第134戦:恋ふる盛りと 今し散るらむ
裏庭へと行っていた萩だが、教室に戻るや。その足で、牡丹の元へと寄って行き。
「おい、足利。お前、どこに行っていたんだよ?」
「別にどこだっていいだろう。野暮用だよ、野暮用。
それより、牡丹。……お前、兄貴達の旧姓を知っているか?」
珍しくも深刻な表情を取り繕う萩に、牡丹は卵焼きを食べようと開いていた口をあんぐりと開けさせ。
「はあ? なんだよ、突然」
「別に。なんとなくだよ、なんとなく」
「本当に変な奴だな。でも、兄さん達の旧姓か。直接訊いたことはないけど、確か道松兄さんは豊島で、菖蒲は下野だって言っていたな」
「残りの面子は?」
「さあ」
「さあって。なんだよ、役に立たないな」
そう返す萩に、牡丹は眉間に皺を寄せさせ。「悪かったな」と、口を小さく尖らせる。
せっかくの当てが外れ不貞腐れる萩であったが、しかし。不意に「へえ」と、飄々とした声が上から降って来た。
「萩ってば、そんなに俺達のことを知りたいのか?」
「そうなんですよ。急に兄さん達の旧姓を訊いてきて……って、梅吉兄さん――!? また来たんですか?」
「なんだよ、俺が来ちゃ駄目なのかよ」
「だって、兄さんってば、いっつも騒ぐじゃないですか。それで。今日は何の用ですか?」
「いやあ、ここ最近、一段と寒くなってきただろう。だから、人肌が恋しくてな」
すると、梅吉はぎらりと瞳を光らせ。そして、とある一点へと狙いを定めて飛び掛かる。
その先は言わずもがな、一人の女生徒の元であり。
「かーこーちゃん!」
「きゃあっ!!? せ、先輩!?」
「んーっ、栞告ちゃんは温かくて気持ち良いなあ」
べたべたと引っ付いて来る梅吉に、栞告はされるがままであり。そんな二人の様子を、萩は遠目に眺めながら。
「あの、教えてくれるんじゃないんですか?」
「なんだよ。そんなに知りたいのか? 仕方がないなあ。なら、特別に教えてやるよ。
いいか。藤助は
にたりとしたり顔を浮かばせる梅吉に、萩は思わず息を詰まらせ。二の句を告ぐこともできない。
どうしたものかと考え込んでいると、梅吉が先に口を開かせ。
「でも、旧姓かー。栞告ちゃんも、数年後には苗字が変わっちゃうもんね。神余栞告から天正栞告か。うん、ぴったりだね」
「先輩!?」
「えっ、嫌? ううん、本当は栞告ちゃんに嫁入りしてもらうつもりだったんだけど、でも、栞告ちゃんが望むなら。俺、婿養子でもいいよ。
そんで以って、新婚旅行はローマで決まり! スペイン階段でジェラート食べて、スクーターに乗って街を回って、それから真実の口に手を挟まれてー」
梅吉は栞告の腰を掴むと宙へと掲げ。くるくると、その場で小さく回り出す。
栞告の口からは甲高い悲鳴ばかりが漏れ。色んな意味で、すっかり目を回しており。けれど、そんな彼女に構うことなく回り続けていた梅吉だが、突然、教室の扉が外側から勢いよく開き。
そして。
「こらあっ、天正!」
顔を真っ赤に染めた穂北が、半ば叫びながら飛び込んで来た。彼はそのままずかずかと、梅吉の元へ地団太を踏みながら寄って来る。
「げっ、穂北!? なんだよ、せっかく良い気分に浸っていたのに。昼休みまで邪魔しに来るなよ」
「やはり、貴様という奴は……。すっかり忘れているだろう!」
「はあ? 忘れているって?」
「だから、今日の昼に部のミーティングをすると、昨日も今朝も何遍も言っただろうが!」
穂北はますます声を荒げ、仏頂面を梅吉へと押し付ける。
一方の梅吉は、気怠そうに彼を見返し。
「そう言えばそんなこと、言っていたような。けど、悪いが俺達、これからハネムーンの計画を立てないといけないからさ。会議なら俺抜きで進めてくれよ」
「何を訳の分からんことを言っているんだ!? つべこべ言わずに、さっさと来い!」
そう言うと、穂北は梅吉の襟首をがしりと掴み。ずるずると、扉に向かって引っ張り出す。
それにより、首元が絞まってしまい。梅吉は苦しげな声を上げ。
「分かったよ、分かった。行くから手を離せよ。ったく、仕方ねえなあ。
よし。それじゃあ、行くか」
「おい、ちょっと待て。彼女は部外者だろうが、置いて行け」
「えー、いいじゃねえかよ。一人くらい部外者がいたって。別になんの支障もないだろう?」
「十分あるわっ! どうせ貴様のことだ。彼女に腑抜けて、真面に会議に参加する気が更々ないのが目に見えているぞ。いいから早く彼女を下ろせ!」
「嫌だー! 栞告ちゃんが一緒じゃないと、絶対に嫌だー!」
「うるさい、子供みたいな我が儘を言うなっ! いいから早く来い!」
大声を上げ、騒ぎ出す彼等に。どうしていつもここなのだろうと、牡丹は呆れ顔を浮かばせながら心底思い。
「あの人、本当にお前と血が繋がっているのか?」
「一応、半分だけだけどな」
「ふうん、『ローマの休日』かー。でも、スペイン階段でジェラートを食べるのって、法律で禁止されているんだよな」
閑話休題。
穂北の頑張りにより、教室は落ち着きを取り戻し。一段落着くと萩はポケットの中に突っ込んだままの手を漸く抜き、そのまま牡丹の前へと出す。そして、半ば無理矢理に彼へと押し付け。
「これ、お前に渡しとく」
「急になんだよ。ん……? これって、菊のキーホルダー……!
どうしてお前が持っているんだよ?」
「拾ったんだよ。それ、お前の妹のだろう。とにかく俺は渡したからな」
そう勝手に切り上げると、萩は立ち上がり。一人教室を後にする。
その後ろ姿を見送ると、牡丹はこてんと首を傾げさせ。
「なんだよ、アイツ」
やっぱり変だと、疑問を抱きながらも手にしたそれをじっと見つめ。このキーホルダーの所為で散々な目に遭ったよなと、彼は過去の出来事を顧みる。
そして、今頃探しているのではないだろうかと思うものの、しかし。嫌われているのはいつものことだが、一層と嫌悪感を抱かれている今日この頃、たとえ些細な遣り取りとて彼女と関わるのはなんだか気まずく。体よく厄介事を押し付けられてしまったと、ぶらぶらと問題のキーホルダーを宙で揺らす。
それにしても。
「よく見ると随分とボロッちいな。あれ、なんか書いてある。えっと、H……、『H・G』……って、イニシャルか? でも、菊なら普通、『K・T』だよな。なんで『H・G』なんだ?」
牡丹は眉間に皺を寄せさせ、考え込むも。やはり理解することは出来ず。
午後の授業を告げる鐘の音を遠くに聞きながら、呆気なくも。彼は直ぐ様白旗を振った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます