第131戦:あしひきの 山桜戸を 開け置きて

 ちゅんちゅんと、小鳥の囀りが優しく鼓膜を震わせ。心地良い夢の中に身を委ねているも、儚いかな。それは、ドンッという鈍い音により呆気なくも打ち砕かれ。


 続いて。



「牡丹お兄ちゃん、おっきろー!!」


「ぐえっ!?」



 活発な声に続き、蛙が潰れたような奇妙な音が室内中へと響き渡る。


 突如、現実へと引き戻された牡丹だが。痛む腹の上では相変わらず、小さな塊が二つ。忌々しくも揺れ動き。



「おっきろ、おっきろ! 牡丹お兄ちゃん、おっきろ!」


「分かった、分かったから。起きるから早く下りろよ。

 満月まで一緒に飛び掛かりやがって」



 上半身を起こし上げながら、「芒一人でさえ重いのに」と。牡丹の口から、つい愚痴が漏れる。すると、次の瞬間。鋭い閃光が彼の頬を掠め。



「いってーっ!?」



 またしても盛大な音が、今度は家内中へと響き渡った。






 暗転。






「ったく、芒ってば。いつになったら、あんな乱暴な起こし方を止めるようになるんだろう。それに、満月も凶暴だし」



(本当、誰かさんに似て――。)



 その誰かさんを、頭の中に思い描くと同時。階段の最後の一段を下りると、目の前には例の姿があり。



「あ……」



 空気混じりの呟きが、おそらく彼女の耳に入ったのだろう。後ろに立つ牡丹に気が付くと、けれど、菊は直ぐにもふいと顔を反らさせ。何事もなかったかのよう、玄関で靴を履き出す。


 そんな彼女の態度に、牡丹の額にはかちんと青筋が立てられ。



(なんだよ、無視しやがって。感じ悪いな。昨日だって、人の顔面に思いっ切り鞄を投げ付けやがって……!)



 沸々と、昨日の怒りが蘇り。別に痛くもないのに、牡丹は指先で軽く鼻を擦る。


 そんなことをしていると、今度はリビングの扉が内側から開き。その隙間から、ひょいと大きな塊が顔を出した。



「あっ、牡丹くん。おはよう」


「おはようございます。珍しいですね、桜文兄さんが朝早いなんて」


「ああ、今日は日直でさ。早く行かないと、アイツ等が代わりに全部やっちゃうんだよ」



 アイツ等とは組員のことだろうと、簡単に予想でき。それは便利で羨ましい気がすると思うものの、牡丹は口に出すことは決してせず。


 小走りで家を出て行く兄を見送り、彼はリビングに入ろうとするも。刹那、かしゃんと甲高い音が耳を掠める。音のした方に視線を向けると、そこにはイルカのキーホルダーが落ちており。



「あっ、桜文兄さん! ……って、行っちゃった。まあ、家に帰ってから渡せばいいか」



 ぽつんと寂しげに残されたそれを拾い上げると、牡丹はポケットの中へとしまい込み。腹の音を鳴らしながらもリビングの扉を開け、漸く朝食へと有り付いた。






✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎






 時は過ぎ、昼食時――……。


 賑やかな空気が漂う中。竹郎は、卵焼きを箸で摘まみ上げながら。



「それで。もう演劇部には行かなくていいんだって?」


「ああ、まあな」


「なんだよ、その反応は。あんなに嫌がっていたのに。

 もしかして、本当は残念だと思っているのか?」


「まさか、そうじゃなくて。石浜先輩、菊の言うことならなんでも聞くんだなって、そう思って」



 今日になって、呆気なくも解雇処分を言い渡され。本来なら望む形であるにも関わらず、なんだかなあと。牡丹はすっかり拍子が抜けてしまう。



「足利も残念だったな。でも、お前も剣道できたんだな」


「当り前だろう。ちなみに俺の方が牡丹より強かったんだぜ」



 ふふんと鼻息荒く語る萩に、牡丹はむすりと眉を顰めさせ。



「なんだよ。辞めた癖に」


「はあ……? 辞めたって、一体誰の所為だと思っているんだよ!」



 萩は怒り任せに、持っていた紙パックを握り締め。握り締めたことにより、中身が思い切り、ぷしゅっと勢いよく飛び出した。


 ぼたぼたと、彼の手からはその液体が雫となって零れ落ち。



「うわっ、何やっているんだよ。取り敢えず手を洗って来いよ。しょうがないなあ」



 牡丹はポケットの中に手を突っ込み、ポケットティッシュを取り出すも。それに釣られるよう、朝方突っ込んだキーホルダーも一緒になって飛び出してしまい。


 かしゃんと甲高い音が、その場に響き渡り――……。



「っと、落としちゃった」


「あれ……。なんで牡丹がそれを持っているんだよ?」


「えっ。なんでって?」


「あっ、いや。なんでもない。

 それより、ティッシュだと全然拭き取れないだろう。布巾を取って来るよ」



 そう言うと、竹郎は掃除ロッカーの方へと歩いて行く。その後ろ姿を牡丹は見送るも、変な奴と。心の内で小さく呟き。


 かちゃりと拾い上げたそれを宙に浮かべ、牡丹は遠目から眺めていたが。



「あっ、そのキーホルダー……。

 ふうん、牡丹くんってば。それ、誰にもらったの?」


「なんだよ、古河。にやにやして気持ち悪いなあ」


「ちょっと、誰が気持ち悪いですってー!?」



 明史蕗の手が、すっと伸び。ぐるりと首に腕を回され。間髪入れることなく、牡丹は降参の音を上げる。


 その音を聞くと、明史蕗はぱっと手を離し。



「なんて。わざわざ訊かなくても分かっているわよ。どうせ紅葉ちゃんにもらったんでしょう」


「はあ? なんで紅葉の名前が出て来るんだよ。それに、このキーホルダー、俺の物じゃないし」


「あら、そうなの? ふうん」



 その答えが、余程不服だったのか。明史蕗はつまらなそうに、適当に相槌を打つ。


 そんな彼女の態度に、牡丹は首を傾げさせ。



「それで。このキーホルダーがどうかしたのかよ?」


「あれ、知らないの? って、そっか。牡丹くん、その頃はここにいなかったから知らないか。

 そのキーホルダー、私達が中学生の頃に流行ったのよ。市内の水族館のお土産売り場に売っている物なんだけど、その青色のイルカともう一つ、ピンク色のイルカのキーホルダーが二個セットでペアになっていてさ」


「へえ、そうなんだ。でも、こんなのがそんなに流行ったのか? どこにでも売っていそうな、ただのキーホルダーにしか見えないけど」


「確かにそうなのよね。でも、私も若かったなあ。そのキーホルダー、おまじないアイテムだったのよ」


「おまじないだあ?」


「ええ。青色のイルカを好きな人に渡して鞄に付けてもらえると、両想いになれるっていう。商品その物にはそういう効果があるとは全く記載されていなかったんだけど、誰かが流したデマが浸透したのね。

 でもさあ、そのおまじないって、キーホルダーを渡す時点で告白したも同然じゃない? だから、結局そのおまじないは直ぐに廃れちゃったのよね」


「ふうん、おまじないねえ」



 じろじろと訝しげな瞳でキーホルダーを見回していた牡丹は、ますます胡散臭そうに。眉間に皺を寄せさせる。


 懐かしさに浸っている明史蕗を余所に。



(ということは、桜文兄さんも誰かからもらったってことだよな? 一体誰に……。やっぱりあの、万乙って子からかな。

 それにしても。)



 本当に女って、こういう信憑性のない話が好きだよなと。もう一度、キーホルダーを見つめ。やはり胡散臭いと、改めて感想を抱いてから。


 牡丹は持て余していたそれを、ポケットの中へと入れ戻した。

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