第165戦:君来ずは 形見にせむと 我がふたり

 世間ではクリスマス・イブという、一年の中で最も大きなイベントと言っても過言ではない日であるにも関わらず。天正家には、薄暗い影がぽつりと灯り。


 その灯りの下で、兄弟等はただ揃って呆然とした顔を突き合わせる。



「あの。俺の頭の中で、ずっと『ドナドナ』が流れているんですけど……」


「僕は『もろびとこぞりて』ですね」


「あの外道俳優野郎……! なーにが『今、旬の若手爽やかイケメン俳優』だ。腹の中は真っ黒じゃねえか!」



 梅吉は、怒り任せに拳を強く握り締め。どんと一つ、床に思い切り叩き付ける。



「要するに、あれだろう。この家を材料に、定光は菊との結婚を迫ったってことだろう?

 わざわざ人の家を買収するなんて、一体どういう神経をしているんだよ」


「でも、どうして定光は菊と結婚なんて。前から菊のことを知っていたとは思えないのに」


「そうだなあ。俺の予想に過ぎないが、別に定光は菊のこと、なんとも思っていないと思うぞ。菊がただ天正家の人間だから結婚しようとしているだけだ」


「天正家の人間だから……?」


「ああ。結局定光は、自分の父親と同じことをしようとしているんだろう。アイツの父親が、俺達の親父の妹と無理矢理婚姻したように。

 どんな方法で親父が鳳凰家を取り戻そうとしているかは知らないが、アイツ等は報復を恐れている。だから菊と結婚することで親父の動きを抑えさせ、剰え俺達のことも支配しようとしているんだろう」


「そんなことの為に……」



(好きでもない人と結婚するなんて。)



 間違っている気がすると思うものの、訴えるべき相手はここにはおらず。


 牡丹はそれ以上のことは口にすることなく、ただ虚ろな瞳を揺らす。



「このこと、親父はどう思っているんだろう。自分の娘がそんな理由だけで、無理矢理結婚させられそうなのに……。

 あ、でも、菊は実は親父の子供ではなくて、俺達とも全く血が繋がっていなくて。だから菊がどうなろうと、親父にとってはどうでもいいんですかね」


「うーん、どうだろうなあ。我が親父ながら、あの男の考えていることはよく分からないからな。

 親父の娘ではないってこと、菊自身も気付いていないだろうし、定光も知らないはずだ。このまま二人が結婚しちまえば、菊のことを天正家の人間だと信じて止まない、あの男の鼻を明かせられるし、企みを阻止することもできる。

 俺が親父の立場だったら、結婚が無事成立してから本当のことを打ち明けるな」


「それってつまり、菊を利用するってことですか……?」



 その質問に、梅吉が答えることはなく。代わりに一つ、乾いた息を吐き出させる。


 それから右に、左に、首を軽く曲げさせ。



「菊のことも心配だが、それより今は、これからどうするか考える方が先決だ。

 この家は、定光の支配下に入っちまったからな。親父の言うように彼女の家に厄介になるのも悪くはないが、俺達までバラバラにならない方が賢明だろう」


「そうは言っても、どうするんですか? バラバラにならない以前に、これから俺達、一体どこに行けば……」



(桜文兄さんに、菊。芒に天羽さんもいなくなって。それだけじゃない、住む家までなくなっちゃったんだ。

 これから一体どうしたら……。)



「どうする、か……」



 梅吉も口先で呟いてみせるが、その答えは誰の口からも返って来ることはなく。


 誰もが二の句を告げないでいるも、道松は突然立ち上がり。



「……お前等、荷物をまとめろ」


「まとめろって……」


「いいから早くしろ。必要最低限の物だけ鞄に詰めろ」



 それだけ言うと、道松は一人先にリビングから出て行ってしまう。残された牡丹等は、互いに困惑顔を突き合わせるも。道松に続いて立ち上がり、次々に自分の部屋へと入って行く。


 こうして各々が身支度をしている中、道松はスマホを取り出すと弄り始め。



「おい、俺だが……。今から迎えに来い。いいから来い。直ちに来い。そんなこと、言わなくとも分かっているだろうが。最後まで言わせるな。

 いいから早くしろ、陽斗――……」






✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎






 部屋に戻ってから、数十分後――……。


 兄弟等は、それぞれ鞄を抱えてリビングへと再集合し。最後に部屋の隅で丸まっていた満月を藤助が促し、始めは嫌がっていたものの、渋々といった様子で彼女は取っての付いた小さな籠の中へと入って行く。すると、それと入れ替わる形で、ピンポーンと甲高い、間の抜ける音が深閑としたその場に強く響き渡り。



「やっと来たか……」



 それだけ言うと、道松は立ち上がり。真っ直ぐに玄関へと向かって行く。


 その後を牡丹等も頭に疑問符を浮かばせたまま、取り敢えずとばかりに付いて行き。扉を開けると、隙間から黒い影がちらりと見え。



「もう、勘弁して下さいよ。こんな夜中に呼び出すなんて」



 ふわあと、大きな欠伸をさせながら。ぴょこんと一部分だけ跳ねている後ろ髪の束とは裏腹、ぴっしりと皺一つないスーツに身を包んだ青年は、その格好にはやや不釣り合いな態度で愚痴を溢す。


 見覚えのあるその顔に、牡丹は数回、瞬きを繰り返させ。



「え……。えっと、上野先輩ですよね? どうして先輩がウチに。それに、その後ろの車は……」



 ゆっくりと目の前に立っている青年から、牡丹はすっ……と、その背後へと視線をずらす。すると、その先には、辺りの風景とは全く溶け込めていない、漆黒色のリムジンが一台停まっており。



「ご命令通り、お迎えに上がりましたよ。道松坊ちゃま」



 にこりと軽快な笑みを添え。そう述べるスーツ姿の青年に――、陽斗に向けて、道松はむっと眉間に皺を寄せさせる。



「おい。坊ちゃまって言うのは止めろ」


「えー、そんなこと仰られても。本当のことではないですかー。

 それより、どうぞお乗り下さい。いつまでもそんな所にお立ちになっていたら、体が冷えてしまいますよ」



 陽斗に促されるも、牡丹等が躊躇している中。彼等とは引き替え、道松だけはずかずかと車の中へと入って行く。


 そんな彼に、牡丹等も漸くそろそろと続いて行くが。



「どうしよう。俺、こんな高級な車に乗るの、生まれて初めてなんですけど……」


「俺だってそうだよ」



 そわそわと忙しなく、すっかり小さく縮み込んでいる牡丹等に、陽斗はくすりと笑みを浮かばせ。



「そんな緊張なさらずとも。みなさん、寛いで下さい」


「そんなこと言われても。それにしても、陽斗くんが道松の家の使用人だったなんて。全然知らなかったよ」


「それはこっちもばれないよう、必死に隠していましたから。その上、同級生のフリを装う為とはいえ、主人にタメ口を利いたり、呼び捨てにしたりするなんて。心苦しかったですよ」


「なにが“心苦しい”だ。そんなこと、微塵も思っていない癖に」


「道松は陽斗くんのこと、知っていたの?」


「上野と言えば、昔からウチに仕えていた家系だからな。

 そういやあ、鶴野がウチに転がり込んで来た時、アイツの親父に俺の携帯の番号を流したのも、お前だろう。ったく、勝手に個人情報を漏らしやがって」


「あれ、そのことまでばれていたとは。

 いえ、ねえ。鶴野お嬢様のお父上が、道松様の連絡先を教えろと。屋敷にまで乗り込んで来まして。旦那様からもお許しが出ましたし、仕方なかったんですよ。

 けど、まさか使用人如きの名前を覚えていて下さったなんて。光栄ですね」


「別に覚えていた訳じゃねえ。偶々記憶に残っていただけだ」


「なあ。それより俺達、一体どこに向かっているんだ?」


「それは……っと、どうやら着いたようですね」



 説明する前に、車は停車し。牡丹はそっと、窓越しに外の景色を眺める。



「うわあ、大きいお屋敷の前だけど」


「ご到着しました、豊島邸です」


「え? 豊島邸って……」



 にこにこと、相変わらず軽い笑みを浮かばせている陽斗から。牡丹はもう一度、半ば身を乗り出させて。


 塀の向こうに薄らと上の方だけ見えるその屋敷を、舐め回すようにして見渡した。

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