状態だ。……もう動くことはないだろう。
ついに俺は盗賊団のボス、ブオーンを打倒した。両手のヘカトンケイルが消滅する。
部屋の隅の盗賊がいた方を見ると、アオイの方も戦闘が終わったようだ。刀を鞘に納め、こちらに近づいてくる。
「ふう、自分にしては手間取ってしまった」
その顔は、言葉に似合わず涼しそうだった。リゼが盗賊少女、クレアに近づいていく。
「クレアちゃん! 大丈夫ですか」
クレアは、小柄な体を震わせ、大きな目を見開いて座り込んでいる。
「そんな……ボクの仇がブオーンだったなんて……ボクは、仇の仲間になっていたんだ」
自分の体を抱きしめ、その目には、大量の涙の粒が溢れている。
「ボクは馬鹿だ。大馬鹿だ……」
「クレアちゃん……」
やりきれない後悔と、取り戻せないものを噛み締めるかのように、クレアは、嗚咽していた。
それを見ていた俺は、クレアのそばに歩いていく。姿勢を低くしてしゃがみ込み、クレアと目を合わせる。
「馬鹿なことは誰だってする。問題はそれを取り返せるかだ」
過去の怠惰に、無様に過ごしていた、あの日々。あの時の俺とはもう違う。この少女に対しても、できることがあるはずだ。
「ボク……自分が許せない。どうすればいい、教えてよ……」
初めて会ったときの、あの威勢のいい少女の姿はなく、そこには、全ての支えを失った少女がいるだけだ。
俺は両手でクレアの顔をこちらに向ける。そして、真っ直ぐ見つめて言ってやる。
「与える側になればいい」
「え……?」
涙をぬぐっているクレアが、こちらに顔を向ける。
「誰かに自分を与えられれば、自分の奪ってきたものへの贖罪になる。それは自己満足かもしれない。だけど何もしないよりはましだ」
俺はリゼやアオイにたくさんのものを貰った。そして、これからもお返しをしたい。あのセントラでのリゼへの突然のプレゼントも、自己満足だったかもしれない。だけど、リゼは喜んでくれたんだ。
「……でもボクだって優しくされなかった! 何も貰ってないのに、なんで与えなきゃいけないんだ……」
「じゃあ、俺がこれから優しくしてやる。めちゃくちゃ甘やかしてやる」
ぐりぐりと、乱暴に頭を撫でまわす、小動物のように。
「そんで、返す気になったらでいい。与えられた分、少しずつ別の誰かに返すんだ」
「……」
クレアは黙ってしまった。幼い少女が納得するのには、まだ時間が必要なのだろう。
さて、こんな所に長いこといるわけにもいかない。そう思っていると、アオイが話しかけてくる。
「あとの処理は騎士団のほうでやっておく。ソウタ、脱出するぞ」
アオイが部屋の奥の通用口を指さすと、俺たち3人は、クレアを連れてアジトの外に出た。
双子岩の正面の一角に通用口の出口が通じていた。岩を模した扉を開けると、外の日はとっくに暮れている。
「クレアの処遇については、私も善処しよう」
アオイはそう約束すると、クレアとともに先にセントラへ戻っていった。
残されたリゼと俺は、夕暮れの双子岩をバックに、街道の分かれ道に立ち尽くしている。
「なんか大仕事終わったって感じだな、この調子でモンスターでも倒しに行くか」
俺が冗談で何の気もなしにそう言うと、リゼはふいに呟いた。
「ソウタ様なら、ドラゴンにも果敢に挑むんでしょうね」
ドラゴン? 確かに酒場の女戦士もブオーンも、その首を狙っているようだ。一攫千金と聞いて、リゼが反応していた記憶がある。
「一攫千金の話か? リゼって結構守銭奴?」
からかうつもりで言ったのだが、リゼの目は真剣だった。
「ごめんなさい、あの時は、たきつけるために言ったんです。伝説の勇者様が来たなら、ドラゴンも倒してくれるって、そう思っていたんです。今となっては浅はかな考えでしたけど。だから、違います」
違う? 何が違うというのだろうか。リゼは、夕焼けの中で金髪の横髪をかき上げた。
「私、本当はドラゴンが怖くて仕方ないんです」
そんな。女戦士との会話で、あんなに目を輝かせていたリゼが?
――いや、それこそ違う。あの時の会話で目を輝かせていたのは女戦士だ。俺は女戦士の顔に気を取られて、その時のリゼの表情がどんなものだったか見ていない。
つまり、鏡の世界でリゼが見せられていた悪夢というのも……おそらくドラゴンのことだ。
「ドラゴンは、私の母を殺しました。だから正直、憎んではいます」
「……そうか」
衝撃の事実に、俺は相槌を打つことしかできずにいた。
「でも……覚えておいてください、ドラゴンは、ソウタ様でもきっと無理です。死んでしまいます。大魔法使いでも……無理、でしたから」
「なんで、そんな話を俺にする?」
リゼは俯いて、静かに呟いた。
「ソウタ様に、死んでほしくないからです。あなたはどこまでも進んでいくから、きっといつか……絶対にドラゴンにも、たどり着きます。それが……怖いんです」
リゼの金色の目には、強い悲しみが込められている。それは、もう大切な人を失いたくないという意志。
このままいけば、俺はいつかドラゴンと戦うことになるだろう。その時の腕輪の運がいくらよかったとしても、ドラゴンには勝てないかもしれない。
俺は、リゼに向き直った。
「じゃあ、これからやることは決まったな」
リゼの顔が、少し前を向く。セントラ南方の平原には、そよ風が吹いている。俺の答えは、決まっていた。
リゼが、この世界で最初に出会った大切な人が困っていたら。俺はどうするべきなのか。強力であり貧弱な力――召喚腕輪を持つ勇者は、大切な魔法使いに何をするべきなのか。
その回答を、俺は持っている。
「ドラゴンを、倒しに行こう」
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