延長戦 第01戦:梅に鶯~ちょこっとloveで接近中! (前編)

 顔を出したばかりの朝日を浴びながら。黙々と、朝食を食べている牡丹並びに天正家の面々。けれど、不意にぱーんっ! と、その場とは不釣り合いな甲高い音が鳴り響き。



「ハッピーバレンタイーン! アーンド、バースデー!!」



 突然鳴り響いたその破裂音に、誰もがきょとんと目を丸くさせ。発信源である一人の男へと視線を注ぐ。


 その男――、梅吉の手には、使用済みのクラッカーが握られており。彼はそれをぽいと投げ捨てると新しい物に持ち換え、おまけとばかりにもう一度、クラッカーを鳴らした。


 しかし。



「なんだよ、朝っぱらからうるせえな」


「本当、驚かせないでよ。あーあ、こんなに散らかして。ちゃんと掃除しておいてよ」



 頭に付いた紙屑を払いながら。ぶつぶつと愚痴を溢す道松と藤助に、梅吉はむっと眉間に皺を寄せさせ。



「おい、おい。なんだよ。揃いも揃って、テンション低いなー。今日は年に一度の、最大イベントだぞ」


「最大イベント? 今日って何かあったっけ?」


「牡丹ってば、何を言っているんだ。バレンタインだよ、バレンタイン。そんでもって、この俺の誕生日だ」


「ああ。そう言えば、そうだったっけ」



 牡丹は頭の片隅にしまい込んでいた記憶を呼び戻すと、「誕生日おめでとう」と。さらりと梅吉に向け述べる。


 しかし、一方の梅吉は、がしがしと乱暴に頭を掻き。



「だから、なんでそんなにテンションが低いんだよ。バレンタインだぞ、バレンタイン。

 もらったチョコの数で、男の価値が決まる日と言っても過言ではない! そんな大切な日に、気合い入れないでどうするんだ。いつも以上に決めないとな」



 梅吉は、ふんと鼻息荒く。一人熱く燃えているが、そんな彼を他所にその場には先程よりも白けた空気が漂っており。



「けっ。なーにが“バレンタイン”だ。あんなくだらんイベント、一刻も早く廃止されるに限るな」


「はい。この時期になるとチョコを買い辛くなりますし、なによりお返しが面倒ですよね」


「そう、そう。その出費も痛いしね。

 それに、石川さん達も言っていたな。毎年、職場に配るチョコをどうするか悩むって。友チョコとか義理チョコとか、お菓子業界の戦略の所為で、あげないといけない雰囲気が確立されちゃっていて。だけど最近では、女の人以上に男側がお返しをするのが面倒だって理由で、チョコを配るのを禁止している会社もあるんだって。

 お互いにメリットなんてないんだから、バレンタインなんて廃止しちゃえばいいのに」



 憂鬱だとばかり、揃って息を吐き出させる道松に菖蒲、それから藤助に。梅吉は、ばん――! と強くテーブルを叩き付け。



「何を言っているんだ! お前等、それでも男かよ!?

 いいか、お菓子業界の戦略だってことくらい、誰もが分かっているんだよ。だけど、それでも目を瞑っているんだ。それは何故か? チョコはチョコでも、ただのチョコではないからだ。女の子がくれたというだけで本来以上の価値が付く、特別な物なんだよ!」



 梅吉が熱くなればなるほど、周りは一層と冷めており。その中でも藤助は、一際じとりと目を細めさせ。



「ていうか、梅吉は女の子からチョコもらう気なの?」


「当り前だろう。女の子達のせっかくの気持ちを無碍にはできないからな。食べてあげるのがせめてもの償いだろう」


「そんなこと言って。神余さん、怒っちゃうんじゃない?」


「ふっ……。そんなことくらいで、俺の栞告ちゃんが怒る訳ないだろう。栞告ちゃんは心が広いからな」


「ふうん。でも、いい加減にしないと、その内、本当に呆れられちゃうよ。

 それと馬鹿なことを言っていないで、さっさとご飯食べなよ。遅刻したって知らないからね」



 つんと言い退ける藤助に続き、「ごちそうさま」と。次々に手を合わせる音が響き出し。


 一同はぞろぞろと、列を連ねてリビングから退出していった。






 暗転。






 こうして、いつまでも身支度に時間を掛けている次男を置いて。一足先に学校に着いた牡丹だが、しかし。



「はい、牡丹くん。バレンタインのチョコ」



 教室に入るなり、「お返しは三倍でね」と、満面の笑みを添え。小さな箱を手渡して来る明史蕗に、牡丹は一応とばかり受け取るも。先程の台詞が腑に落ちず。



「なんだよ、三倍返しって」


「あら。この私の、とっておきの手作りチョコよ。それくらいが妥当でしょう?

 それに、どうせ牡丹くんなんて、紅葉ちゃんからしかもらえない癖に」



「でしょう?」と、念まで押されてしまい。牡丹は悔しいものの、図星故に何も言い返せず。「ほっとけよ」と、辛うじてその一言を絞り出す。


 すると、そんな彼を支援するよう、後ろでも声が上がり。



「なあ、古河。そういうことは、せめてもう少しマシな物を作ってから言えよ」


「ああ。ちゃんと味見はしたのか? このチョコ、砂糖の塊みたいに甘いぞ」



 同じく犠牲者であろう竹郎と萩が、早速中身を吟味し。ぶつぶつと愚痴を溢していると、明史蕗の眉がにゅっと吊り上がり。



「なによ、うるさいわね。アンタ達にあげたのは試作品の余りよ。道松先輩にあげる本命チョコは、完璧の出来なんだから」


「それってつまり、俺達にくれたのは失敗作ってことかよ」


「失敗作じゃないわよ、試作品だって言ったじゃない」


「何がどう違うんだ。体良くゴミを押し付けただけじゃないか」



 瞬間。か細い腕が、萩に向かってがっと伸び。



「ちょっと、ゴミとはどういうことよ!? いたいけな乙女が作った物をゴミだなんて、一体どういう神経しているのよ!!」



 明史蕗は萩の胸倉を掴み上げ。ぶんぶんと、左右上下に激しく揺さ振る。


 けれど、脳内が酷くシャッフルされるも、萩は決して食い下がらず。



「俺は男に食って掛かるような女をいたいけだなんて思わないし、そもそも乙女だなんて認めないぞ」


「なんですってー!?」



 間髪入れず、どすんと鈍い音が響き渡り。萩の肢体は、一瞬の内に床へと崩れ落ちる。


 腹を抱えたまま、ぴくりとも動かないその塊に、牡丹は同情を寄せる傍ら。言い辛げにそれでも口角を上げていき。



「あのさ、古河。チョコだけど、本当に道松兄さんにあげるつもりなのか?」


「ええ、勿論。だって先輩、今年で卒業しちゃうでしょう。だから、思い出作りの為にも渡さないと」


「張り切っている所、悪いけど。兄さん、絶対に受け取らないと思うぞ」


「ええっ。なんで、どーしてよ!?」


「どうしてって、兄さん、バレンタインなんてなくなれって言っていたくらい嫌いみたいだし、そもそも潔癖気味だから手作りの物なんて尚更食べてくれないぞ」


「そんなあっ!? せっかく徹夜までして作ったのにー!!」



 その疲れが一気に襲って来たのか、酷く項垂れる明史蕗の肩に。ぽんと軽く手が置かれ。



「あんな血も涙もない男のことなんて、さっさと忘れちゃいなよ。世の中には、あんな奴より良い男なんてたくさんいるんだから。例えば、そうだなあ。この俺とかさ」


「そう、そう。道松兄さんより梅吉兄さんの方が……って、」



 牡丹は一拍の間を置かせてから、げんなりと眉を下げさせ。



「梅吉兄さん、いつの間に……」


「んー、萩がノックアウトさせられる手前ぐらいからかな。

 それより、かーこーちゃん!」


「きゃあっ!?」


「おはよう、栞告ちゃん。今日は何の日か知ってる?」


「えっと、先輩の誕生日ですよね。おめでとうございます。これ、プレゼントです」


「へへっ、ありがとう。わー、中身はなんだろう。後で開けようっと。

 それで、チョコは?」


「え? えっと、チョコなんですけど……」


「うん、うん」


「先輩、たくさんもらうだろうと思って。だから、用意していなくて……」


「え……。またまたー。栞告ちゃんってば、柄にもなく冗談なんて言って」



 梅吉はけらけらと笑声を上げ、栞告に向かって手を差し出すも。いつまで経っても、その手は宙に漂わされたままであり。



「チョコ、本当にないの……?」



 おそるおそる訊き返す梅吉に、栞告は跋の悪い表情を浮かばせ。それからこくりと小さく頷いて見せる。


 そんな彼女の反応に、梅吉はひくひくと頬を引き攣らせ。笑みを取り繕おうとするも、思い通りにはいかないのかぎこちなく。



「へ、へえ、そうなんだ。そっか、チョコないんだ……」



「そっか」ともう一度、それだけ漏らすと。それ以上は口にすることなく、彼はふらふらと覚束ない足取りでひっそりと去って行く。


 その鬱蒼とした背中を、残された者達はじっと見つめ。



「梅吉先輩、大丈夫か? 相当ショックを受けていたみたいだけど……」


「うん。俺もあんな兄さん、初めて見たよ」



 大丈夫だろうかと、牡丹は心配するものの。だからといって何かが変わる訳でもなく。


 そのまま時は過ぎ、放課後になるが――……。



「おい、梅吉。梅吉ってば。授業終わったぞ。梅吉ってば」



 桜文に何度も強めに肩を揺すられ、梅吉は漸く机に伏せていた頭を上げていくも。意識は未だ呆然としており。



「おい、梅吉。もう放課後だぞ」


「んあ……? いつの間にそんな時間になったんだ?」


「お前、一日中ぼーっとしていて。頭を叩いても反応がないから、先生達、相当呆れていたぞ」


「ああ。道理で痛むと思ったら」



 そういう訳かと納得顔で、梅吉は掌で軽く頭を擦る。


 不審な面をさせている桜文に見守られる中、彼は立ち上がると荷物をまとめ。教室から出て行くが、左右両方の手に握られている紙袋へと視線を落とし。



「いいもん、いいもん、チョコくらい。その代わり、目一杯栞告ちゃんに甘えてやるんだから」



 そう決意を胸に、二年三組の教室の前で立ち止まると扉を開け。



「かーこーちゃん! 迎えに来たよー。一緒に帰ろう……って、あれ。栞告ちゃんは?」


「栞告なら授業が終わった途端、教室から飛び出して行きましたよ」


「へ? 飛び出して行ったって……。もしかして入れ違いになっちゃったかな」



 明史蕗から事情を聞き、そのまま踵を返そうとする梅吉だが、背中を向けた瞬間。「あれ」と間の抜けた声が上がり。



「あの校門に向かって走っているの、神余じゃないか?」


「え? あっ、本当だ。あの鈍臭い走り方は、紛れもなく栞告ね」


「嘘っ、どれ!?」



 梅吉も慌てて竹郎達の横に並び窓越しに外を眺めると、一人の女生徒が駆け足で校門へと向かっており。


 その光景に、まるで雷に打たれたみたく。梅吉は酷くよろめき、そして。



「そんな……」



(栞告ちゃんと一緒に帰ろうと思っていたのに――……っ!!?)



 そのささやかな願いさえも空しく、彼は膝から派手に崩れ落ち。その勢いで、どさどさと。紙袋の中身が、床一面へと飛び出した。

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