延長戦 第08戦:花見で一杯~さくら前線・異常あり(後編)

 とある長閑な日曜日――。


 ぽかぽかと温かな日差しが窓から差し込み。陽気な空気が室内に広がっているものの。



「ねえ、桜文兄さん。本当にその格好で行くつもり?」



 苦々しい表情をさせる牡丹とは反対に、桜文は、「うん!」と元気よく答える。間髪入れずに返って来た反応に、牡丹はますます顔を歪ませるしかない。


 そんな彼の脇を、とことこと芒が通り過ぎ。



「桜文お兄ちゃん、菊お姉ちゃんとお出掛けするの?」


「ああ、映画を観に行くんだ」


「それならちゃんとお洒落しないと」


「そっか、お洒落か。でも、そんなのしたことないや。どうしたらいいんだろう」


「だったら、ネクタイでも締めたら? これなんか似合うんじゃないかな」



 そう言うと芒は桐実の部屋から勝手に持ってきた、赤のチェック柄のネクタイを桜文の太くてもこもこした首に締めてやる。


 「ぴったりだよ」と芒に褒められ、顔は見えないものの、桜文は照れながら礼を言う。


 その光景を遠くに眺めながら、牡丹及びにその場に居合わせていた藤助と道松は、小さな円を作って声を低め。



「顔を隠す為だけなら、なにも着ぐるみでなくても……。お面とかでいいんじゃないかな?」


「お祭りでもないのに、街中でお面を付けていても変でしょう」


「それじゃあ、マスクとサングラスは?」


「それだと不審者に間違えられない?」


「あの変装って、舎弟にばれないようにする為なんだろう? どちらにしろ顔を隠したくらいでは、あの体格で気付かれちまうだろう。

 それを考えれば、身体を隠せるあの恰好はあながち間違ってはいないんじゃないか?」


「でも、それにしたってさあ……」


「そもそもあんな恰好で、映画館の中に入れてもらえるのかな……?」



 ひそひそと会議は続いているにも関わらず、桜文は彼等の心配を一抹も感じることなく。


 こうして、待ち合わせ場所へと向かうも――……。



「ううん……。着ぐるみって、思っていたより動き辛いな。視界も狭いし、おまけに子供も寄って来ちゃうし。もっと早く家を出れば良かったな。

 菊さん、学校からそのまま来るって言っていたけど、もう来てるかな?

 あっ、菊さん! ごめん、遅くなっちゃって」



 桜文は手を上げ、小走りで駅前の像の前で待っていた菊の元へと寄って行くが。一方の彼女は無表情のまま、突然自身の元へと駆け寄って来た着ぐるみの円らな……、いや、ぐるぐると間の抜けたような黒くて丸い瞳をじっと見つめる。


 けれど、数秒の間を空けてから。くるりと背を向けるや、そのまま一人すたすたと歩き出してしまい……。



「あれ……?」






 暗転。






「それで菊さん、また帰っちゃってさ。どうしてだろう。クマが嫌だったのかな? うーん、ウサギの方をもらってくれば良かったな」


「いや、そういう問題ではないと思うけど……」



 予想通り過ぎる結果を携えて帰還した兄に、牡丹はそれしか言うことができず。また、彼だけではなく周りもみな似たような表情を浮かばせていた。


 彼等はまたもや、ひそひそと。



「ほらあ、だから止めてあげた方が良かったんだよ」


「そんなこと俺に言われても……」


「アイツ、本当にあの恰好で行ったのか? 馬鹿だなあ。俺が菊でも速攻帰るぞ。

 第一、あの菊が着ぐるみなんかで、キャーキャー言うようなキャラだと思うか?」


「確かに。遊園地なんかで見掛けても、絶対に一緒に写真なんか撮らないで無視するタイプだよね」



 その様子がありありと想像でき。彼等は一様に、部屋の隅っこで身を小さくさせている三男に同情の眼差しを寄せる。


 それから誰もが湿った息を吐き出させる中、梅吉はきょろきょろと室内を見回し。



「そういやあ、問題の菊はどうしたんだ? まだ帰って来ていないのか?」


「菊なら紅葉さんの家に行っているよ。夕食もごちそうになって来るって」


「ふうん。こりゃあ、相当怒っているな」



 こっちにまでとばっちりが来ないといいがと、梅吉を筆頭に誰もが心配を抱くが、しかし。いくら危惧していても、腹は自然と減るもので。


 夕食の支度が整い、みな自分の席に着くも。相変わらず部屋の隅では、可愛らしい容姿とは不釣り合いにもクマが体育座りをしており。



「ねえ、桜文。夕食できたよ。食べないの? ちょっと、桜文ってば」



「食べないの?」と、一際大きな声を上げ。藤助が呼び掛けても、彼は「ああ」とも「うん」とも判別できない音を返すばかりで。



「桜文の奴、珍しく凹んでいるな」


「うん。帰って来てから、ずっとあそこに座り込んでいるんだよね。

 ちょっと、桜文。いい加減、着ぐるみくらい脱いだら?」


「ああ。その姿でいられると気味が悪いんだよな」



 またしても彼に向って声を掛けるが、一方に返答はなく。けれど、桜文は不意に立ち上がると、そのままリビングから出て行ってしまう。


 その後ろ姿に、兄弟等は揃って不安を覚えるも。どうにかなるだろうと考えることを放棄すると、そう思い込ませ。引き続き、止めていた箸を動かして。黙って夕食へと手を付け始めた。






✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎






 一方、その頃。甲斐家では――。


 すっかり夕食をご馳走になり、一息してから。菊は身支度を整えると、紅葉と並んで玄関先へと向かう。


 けれど、一足先に赴いていた紅葉の母親が、二人に気付くと深刻な面持ちを向けさせ。



「あら。菊ちゃん、もしかして帰るの? けど、もう少し後の方がいいかも」


「えっ、どうして? お母さん、どうかしたの?」


「それが、なんだか怪しい人がうろついているのよ」


「怪しい人?」


「ええ」



 紅葉の母親は、そっと玄関の扉を開け。その隙間から、「ほら」と、通りの向こうを指差して見せる。


 すると、ブロック塀越しに、こそこそとこちらを窺っている大きな塊があり――……。



「ねっ? あそこの曲がり角に、クマの着ぐるみを着た人がいて。ウチのことを見ているみたいなの。どうしましょう、警察に通報した方がいいのかしら?」


「きゃあっ、本当だ! あの人、どうして街中で着ぐるみなんか着ているのかしら? きっと不審者だわ」



 そうに違いないと紅葉は主張すると、きゃあきゃあと甲高い音を上げ肢体を震わせる。


 すっかり恐怖心から身を寄り合わせている二人を他所に。菊は一人、無言でこちらを窺っているクマをじっと見つめ――……。



「ううん。菊さん、まだかな。そろそろだと思ったんだけど……。やっぱり連絡してみるか。

 ええと、スマホ、スマホっと……。しまった! この手だとボタンを押せないや」



 せっかく鞄の中からスマホを探り当て、手にしたのはいいものの。上手く操作することができず。桜文はわたわたと、つい右往左往してしまう。


 すると、その間にも後方からすっと影が忍び寄り……。



「ちょっと、なにしているのよ」


「うわっ。き、菊さん!? びっくりした、いつの間に……」


「なにしに来たの?」


「なにしにって、それは、えっと……。夜も遅いし、一人で帰るのは危ないかなと思って。それで迎えに……」



 着ぐるみ越しに、ぼそぼそと喋る桜文に対し。菊の眉間には、薄らと皺が寄っていき。



「それは桜文の方じゃない。紅葉のお母さん、もう少しで桜文のこと、警察に通報する所だったわよ」


「えっ、どうして!?」


「どうしてって……」



 理由が分からず狼狽し出し桜文に、菊はそれ以上何も言わず。代わりに乾いた息を吐き出させると、呆れ顔を浮かべさせる。


 それから、彼のもこもことした手を取り。



「菊さん……? どうかしたの?」


「……別に。こうでもしていないと、通報されちゃうから」


「そっか」



「そうなのか」と、未だその背景を上手く呑み込めてはいないものの。それは困るなあと、桜文は淡々と繰り返させる。


 淡い月光の下、静寂ばかりが流れ続け。いつもよりゆったりとした歩調に、菊はちらりと隣を見上げさせ。


「……ばか」

と、一言。少しだけ、手に力を加えながら。そっと口先で呟いた。

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