延長戦 第25戦:猪鹿蝶~静寂の中のクライマックス(後編)

 問題の日曜日――……。


 ごろごろとだらしなくもベッドに寝転がっていた牡丹だが、ちらりとスマホを眺め。けれど、直ぐにも顔を逸らさせる。いや、かと思いきや、ちらちらと何度も眺めては逸らさせて。一体何度繰り返されたことだろう。しかし、それから暫くの間、スマホに背を向けていた牡丹だが、一寸考えてから徐に手に取ると軽く操作し、そっと耳へと宛がえさせる。


 が、数回のコールの後、流れて来たのは予想通りか否か、丁寧な口調の機械的な音声であり……。


 牡丹は耳から外させると、無意識の内に通話を切り。ぼすんと枕に顔を埋めさせる。


 息苦しいのにも構わず、そのまま押し付け続け。



(電源が入っていないって、それってやっぱり映画館にいるからだよな。

 ……映画館、萩、紅葉……、)



 もう一度、牡丹は顔を強く枕に押し付けさせると、勢いよく身体を起こさせる。それからジャケットを手に取ると、羽織ながらも扉を開け放ち。ただ我武者羅に、足を動かす。


 無我夢中で走り続け。気付けば薄暗い中、牡丹は乱れた息をそのままに。



「紅葉、紅葉……。紅葉、紅葉――っ!!」



 一際声を張り上げさせると、何度目かの呼び掛けの後。すっ……と一つの人影が、とある箇所から朧気に立ち上がり。



「牡丹さん……?」


「紅葉……、帰ろう」


「え……。えっと……」



 その場所へ、牡丹は小走りで赴くと、驚きを隠し切れずにいる彼女には構わず手を伸ばす。


 けれど、その手前。ぐいと大きな影が間へと割り込み。



「なんだよ、牡丹。藪から棒に。もう映画は始まるんだ、今更来たって遅いんだよ。

 大体、紅葉さんは観たがっているんだ。それともなんだよ、お前も一緒に見るか? なんて、到底無理な話だろう?」


「うっ……、そ、それは……。

 とにかく帰ろう、紅葉」


「おい、邪魔する気かよ? お前はいつもそうやって……!」


「なんだよ、萩こそ! 大体、どうして紅葉なんだよ。映画を観に行くだけなら、別に紅葉でなくったって誰でもいいだろう」


「なっ……、誰でも良い訳ないだろう! ふざけんなよ、お前はどこまで鈍いんだ。紅葉さんのことが好きだから誘ったに決まっているだろう!」


「へっ。好きって……」



(好きって、萩が紅葉のことを……?)



 思いもしていなかった返答に、牡丹は一瞬躊躇するも直ぐに気を取り直し。二人の間には、ばちばちと激しい火花が飛び散り合う。


 けれど、突如割り込んで来たか細い声に。二人の視線は、同時にそちらへと向けられ。すると、紅葉の大きな瞳からはぽろぽろと、大粒の涙が流れていた。


 それを目にした瞬間、牡丹と萩は揃ってぎょっと口を開かせ。



「紅葉、どうしたんだよ!?」


「あの……、ごめんなさい、ごめんなさい……」


「なんで紅葉が謝るんだよ、紅葉はなにも悪くないだろう」


「ちがっ……。映画、本当は断るつもりで。だけど、待ち合わせ場所に行って萩さんの顔を見たら、言い出せなくなっちゃって。

 でも、ちゃんと断らないといけなかったのに。なのに。狡いって分かっていたけど、我が儘だって。自分で決めて言わないといけなかったのに、それでも、本当は、本当は……。牡丹さんに、行くなって。そう言ってもらいたかっ……」



 小さいながらも響き渡る嗚咽に、牡丹と萩は次第に冷静になっていく。それから、漸くじろじろと突き刺さるような視線の数々に気が付くと、二人は紅葉を連れてそそくさと劇場内から抜け出し。急に襲って来た眩さに、目を細めさせ。狭まった視界の中、頃良い所まで来ると、牡丹と萩、どちらからともなく足を止めさせる。


 数拍の間、無言の空気が流れるも、不意に萩が床を見つめながらも口を開かせていき。



「おい、牡丹。少し席を外せ」


「なんだよ、命令するなよ」


「いいから。少しは空気を読め」



 平常以上に強い口調の萩に、牡丹は渋々といった様子で二人の元から離れて行く。


 適当な所で立ち止まる彼を横目に、萩は跋の悪い顔を紅葉へと向けさせ。



「ごめんなさい、本当にごめんなさい……」


「いえ、そんなに謝らないで下さい。俺の方こそ済みませんでした。分かっていたのに、紅葉さんの気持ちを考えずに」



 ふるふると首を小さく横に振る紅葉に、萩はそれ以上なにも言わず。しっかりとした足取りでその場から離れていく。


 その足で牡丹の元へと赴き。彼の肩に、ぽんと軽く手を置き。



「紅葉さんのこと、ちゃんと家まで送ってやれよ」


「なんだよ。そんなこと、お前に言われなくても……」



「分かっている」と、言い切る前に。萩は既に背を向けており。


 その背中を黙って見送ると、牡丹は壁際で身を縮ませている紅葉へと視線を定めさせ――……。






 暗転。






「あの。送って下さって、ありがとうございました。もう、ここで大丈夫ですから」



 だいぶ落ち着いたのか。けれど、朱色に染まった目の周りは、あまりにも痛々しく。それでも頭を下げる紅葉に、牡丹は「そっか」と手短に答える。


 くるりと背を向け、踵を返そうとするも。数歩進んだ所で足を止めさせ、また向き直り。



「……あのさ。今度、観に行こうか」


「え? 行くって……」


「映画、台無しにしちゃったから。紅葉、観たがっていたじゃん。だから……」



 淡々と告げる牡丹に、けれど、紅葉はへにょりと困惑顔を浮かばせ。



「えっと、その……。いえ、大丈夫です」


「大丈夫って……」


「牡丹さん、ああいう恋愛映画、嫌いですよね。だから。無理しないで下さい」


「そんなこと……!」



(あるけど……。)



 きっぱりと言い返せないのが、情けなく。牡丹は思わず彼女から顔を逸らせさせる。


 すると、くすくすと小さな笑声が耳を掠め。首を傾げながらもそちらへと視線を向けると、顔を伏せた紅葉の肩が微弱ながらも震えており。



「なっ、なんで笑っているんだよ!」


「いえ、その……。ごめんなさい、なんでもありません」


「なんでもないって、なくないから笑っているんだろう」


「本当になんでもありません。ただ、嬉しくて……。その気持ちだけで充分ですから」



 目の端に、薄らと涙を浮かばせて。ふわりと花咲くような微笑を添える紅葉に、牡丹の息は一瞬詰まり。



「紅葉……、」



 そう口先で呟くと、彼はゆっくりと。漆黒色の瞳を揺らし。


 仄かな月明かりを頼りに、ただ一点を目掛け。重力に引き寄せられるみたいに、次第に距離を詰めていった。

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