延長戦 第02戦:梅に鶯~ちょこっとloveで接近中!(後編)

 辺りはとっぷりと暗くなり。薄らと、月光が地上を照らす中。


「ただいまー」

と、気の抜けた声がとある家内に響き渡る。


 リビングの扉が開けられると、台所から藤助が顔を出し。



「おかえり、牡丹。それじゃあ、みんな揃ったし。夕飯にしようか」


「あれ。梅吉兄さんがいないけど」


「梅吉なら部屋で寝込んでいるよ」


「寝込んでいるって……。今朝はあんなに燥いでいたのに」



 栞告からチョコをもらえなかったのが、余程堪えているのだろうと。牡丹は簡単にも推測することができ。


 同情を寄せる傍ら彼抜きで夕食を食べていると、不意にピンポーンと、甲高い音が鳴り響き。その音に誰もが箸を止め。



「こんな時間に誰だろう? 宅配便かな」


「俺、出るよ」



 牡丹は椅子から立ち上がると玄関へと向かい。扉を開けるが、目の前に立っていたのは予想もしていなかった人物で。



「あれ、神余。こんな時間にどうしたんだ?」



 こてんと首を傾げさせ。牡丹が尋ねると、彼女はゆっくりと伏せていた顔を上げさせていき。ちらちらと、視線を四方へとやりながらも。浮かない顔のまま口を動かし。



「あの、先輩にちょっと用があって」


「梅吉兄さん? それが兄さん、帰ってからずっと部屋に籠っているみたいでさ」


「え……、そうなの?」


「うん。取り敢えず呼んで来るけど」



 そう言い残すと牡丹は階段を上がり、次男の部屋の前まで来る。


 すっと、手を上げ。



「兄さん、梅吉兄さん。神余が来たんだけど……」



 こんこんと、扉を叩くこと数回。刹那、内側からばんっ! と勢いよく戸が開かれる。


 それは見事牡丹の顔面へと直撃し。痛みに悶え蹲っていると、下の方から、「きゃあ!?」と短い悲鳴が聞こえてくる。続いてどたどたと慌しい音が響いたかと思えば、開かれた時みたいに扉が閉まり。


 一瞬だけ、栞告を抱えた兄の姿を確認できたが。



「……大丈夫かな?」



 牡丹は一寸悩むも、それ以上考えることは放棄し。彼女の無事を祈りながらも、静かに階段を下りて行った。


 一方、部屋の中はと言うと。栞告はどさりとベッドに下ろされ。息吐く暇もなく、そのまま首筋に顔を埋められる。


 数秒の間を空け、目を動かすも。見えるのは彼のうなじばかりで。



「先輩……?」


「今日は絶対に、離さない――……」



 ぼそりと耳元で囁かれ。栞告の身体は、硬く強張る。


 ますます強まる腕の力に、彼女はどうにか肢体を動かすが。それは最早なんの意味も成さず。



「ごめん、栞告ちゃん。プレゼント、ありがとう。せっかくくれたのに、俺、チョコのことばかり気にして。あのボールペン、栞告ちゃんだと思って大事にするから」


「いえ、それは……。

 それより、先輩? あの、先輩。ちょっと待って下さい。先輩、先輩、」



 静止の声を一切無視し、顔を近付けてくる梅吉だが。刹那、べしんと鈍い音が轟く。


 栞告ははっと我に返ると、彼の顔から手にしていた物を急いで退かし。



「ごめんなさい。えっと、その、これ……」


「これって、もしかして……」


「はい、チョコレートです。時間がなくて簡単な物しか作れませんでしたが」



 栞告はちらりと、上目遣いで梅吉の顔を覗き。



「先輩、たくさんチョコをもらうから。それに、他の子みたいに上手に作れないですし。だから、あげても迷惑かと思って、それで」


「そんな、迷惑だなんて! 俺は栞告ちゃんのチョコが欲しかったの。栞告ちゃんからもらえれば、それだけで良かったの。なのに、栞告ちゃんってば、いっつも周りばかり気にして。

 俺が好きなのは、栞告ちゃんだけだよ。そりゃあ、他の子からもチョコもらっちゃったけどさ。

 ……そんなに俺のこと、信用できない?」



 栞告は即座に首を横に振り。



「そんなことありません」


「嘘。本当は信じてないでしょう?」


「嘘じゃありません! 先輩のこと、信じています」


「ふうん。それじゃあ、なんで先に帰ったの?」


「それは……。チョコを作る為に、急いで帰らないといけなかったからで……」


「ふうん。でも俺、一人で帰って、すっごく寂しかったんだけど。

 それに、信用できないならそれでもいいよ。その代わり。信じさせてあげるから」



 梅吉は、しゅるりと指先で箱のリボンを解き。蓋を開け、その中の一つを摘まむと、栞告の口元へと持っていく。


 彼女の唇に、それを軽く押し当て。



「はい、しっかり咥えていてね」


「ふえっ!?」


「ちゃんと咥えていてね。落としたら、そうだなあ……。うん、罰ゲームだから」



 にたりと意地悪く、梅吉は白い歯を覗かせ。笑って見せると、ゆっくりと距離を詰めていく。


 くすくすと小さな笑声を奏でながら近付いて来る梅吉に、栞告の頬は必要以上の熱を帯び。彼の唇の隙間からにゅっと赤い舌が出されるも、突如、ばんっと鈍い音が室内に鳴り響き。



「なんだよ、桜文。邪魔するなよ。今、良い所なんだから」



 まるで猫でも払うみたいに、梅吉はしっしと手を振るも。桜文はその場に立ち尽くしたままであり。


 彼は徐々に顔を上げさせていき。



「梅吉……、勝負しよう!」


「はあ……? 勝負って、一体何を言っているんだ?」



 梅吉はぐにゃりと眉を曲げさせ、彼の顔を見つめるが。心なしか……、いや、くっきりと桜文の顔全体は赤く染まっており。



「桜文、お前……。まさか、酔っているのか?」


「梅吉ってば、何を言っているんだ。酔ってなんかいないぞー」


「嘘吐け! 顔が真っ赤じゃないか。酒なんか飲む訳ないし、一体なにで……」



「酔ったんだ」と、続けるよりも先に。彼の口の端が薄らと茶色く汚れているのが目に入り。また、扉の向こうでこそこそと、不審に動いている影を見つけ。



「まさか……」



 一拍の間を置かせてから、梅吉はそちらを鋭く睨み付け。



「菊、お前。コイツにアルコールの入ったチョコをやっただろう――!!?」



 そう叫んだのと入れ違いで、梅吉の身体はふわりと宙に持ち上がり。



「バックブリーカー!」


「ぎゃーっ!!? ギブ、ギブ!

 おい、桜文。ギブだって、ギブ。早く下ろせ!」


「きゃあっ!? 先輩、大丈夫ですか?」


「おい、桜文。このっ……。

 菊、お前が元凶だろう。どうにかしろーっ!!」



 彼の悲鳴に、騒ぎを聞き付けた牡丹等兄弟達が駆け上がって来るものの。どうすることもできない所か、芒の活躍によって桜文が気を失うまで屍が増えていくだけであり。






 暗転。






 翌日――。



「おはよう。今日も良い天気だね」



 へらへらと、朗らかな顔で。リビングに入って来た桜文を見るなり、梅吉はこれでもかと言うほど眉を吊り上がらせ。



「お前なあ……! よくも俺と栞告ちゃんとのいちゃいちゃタイムを邪魔しやがってーっ!!」


「へっ? 一体なんの話をしているんだ?」


「まさか覚えていないなんて言わないよな?」


「だから、なんの話をしているんだ?」



 食って掛かる梅吉に、桜文は首を傾げさせるばかりで。ただただ困惑顔を浮かばせる。


 すると、そんな彼の元へもう一つ。すたすたと、一気に距離を詰めて行く影が。彼女は射程圏内に入ると、手を大きく振りかざし、そして。ぱっしーん!! と澄んだ音が、家内中へと響き渡る。



「……なんで?」


「さあな」



 涙ながらに、真っ赤な手形の付いた頬を指差して示す桜文に。梅吉の怒りは、いつの間にかどこかへと吹き飛んでしまい。



(大方、桜文を酔わせて記憶を曖昧にさせて。甘える算段だったんだろうが。)



 原因が分からず酷く頭を悩ませている弟と、救いようのないほど不器用過ぎる妹に。淡い同情を寄せながらも、梅吉は乾いた音でそう返した。

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