延長戦 第15戦:牡丹と桐~ぼくらの家庭内紛争

 朝独特の新鮮な空気に満たされている、天正家のとある部屋にて。すうすうと整った寝息が奏でられている中、突如、ばたんと鈍い音が鳴り響き。



「牡丹お兄ちゃん、おっきろー!!」


「うげっ――!?」



 牡丹の喉奥から発せられた、蛙が潰れたような声を一切気にする様子もなく。芒は彼の腹の上で、のそのそと激しく揺れ動き続ける。


 牡丹は痛みに顔を歪ませながら。



「分かった、分かった。起きるから早く退けよ。

 ったく、芒の奴。ここ最近、なんだか重くなったよな」



(まあ、アイツも成長期なんだろうな。けど、相変わらず身長はチビなままだけど。

 ていうか、なんだか妙に布団が生温かいような……。)



 眉間に寄せた皺をそのままにぺらりと布団を捲ると、傍らには大きな塊が。瞬間、彼は盛大に吹き出し。



「ば、馬鹿親父――っ!??」



「いつの間に」と牡丹が喚いているのを他所に、問題の桐実は至ってのんびりとした姿勢で起き上がり。



「うーん……。あっ、グッドモーニング、牡丹。いやあ、今日も清々しい陽気だねえ」


「なにが『グッドモーニング』だよ! なんで親父が俺のベッドで寝ているんだ!?」


「だってえ。一人で寝るの寂しかったんだもん」


「そんなの、知るか! 自分の部屋で寝ろよ、馬鹿親父!」


「そんなこと言って。牡丹だって、パパに抱き着いてきた癖にー」


「なっ……! 嘘を吐くな、嘘を! そんなこと、俺がする訳ないだろう!」


「嘘じゃないもん。本当だもん」


「良い歳して、『もん』とか言うな! この、勝手なことばかり言いやがってっ……!」



 しゅっと怒り任せに牡丹が拳を振るうも、桐実は簡単にもひょいと避け。



「あっ、こら。逃げるな、馬鹿親父! おとなしく制裁を受けろ!!」



 牡丹はめげることなく拳を振るい続けるが、結果は変わらず。逃げ続ける桐実を追い、気付けばリビングにまで辿り着いており。



「ちょっと、二人とも! 朝っぱらから家の中で暴れないでよ。それに、牡丹。早く支度しないと遅刻しちゃうよ」



 藤助から叱責され、牡丹は渋々。食卓の自分の席へと着き、既に用意されていた朝食へと口を付ける。


 けれど、その間も、家に帰ったら覚えていろよと。口元に箸を運ぶ傍ら、牡丹は同じように朝食を食べている桐実のことを鋭く睨み付け。






 暗転。






 学校に着き、授業を受けている最中も、しかし、牡丹の桐実に対する怒りが収まることはなく。不機嫌面をそのままに黒板を半ば睨み付けていると、くるりと前の席の竹郎が振り返り。



「なんだよ、牡丹ってば。まだ怒っているのか?」


「別に怒ってなんか」


「まあ、まあ。どうせあと一限で終わりなんだから。いい加減、機嫌直せよ。

 そういやあ、今日って授業参観なんだよな」


「ああ。だから先生達、みんなして上等なスーツを着ていたのか」


「けどさあ、高校生にもなって授業参観に来る親なんて、そうそういないよな。去年も俺達のクラス、一人も来ていなかったしさ」


「そうだよな……って、あれ。誰か来たみたいだな」



 珍しいなと、がらりと開かれた扉の隙間に、牡丹含めクラスメイト達の視線が集中するが。刹那、牡丹の瞳は大きく見開き。



「あっ、いた、いた。牡丹、来ちゃった!」



 その台詞を聞くと同時、彼はぶっと盛大に吹き出し。



「げっ、馬鹿親父――!??」



 続けて。


「なにしに来たんだよ!?」と、思わず盛大に椅子から立ち上がる。



「なにしにって、牡丹の学校での様子を見に来たに決まっているじゃん。授業参観なんだから。おかしなことを訊くんだからー」


「違う! そういう意味じゃない。なんで来たんだよ!?」


「だってえ、パパ、ずっと離れて暮らしていたでしょう? だから、一度くらい父親らしいことをしてみたかったんだよねー」


「なにが“父親らしいこと”だ! そういうことは、もう少し父親らしくなってから言えよ!!

 ていうか、なんで俺の所に来るんだよ。菖蒲の方を観に行けよ」


「それが、先にあーちゃんのクラスに行ったんだけど、あーちゃんってばパパを見るなり余程嬉しかったんだろうね。感激のあまり気を失っちゃって。そのまま保健室に行っちゃったから、牡丹の方に来たんだよ」



 けらけらと述べる桐実とは裏腹、牡丹は拳を強く握り締め。



(菖蒲の奴、逃げやがったな……!)



 一人だけ逃亡するなんて狡いと、彼はぎりぎりと歯軋りを鳴らす。



「へえ。あれが数々の女性を手に掛けてきた男か。牡丹にそっくりだな」


「ええいっ! とっとと帰れ、馬鹿親父!!」


「牡丹ってば、本当は嬉しい癖に。照れちゃってー」


「照れてなんかいない! いいから帰れよ!」



 その後、まともに授業が行われる訳もなく。


 帰宅後――……。



「おい、馬鹿親父! 今日は親父の所為で恥を掻いたじゃないか!」



 開口一番、そう怒鳴り散らす牡丹に、一方の桐実はいつも通り飄々とした調子で。



「えー。どうしてパパの所為なの? パパ、別になにもしていないじゃん」


「なにもって、親父が来ること自体が問題なんだよ! それくらい分かるだろう」


「なにそれ。牡丹ってば酷いなあ」


「そうだよ、牡丹。授業参観に来るぐらい、別にいいじゃん」


「うん、うん、そうだよね。藤ちゃんの言う通りだよね」



 言うや否やぴたりと張り付いて来る桐実に、藤助は悲鳴を上げると同時、フライパンで彼の頭部を思い切り叩き。



「だから、一々抱き着かないで下さいよ!」


「おい、藤助。気持ちは分かるが、フライパンは止めて置けって。これで親父が死んだりしたら、過剰防衛になっちまうぞ」


「梅ちゃんってば、パパの心配をしてくれるなんて。優しいなー」



 復活を果たした桐実は、今度は梅吉に向かって飛び掛かるものの、しかし。彼は容易にもひょいと避け。その流れで、ばこんと一発、丸めた雑誌で桐実の頭部を叩き付ける。


 ぱこぱこと、梅吉は自身の掌をそれで軽く奏でながら。



「おい、牡丹。お前、親父係なんだから。しっかり親父の面倒見ろよなー」


「ちょっと、梅吉兄さんってば。勝手にそんな変な係を押し付けないでよ。なんで俺が親父の面倒を見ないといけないんだよ」


「だって、なあ」


「だって、ねえ……」



 梅吉に藤助だけならず、他の兄弟達もみな同じような眼差しを牡丹へと差し向けており。


 当の本人は、つい気後れしてしまうも。



「そうだよ、牡丹。とっても光栄な係に選ばれたんだから。もっと喜びなよ」


「どこが光栄なんだ! くそっ、どこまでも馬鹿にしやがって……!

 いい加減にしろよ、馬鹿親父――!! ……って、避けるな」



 牡丹は根気良く桐実に向かって拳を振るい続けるが、結果はやはり朝同様、空振りに終わってしまい。



「くそっ、どうして当たらないんだよ!?」


「そうか? 普通に当たるよな」


「うん、当たるよね」



(畜生。どうして俺だけ……!)



 牡丹は半ば恨めしげに、ひそひそと言い合っている兄達を見つめるが。ぶるぶると、拳を強く震わせて。



(こうなったら……、)



 意を決すると、相変わらず飄々としている桐実のことを思い切り睨み付け。



「勝負だ、親父――っ!!」


「えー、勝負って。面倒臭いから、やだ」


「『やだ』じゃない! いいから俺と勝負しろ! 剣道で」



 顔を真っ赤にさせて言い立てる牡丹に、桐実は仕方がないとばかり。わざとらしく、肩を竦めさせ。



「もう、牡丹はしょうがないなー。そんなにパパに構ってもらいたいなんて、まだまだ子供なんだから」


「そんなんじゃないって、何度も言っているだろう!」



「いいからやるぞ」と牡丹が促すと、桐実も彼の後に続いて庭先へと出て。二人は揃って、竹刀を構える。


 牡丹は、握る手に力を込め。



(剣道なら、絶対に負けない――!)



 そう強く思いながら、梅吉の声を合図に。牡丹は先手必勝とばかり、桐実との間合いを一気に詰めるも。


 刹那、ぱしん――っ! と、乾いた音がその場に強く響き渡る。それに続き、かつんと鈍い音が小さくも轟き。



「……ふう、こんなものかな」



 平然とした顔で呟く桐実とは裏腹、牡丹は間抜け面を浮かばせ。その手には、何をも掴んではおらず。



「そんな……、嘘だろう……?」



 彼は呆然と、暫くの間、その場に突っ立ったままであり。






 閑話休題。






「牡丹、ご飯できたよ。ねえ、牡丹ってばー」



 藤助が何度呼び掛けても、彼は一向に返事をすることなく。部屋の隅っこで、ひっそりと体育座りをしており。



「もう、牡丹ってば。負けてショックを受けるくらいなら、始めからやらなきゃいいのに。

 桐実さんも。勝たせてあげればいいのに、大人げないんだから」


「だってえ。牡丹ってば、からかい甲斐があって面白いんだもん。それに、やっぱり負けるのは父親の沽券に関わるしね」


「まあ、仕方ねえよ。たとえ牡丹でなくとも、俺達が束になって掛かったって本気を出した親父には勝てないんだから。

 ていうかさー。親父も面倒を見てくれる女を見つければ?」


「え? えー、でもー。パパには可愛い子供達がいるから、もう充分かなって。ねえ」


「なんだよ。もしかして、俺達に気を使っているのか? 今まで散々見境なく女に手を出しておいて、何を今更。一人、二人増えようが、たいして変わりないだろう」


「梅ちゃんってば、そんな言い方しないでよ。それじゃあ、まるでパパが誰彼構わず女に手を出していたみたいじゃん」


「みたいもなにも、その通りじゃないか。俺達が相手するのも面倒だし、それに、あと何年かしたら、みんなここを出て行くだろう。そしたらどの道一人だろうが」



 梅吉がそう言い聞かすも、桐実は珍しくも困惑顔を浮かばせ。ぶつぶつと小声ながらも異論を唱えていると、部屋の隅からも似たような音が上がり。



「お、俺は、俺は、その……、嫌だ……」


「牡丹?」


「そんなの、やっぱり嫌だ。親父に、その……、そういう人ができるのは……」



 口を小さく尖らせて。その隙間から、不満の声を漏らす牡丹に。桐実の瞳は、きらきらと輝き出し。



「牡丹……! 牡丹ってば、パパのことが大好きな癖に。本当、素直じゃないんだからー!」


「ぎゃーっ!?? ちがっ……。これ以上、俺達みたいな被害者が増えたら可哀想だからで、誰も親父のことなんか……。

 だから、抱き着くんじゃない、馬鹿親父――っ!!」



 牡丹の悲鳴混じりの怒声が響き渡る中、その横では。兄弟達は、黙々と夕飯を食べており。



「なあ。牡丹って、なんだかんだ親父のこと好きだよなー」


「何を今更。

 もう、二人とも。家の中で暴れないでってば」



 藤助に叱責されるも、騒ぎが治まることはなく。こうして天正家の夜は、いつものこととばかり。喧騒さの中で、淡々と更けていくのであった。

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