第164戦:魂のありかを そこと知るべく

 いつか必ず復讐してやるんだと、心に強く誓った相手が。想像していた以上にふざけた男で。



(どうして母さんは……。)



 こんな男を好きになったのか。朧な意識の中、いくら考えても答えなんか何一つ出なくて。


 それでも考え続けていると、くすくすと小さな笑い声が頭上から降り落ち。



「牡丹ってば、気絶するほど嬉しかったなんて」



 けらけらと気の触る笑声に、牡丹の神経は逆撫でられるも。立ち上がる気力など、今の彼には微塵もなく。傍らから声を掛けられるが、反応することすらできない。


 一方、原因を作った張本人はと言えば。けろりとした顔で室内を見回し。



「ええと、みっちゃんに梅ちゃん、それから藤ちゃんでしょう。はるちゃんはいなくて、あーちゃんと芒はいるのか。みんな揃っていないのは残念だけど……」



 桐実は、今度は芒へと視線を向け。にこりとその年頃には不釣り合いな笑みを浮かばせると、手を大きく広げて見せ。



「おいで、芒。寂しかっただろう? パパが抱っこしてあげよう」



 手を広げさせたまま、じりじりと。桐実は芒へとにじり寄って行く。


 一歩、また一歩と桐実が近付く度に、芒は彼にしては珍しくも困惑顔を浮かばせ。



「うっ……!」


「芒、早くこっちに!」



 芒は藤助の方へ逃げようとするも、桐実に腕を掴まれ。瞬間、ぐにゃりと思い切り顔が歪む。


 そして。



「き……、汚い手で触るんじゃねーっ!!」



 怒声と共に蹴り上げた小さな左足が、見事桐実の顎に命中した。諸に喰らってしまった彼は、そのまま後ろへと引っ繰り返る。



「おい、おい。あまりの嫌悪感に、久し振りに裏芒が出てきたぞ」


「てめえ、務所送りにしてやろうか? ああっ!?」


「務所送りか……。よし、親父が気絶している内に、多数決を取ろう。この変態男を俺達の親父と認めるか、不審者ということにして警察に突き出すか、どちらかに手を挙げること。

 えー、では、アイツが親父だと思う人……は、ゼロと。それじゃあ、不審者だと思う人は……って、全員か。

 それじゃあ多数決の結果、警察に通報するということで」



「口裏を合わせるぞ」と、梅吉を中心に相談を始めようとする兄弟達だが。刹那、桐実はむくりと起き上がり。



「えー、ちょっと待ってよ。それはないんじゃないの? せっかく念願のパパに会えたっていうのにさあ」


「親父がこんな奴だと分かっていたら、一生会えないままの方が良かったよな」


「うん。牡丹なんてショックのあまり、未だに目を覚まさないしね」


「ショックだなんて」



「酷いなあ」と、桐実は口を尖らせ。ぶーぶーと文句を溢す。


 だが、突如瞳の色を変えさせ。



「ショックと言えば……。

 一つ、残念なお知らせがあります」


「なんだよ。親父がこんな奴だったってこと以上に、ショックなことなんて。そうそうないと思うがなあ」


「梅ちゃんってば、またそんなこと言って。

 ……実は一人だけ、パパの子ではない子がいます――」


「え……。一人だけ、違うって……」



 その一言により、その場はぴしりと凍り付くも。直ぐに彼等は己の身体で小さな円を作り。



「牡丹は絶対に違うとして。きっと俺だと思うんだが」


「えー、梅吉だって違うよ。顔は牡丹にそっくりだけど、性格は梅吉まんまじゃないか」


「ああ。きっと俺に違いない」


「ここは公平にジャンケンで決めませんか?」



 兄弟達はひそひそと声を潜め、相談し出すも。不意に梅吉は、一つ乾いた息を吐き出させ。



「なんて。

 ……菊だろう――?」



 じろりと半ば睨み付けながら。答える梅吉に、桐実は一拍の間を空けさせるも。



「ご名答――、その通り。正解は、菊ちゃんでした」



 にっと唇に嘲笑を乗せ。桐実は、けろっとした顔を浮かばせる。



「確かにパパは菊ちゃんのお母さんと関係は持ったけど、でも、どうしても計算が合わないんだよねー。みっちゃんから牡丹まで、藤ちゃんで学年は区切れるけど、誕生日は一ヶ月程度ずつ違いでたいして差はないでしょう。けど、菊ちゃんだけは、みんなと一年以上違う。

 それに、菊ちゃんが生まれる一年前は、パパは海外を飛び回っていてほとんど日本にはいなかったし、彼女と会ってもいない。だから、どう考えてもあり得ないんだよね。

 と、いう訳で。菊ちゃんは柳徳が間違って連れて来ちゃったのでした。柳徳ってば、うっかりさんなんだからー」


「そんなこと言われても、仕方ないだろう。あちらさんから連絡があって、彼女はお前の娘だと言われ。お前から事前に彼女との関係は聞いていたし、まさか嘘を吐かれるなんて思わないだろうが」


「ふうん、成程な。大方、引き取り手に当てがなく。一人身になる菊のことを案じて、菊のお袋さんがじいさんのことを騙して引き取らせたと。

 まんまと嵌められちゃった訳か」


「でも、梅吉はどうして菊だって分かったの?」


「いやあ。ほら、前に病院で菊はO型だって言っていただろう。だけど、道松・藤助・菖蒲はA型、牡丹と桜文はB型で、俺と芒はAB型だ。

 俺のお袋はB型だったから、俺がAB型になるには少なくともA型の入った型が必要になる。つまり、親父はA型かAB型でなければならない。そして牡丹はB型で、母親がO型だったということは、親父はB型かAB型のどちらかになるが、俺と牡丹との関係が同時に成り立つには、親父はA型もB型も持っていないとならないからAB型以外ありえない。

 だけど、AB型の人間からO型の人間は生まれない。まあ、もし親父がCis-AB型という特殊な血液であった場合は、AB型の人間からでもO型が生まれることもあるらしいが……。Cis-AB型は、AB型の中でも0.012パーセント程度しかいないらしいから、菊が親父の血を引いていないと考えるのが一番妥当だろう」



 成程と、藤助は納得顔で頷いて見せるが。



「梅吉って頭は悪い癖に、そういう変なことは無駄に知っているよね。

 でも、気付いていたなら、どうしてもっと早く教えてくれなかったのさ」


「おい、『頭は悪い』は余計だ。

 だって、もしかしたら菊が自分の血液型を間違って覚えている可能性もあったし、さっきも言ったが、親父がCis-AB型の可能性だって決してゼロではない。だから、確かなことを言えなかったが……。

 そういうことなら辻褄が合うってことだ」


「けど、それを言うなら芒だって。それこそ一人だけ、歳が離れているじゃないか……」



 藤助は無意識にも、腕の中に納まっている芒を抱き締める。


 その様を横目に、桐実は不透明な瞳を揺らして。



「確かに藤ちゃんの言う通り、本当は君達の中から正式な跡取りを決めようと思っていたんだけど……。みんな、決定打には欠けてねえ。

 そこで、パパは考えたのです。それならパパ自らの手で、理想の子を育て上げればいいのだと。そうして生まれたのが芒です。

 だけど、その考えとは裏腹、芒はパパの手を必要とすることもなさそうだったので、パパは今まで通り、その時が来るまで見守ることに決めたのでした」


「その時って……」


「本当は、もう少し時間が欲しかったんだけど。景梧の所の坊ちゃんに、先手を打たれちゃったからねえ。

 と、いう訳で。さあ、みんなで鳳凰家を取り戻そう――!」



 桐実は声高らかに、一人意気込んで見せるも。相変わらず、その場はしんと静まり返っており。



「あれえ? みんなして本当にノリが悪いなあ」


「だって、急に取り戻そうとか言われても」


「ふざけるのは、その喋り方だけに留めて置け」


「話は聞きましたが、全然実感が湧きませんし」


「別に俺達、今の生活で十分満足しているしなあ。それに、鳳凰って、あの鳳凰だろう? もし鳳凰家を取り戻せば、俺達の苗字も『鳳凰』になるってことで。『鳳凰』だと名前書く時、画数が多くて面倒そうだしさあ。

 やりたきゃ親父一人でやれよな」



 しれっとした空気が流れる中、桐実はまたしても口を尖らせ。



「へえ、そう。薄々そう言われるんじゃないかとは思っていたけどさ。

 まあ、いいや。芒さえいれば十分そうだし」



 そう言うと、桐実は再び芒へと近付いて行き。



「おいで、芒。芒は賢いから分かっているよね?」



 桐実は、にこにこと笑みを浮かばせるが。それには先程までの冗談の色は見て取れず。彼が距離を詰める度に、芒の顔は硬く強張っていく。


 あと数センチという距離にまで達した所で、二つの影が桐実へと向かって行くが。それは――、道松と梅吉の二人は、同時に後ろへと大きく吹き飛ばされてしまう。



「……たかがこの人数でパパに勝てると思ったのなら、まだまだ甘いな。やっぱりパパの後継者は芒しかいないみたいだね」



 くすりと口元に嘲笑を浮かばせると、桐実は芒へと向き直り。彼に向かって手を差し出す。


 芒は一瞬躊躇するも、そろそろと手を伸ばしていき。そっと桐実の手を握り返して。



「ばいばい、お兄ちゃん……」


「芒……、芒――っ!!」



 いつも以上に小さく見えるその背中へ、藤助は咄嗟に声を上げるが、それはなんの意味もなさず。気にする様子もなく扉に向かって歩いていた桐実だが、彼はふと足を止め。



「あっ、そう、そう。言い忘れていたけど、景梧の所の坊ちゃんから手紙が来ていたよ」


「手紙……?」


「うん。ほら、君達宛てに」



 懐から白い封筒を取り出すと、桐実は近くに転がったままの梅吉へと手渡す。


 梅吉は、寝転がったまま封を開け。



「ええと、なになに……。

『天正家のみなさまへ。本日、この家は鳳凰定光が買い取らせて頂きました。つきましては、近日中に立ち退くようお願い致します。

 尚、ニュース等で既にご存知かとは思いますが、君達の妹である菊さんと婚約しました。よって、彼女との婚姻が無事に成立すれば、この家は君達にお返しします。』って……」


「えっと、それってつまり、この家から出て行けってこと……?」



 数秒の間を置いてから、彼等は声を揃え。



「はあ――っ!??」


「おい、親父。一体どういうことだよ!?」


「いやあ、実はこの家、パパが何年も前に購入したんだけど、朱雀家の連中に知れてしまうと面倒だから、名義を借りて契約をしたんだ。だけど、どうやら裏切られちゃったみたいで、勝手にこの家の権利書を売られちゃったらしいんだよねー。

 だから。パパ達が迎えに来るまでの間、みんなは彼女の家にでも厄介になってよ。一人くらい、みんないるでしょう?」



「それじゃあ」と、桐実はあっさりと言い捨てるや。ひらひらと手を振りながら芒を連れて部屋から出て行く。その後に、天羽も続こうとするが。



「待って……、待って下さい。天羽さん、俺も一緒に連れてって下さい!」


「藤助……」


「俺も、一緒に……」



 縋り付くよう寄って行く藤助に、天羽は彼の耳元へと顔を寄せ。ぼそりと一言、そっと囁く。そして、離れて行くのと入れ替わる形で、藤助はどさりとその場に座り込み――。


 誰もが動けないでいる中、かちりと時計の針が進み。新しい日付を刻むも。クリスマス・イブの前日にやって来たのは、あわてんぼうのサンタクロースではなく、行方不明中だった父親で。


 それと同時、天正家一同は、長年暮らしてきた我が家を失った。

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