16話 ひび割れた鏡のかけら

 そう、俺はブオーンを倒し騎士団長にまで上り詰め。リゼッタという綺麗な女魔法使いと女騎士アオイとともに、レッドドラゴンを打ち倒す滅茶苦茶カッコいい男。


 「そうだ、それでいい」


 レッドドラゴン討伐後。俺はリゼッタと結婚し、何人か子供をもうけ、幸せに暮らした。


 ――そうだっけ?


 金髪の髪の男の子が2人と、女の子が1人。しょうらいはりっぱなきしになるんだ、とはしゃぐこどもたち。


 そしてふたりは、なかよくくらしましたとさ。

 

 めでたしめでたし。


■□■□■□■□■□■□■□■□


 ――そんなはずはない。


 何かがおかしいようだった。歯車が軋むような、不快な音を立てている。


 俺の目の前では、騎士団長になった俺の無双する姿が映されている。戦場をグリフォンで駆け、真紅の鎧を身に着けて幾千の敵をなぎ倒していくその姿は、まさに俺が夢見た姿だった。


 それは、ともすれば、ずっと見ていたいものだったが、どこか空虚なもの悲しさを感じた。


 何故か。俺にはその記憶がないからだ。


 何か変だ。体が宙に浮いている感じがする。


 ここは、どこだ?


 左腕には、銀の腕輪。そうだ、俺は腕輪を取り返しに来たんだ。

 

 居心地のいいようで、不気味な不自然さを感じる空間。


 映像から目を離すと、周りはオレンジや青、緑などの何色もの絵の具をぶちまけたようなマーブル色で満たされていた。


「リゼ! アオイ! どこだ!」


 叫んでも返事はない。この空間自体が閉鎖されているかのような……そんな感じを受けた。


 ひたすらに、もがく。


 空間の中を泳いでいると、裸の金髪少女の姿を見つけた。


 リゼは、空間の中を胎児のようにうずくまって漂っている。そのまぶたは、固く閉じられていた。


「リゼ! 目を覚ませ!」


 俺は声をかける。しかし、声は届かない。リゼも同じように、夢を見せられているのだろうか。


■□■□■□■□■□■□■□■□


「むかしむかし、あるところに」


 優しい声が、私を包む。大好きなお母様の声。すべてを包み込んでくれるような、優しい声。


「リゼは本当に、このお話が好きだねぇ」


 大好きな、勇者様のお話。すごい力と、勇敢で優しい心を持つ勇者様が、悪いドラゴンを倒すお話。


 ――うん、大好き!


「じゃあ、何度でも読んであげよう」


 そう答えると、お母様はぐんにゃりと歪み、映像は切り替わる。



「さあ来いドラゴン! ジーハ村とわたしの娘には指一本触れさせないよ!」


 ジーハ村の近く、お母様がドラゴンを前にしている。


 ――何をするの、やめて。


 大魔法使いであったお母様は、村の近くに出現したレッドドラゴンを相手に杖を向け、呪文を詠唱している。


大雷撃アークボルト!」


 幾多の雷が、ドラゴンを包み込む。ドラゴンも、負けじと火を吹いて応戦する。


 直後、お母様が火炎に包まれる。


 ――やめて!


 願いむなしく。お母様は、私の目の前で倒れた。


 ――ああ、この世に勇者がいたのなら。どうか、お母様を助けてほしかった。


 

 映像がねじまげられる。大蛇、マッドスネークが、ジーハ村で私を襲ってくる記憶。


 この大蛇に対抗できる魔法を、私は学んでこなかった。


 ……バカだな、私。


 一気に飲み込まれたら、痛くないのかな。この村で生まれ、この村で終わる。私の人生ってなんだったんだろう。


 大蛇の牙が、私に向かってくる。


 ――ああ、この世に勇者がいたのなら。どうか……私の運命を変えてください。


 全てを諦めかけた、その瞬間。


 強い光とともに、映像が割れて、力強い手が差し伸べられる。その手は、何度も見たことがある銀の腕輪を着けた腕。私はその腕に手を伸ばすと、その手は、強く握りしめられた。


■□■□■□■□■□■□■□■□

 

「リゼ! 起きろ!」


 俺がうずくまっているリゼに手を伸ばすと、リゼの体には薄桃色の魔法使いの服が浮かび上がってくる。

 

「ソウタ……様?」


 マーブル色空間で、リゼの体が、ゆっくりと真っ直ぐになっていく。


「そうだ、俺が勇者ソウタ様。忘れたか?」


「忘れるわけ……ないじゃないですか」


 よし、顔色は悪いが、記憶は混濁していないみたいだ。俺はリゼを引き寄せると、マーブル色空間の周囲を見回す。


 そして、はるか上方にある鏡のような物体を見つけた。おそらく、あれが出口だ。


「いやな……夢を見ました」


 リゼは少し顔色が悪そうだ。


「リゼも夢を見てたのか、まあいい。ここを早く出るぞ」


「は、はい!」


 俺は右手で腕輪を起動し、武器を召喚する。


【R】鎖鎌


 鎖分銅のついた、草刈り鎌。俺は分銅のついた方の長い鎖をぶん回し、上方の鏡に投げつける。ひっかかった。それを支えに、リゼを抱き寄せて空間を登っていく。


 俺の腕の中のリゼは、先ほどまでとは違って安心したような様子だ。


 鎖を手繰りよせ、空間の最上部まで着くと、俺たちは、鏡の中から外に出た。



 盗賊団アジトの最奥の部屋。象男ブオーンと盗賊3人が、高らかに笑っている。


 盗賊団のボス、象男ブオーン。その手には宝石が装飾された鏡が光っていた。


「ぶはははは! こいつはお笑いだぜぇ。今魔法鏡の中で夢でも見てるんだろうな」


「貴様! ソウタとリゼに何をした!」


 アオイは拳を握りしめ、歯ぎしりしている。戦っている最中、トールハンマーを見たブオーンが何かを取り出し、近くにいたソウタとリゼは、まるで意志が奪われたかのようになり、ブオーンの前で膝から崩れ落ちた。


「この鏡を向けられた者は、みんな夢に囚われてしまうのさぁ」


 鼻の下の口を開く象面。狡猾さを窺わせる、ねっとりとした視線がアオイに向けられる。


「マジックアイテム収集癖も、役に立つだろぉ?」


「だから勝てないって、言ったんだ……」


 ブオーンの近くにいたクレアは、肩を落とし、しゃがみ込む。その目には、絶望の色。


 ――しかし、その直後、魔法鏡は光り出した。魔法鏡の中から外へ向けて、強い光が放たれる。


「な、なんだぁ?!」


 そして、ブオーンの目の前に倒れていた二人が、ゆっくりと動き出す。


 目を覚ました二人は、銀の腕輪の少年と、金髪の魔法使い。


「ソウタ! リゼ!」


「なぁにぃ!?」


 二人は、鏡の呪縛を破った。



 俺は、再びブオーンと対峙する。おそらく、トールハンマーを振りかぶった瞬間から幻術にかかっていたのだ。あの時、ブオーンの手元で何かが光っていたのを覚えている。

 

 今、ブオーンの片手には、魔法の鏡が握られている。


「てめえ、よくも変な世界に閉じ込めてくれたな」


「ふん、幻術を破ったか。こざかしいガキだなぁ」


 ブオーンは鏡を床に投げ捨てたかと思うと、双剣を引き抜いた。俺は言い返す。


「こざかしいのはお前だ、正々堂々と戦え」


 腕輪を起動し、武器ガチャを引く。召喚するが、何もエフェクトがない、Rか。だがやることは変わらない。


【R】ソードブレイカー


 その短剣は、一見すると普通の剣のようだったが、刃の部分には凶悪な櫛状の峰が無数についていた。敵の武器を破壊するための武器。銀の刀身の切っ先は鋭い。これならば、奴の双剣に対抗できそうだ。


「ソウタ様、攻撃が来ます!」


「ぶふぅん!」

 

 ブオーンの体重を十分に乗せた、二つの短剣での時間差による重撃。おかしな象の顔をしているが、こいつの実力は本物だ。俺は、二つの短剣を、ソードブレイカーで受ける。


 ガキン! ソードブレイカーの峰に双剣が挟まれ、がっちりと嵌っている。俺はその双剣の刃をひねるように、手首を回転させる。


 バキィ! という音がしたかと思うと、ブオーンの双剣は砕け散った。


 やったか!? と思った次の瞬間。ブオーンが懐から繰り出してきたのは、予備の鉄の短剣だった。ブオーンは薙ぎ払うように短剣を振ってくる。その巨体からでは、短剣でもリーチは十分。


「ガキがぁ! 死ねぇ!」


 再びソードブレイカーを盾にして受ける。巨体からの遠心力が乗った一撃は、それぞれが重い。素早さも十分だが、予備動作が大きい。しかし、アオイの居合に比べれば、蝶が止まるようなスピードだ。


 ブオーンは今度は折られまいと、短剣を手数で繰り出してくる。数々の連撃は、完全に避けきれるものではなかった。


 俺は傷口が徐々に増えていく。ソードブレイカーと鉄の短剣は、それぞれに火花を散らし、競り合っている。


「もうちょっと……」


 あと少し。腕輪の再起動は、もうすぐだ。


「ちょこまかと、すばしっこい奴だぁ、やっぱり前世はネズミだったのかぁ?」


「あいにくと、前世も人間だったん……でね!」


 ソードブレイカーを渾身の力で振り下ろし、ブオーンがそれを短剣で受けたのを確認すると、俺はその隙にアオイとリゼの様子をうかがう。


 アオイは、既に盗賊3人のうち2人を倒している。あと一人も、ほとんど抵抗の気力が残っていないようだった。よし、これなら。


「リゼ、次の武器にエンチャントウインドを頼む!」


「は、はい!」


 リゼが答えると、腕輪を再起動し、武器を召喚した。


 腕輪から生まれるのは、光輝く金色。SRの確定演出。


【SR】ヘカトンケイル


 巨人の腕。グローブのような形状の一組のそれは、拳にクワガタの牙のように二本、金属部分が飛び出ていた。緑と黒の、格闘武器。俺はそれを装着し、ファイティングポーズを構える。


「エンチャントウインド!」


 リゼが曲がりくねった杖をグローブへかざす。すると、ヘカトンケイルは風のヴェールに包まれた。


 双拳ならば、奴の手数を上回ることができるはず。ブオーンは雄たけびを上げる。


「どんな武器か知らねえがぁ、オレを舐めるんじゃねえぇ!!」


 のしのしと向かってきたブオーンが短剣を振るより早く、まずは顔面に右フック。心地のよい打撃音が、部屋に響く。


「ぐぉぉ……!」


 象面の横っ面にしたたかに打ち付けられ、唸り声を上げるブオーン。風のヴェールが、風圧を発生し、さらに威力が増している。


 体勢を立て直す前に、下から踏み込んで左腕を上に向かって振りぬくアッパー。破裂音のような音が響き、象面が大きく振動し、長い鼻が振り子のように揺れた。


「ぶ、ぶっ殺すぅ!」


 連撃を許さないかのように、ブオーンは短剣の突きで反撃してくる。


 ――この瞬間を待っていた。


 上体を前に屈め、ダッキングの要領で短剣をかわす。そしてお見舞いするのは、顔のど真ん中に、渾身の。


「だぁぁりゃああ!!」


 右ストレート。


 膨らませた小麦粉の袋を、そのまま押し潰したような鈍い音。風の勢いが乗った打撃は、2メートルは超えるだろう大男を、見事に吹っ飛ばした。

 

 そして、その勢いのまま、ブオーンは部屋の玉座に激突し、ちょうど玉座にすっぽりとはまり込んだ。


「あ、がが……」


 ブオーンは口から泡を吹き、ノックアウト状態だ。……もう動くことはないだろう。


 ついに俺は盗賊団のボス、ブオーンを打倒した。両手のヘカトンケイルが消滅する。


 部屋の隅の盗賊がいた方を見ると、アオイの方も戦闘が終わったようだ。刀を鞘に納め、こちらに近づいてくる。


「ふう、自分にしては手間取ってしまった」


 その顔は、言葉に似合わず涼しそうだった。リゼが盗賊少女、クレアに近づいていく。


「クレアちゃん! 大丈夫ですか」


 クレアは、小柄な体を震わせ、大きな目を見開いて座り込んでいる。


「そんな……ボクの仇がブオーンだったなんて……ボクは、仇の仲間になっていたんだ」


 自分の体を抱きしめ、その目には、大量の涙の粒が溢れている。


「ボクは馬鹿だ。大馬鹿だ……」


「クレアちゃん……」


 やりきれない後悔と、取り戻せないものを噛み締めるかのように、クレアは、嗚咽していた。


 それを見ていた俺は、クレアのそばに歩いていく。姿勢を低くしてしゃがみ込み、クレアと目を合わせる。


「馬鹿なことは誰だってする。問題はそれを取り返せるかだ」


 過去の怠惰に、無様に過ごしていた、あの日々。あの時の俺とはもう違う。この少女に対しても、できることがあるはずだ。


「ボク……自分が許せない。どうすればいい、教えてよ……」


 初めて会ったときの、あの威勢のいい少女の姿はなく、そこには、全ての支えを失った少女がいるだけだ。


 俺は両手でクレアの顔をこちらに向ける。そして、真っ直ぐ見つめて言ってやる。


「与える側になればいい」


「え……?」


 涙をぬぐっているクレアが、こちらに顔を向ける。


「誰かに自分を与えられれば、自分の奪ってきたものへの贖罪になる。それは自己満足かもしれない。だけど何もしないよりはましだ」


 俺はリゼやアオイにたくさんのものを貰った。そして、これからもお返しをしたい。あのセントラでのリゼへの突然のプレゼントも、自己満足だったかもしれない。だけど、リゼは喜んでくれたんだ。


「……でもボクだって優しくされなかった! 何も貰ってないのに、なんで与えなきゃいけないんだ……」


「じゃあ、俺がこれから優しくしてやる。めちゃくちゃ甘やかしてやる」


 ぐりぐりと、乱暴に頭を撫でまわす、小動物のように。


「そんで、返す気になったらでいい。与えられた分、少しずつ別の誰かに返すんだ」


「……」

 

 クレアは黙ってしまった。幼い少女が納得するのには、まだ時間が必要なのだろう。


 さて、こんな所に長いこといるわけにもいかない。そう思っていると、アオイが話しかけてくる。


「あとの処理は騎士団のほうでやっておく。ソウタ、脱出するぞ」


 アオイが部屋の奥の通用口を指さすと、俺たち3人は、クレアを連れてアジトの外に出た。


 双子岩の正面の一角に通用口の出口が通じていた。岩を模した扉を開けると、外の日はとっくに暮れている。


「クレアの処遇については、私も善処しよう」


 アオイはそう約束すると、クレアとともに先にセントラへ戻っていった。



 残されたリゼと俺は、夕暮れの双子岩をバックに、街道の分かれ道に立ち尽くしている。


「なんか大仕事終わったって感じだな、この調子でモンスターでも倒しに行くか」


 俺が冗談で何の気もなしにそう言うと、リゼはふいに呟いた。


「ソウタ様なら、ドラゴンにも果敢に挑むんでしょうね」


 ドラゴン? 確かに酒場の女戦士もブオーンも、その首を狙っているようだ。一攫千金と聞いて、リゼが反応していた記憶がある。


「一攫千金の話か? リゼって結構守銭奴?」


 からかうつもりで言ったのだが、リゼの目は真剣だった。


「ごめんなさい、あの時は、たきつけるために言ったんです。伝説の勇者様が来たなら、ドラゴンも倒してくれるって、そう思っていたんです。今となっては浅はかな考えでしたけど。だから、違います」


 違う? 何が違うというのだろうか。リゼは、夕焼けの中で金髪の横髪をかき上げた。


「私、本当はドラゴンが怖くて仕方ないんです」


 そんな。女戦士との会話で、あんなに目を輝かせていたリゼが?


 ――いや、それこそ違う。あの時の会話で目を輝かせていたのは女戦士だ。俺は女戦士の顔に気を取られて、その時のリゼの表情がどんなものだったか見ていない。


 つまり、鏡の世界でリゼが見せられていた悪夢というのも……おそらくドラゴンのことだ。


「ドラゴンは、私の母を殺しました。だから正直、憎んではいます」


「……そうか」


 衝撃の事実に、俺は相槌を打つことしかできずにいた。


「でも……覚えておいてください、ドラゴンは、ソウタ様でもきっと無理です。死んでしまいます。大魔法使いでも……無理、でしたから」


「なんで、そんな話を俺にする?」


 リゼは俯いて、静かに呟いた。


「ソウタ様に、死んでほしくないからです。あなたはどこまでも進んでいくから、きっといつか……絶対にドラゴンにも、たどり着きます。それが……怖いんです」


 リゼの金色の目には、強い悲しみが込められている。それは、もう大切な人を失いたくないという意志。


 このままいけば、俺はいつかドラゴンと戦うことになるだろう。その時の腕輪の運がいくらよかったとしても、ドラゴンには勝てないかもしれない。


 俺は、リゼに向き直った。


「じゃあ、これからやることは決まったな」


 リゼの顔が、少し前を向く。セントラ南方の平原には、そよ風が吹いている。俺の答えは、決まっていた。


 リゼが、この世界で最初に出会った大切な人が困っていたら。俺はどうするべきなのか。強力であり貧弱な力――召喚腕輪を持つ勇者は、大切な魔法使いに何をするべきなのか。


 その回答を、俺は持っている。




「ドラゴンを、倒しに行こう」

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