第130戦:いまだ見なくに 散らまく惜しも

 とある日の夜分遅く――……。



「それで」



「どうなんだよ?」と、梅吉はベッドに横たわったまま。ずいと顔だけを桜文の方へと向ける。けれど、その問いに、問題の当人はこてんと首を傾けさせたままで。



「どうって、何が?」


「そんなの、万乙ちゃんのことに決まっているだろう。彼女とはどうなっているんだよ」


「どうって、訊かれてもなあ」



「どうなんだろう」と、質問に質問を返され。埒の明かなそうな状況に、梅吉はがしがしとやや乱暴に頭を掻き毟る。


 そして、一寸考え込んでから。



「この前の休日、万乙ちゃんとデートしたんじゃないのかよ?」


「ああ。公園に行って来たよ」


「ふうん、公園かあ。お前にしては、なかなか良いチョイスだったんじゃないか。

 それで、公園で何をしたんだ?」


「何って、園内を散歩して、お弁当を食べて。それから日向ぼっこをしていたら、いつの間にか二人揃って寝ちゃっていてさ。目が覚めたらすっかり暗くなっていたから、びっくりしたよ」


「びっくりしたって……」



「お前なあ」と、空気混じりに。梅吉は、ぴくぴくと片眉を動かす。


 口を開き掛けるも、それは直ぐに閉じられ。けれど、調子を整えるとまた口を動かし。



「それで、どうするんだ?」


「どうするって、何が?」


「だから、万乙ちゃんのことに決まっているだろう。この流れで分かれよ。

 彼女とは付き合うことにしたのか? 約束の期限まで、あと一週間くらいなんだろう」


「ううん、そうだなあ」



 桜文は小さな音を上げ、唸り出すも。いつまでも眉間に寄せられた皺が消えることはなく。



「どうだろうなあ」


「おい、おい。そんな調子で大丈夫かよ? 返事しないといけないんだろう?」


「そうなんだけど……。

 万乙さんのこと、好きか嫌いかと訊かれたら、多分好きだと思う。でも、それは人間としてで、きっと恋愛感情ではないかなって」


「そうだなあ。確かにあの子は恋人と言うより……、いや、なんでもない。

 まあ、万乙ちゃんさえ良ければ、そのまま付き合っちゃえばいいんじゃないか?」



 半ば投げ遣りな梅吉の態度に、一方の桜文は相変わらず煮え切らない様子で。



「そうは言っても。普通、好きだから付き合うものだろう?」


「まあ、普通はそうかもしれないな。けど、別に好きだから付き合う訳では必ずしもない。

 前にも言っただろう。付き合い方は、人それぞれだって」


「そうなのか? 好きでない人と付き合ったりするのか?」


「そうだなあ。告白されたからなんとなく付き合う奴だっているし、寂しさのあまり、その場凌ぎの慰めの為に、適当な人間と付き合っている奴だっている。恋人のことを、自分を着飾る為のアクセサリーとしてしか考えていない人間だっているが、それは本人次第だ。人によって恋人の定義も価値観も違う。

 それに、当初は好きでなくても、付き合っていく内に本当に好きになる可能性だってあるだろうしさ」


「付き合っていく内に、か」


「ああ。だから船居ちゃん、お前にあんな提案をしたんだろう?」



 それもそうだなと、梅吉の言い分に。桜文は納得するものの、しかし。彼の顔色は、特に代わり映えする様子はなく。


 梅吉は一つ乾いた息を吐き出すと、こてんと頭を傾けさせる。



「好きなだけ悩め、悩め。お前の人生の中で悩むことなんて、そうないんだ。

 ただ、これだけは教えておいてやるよ。人間関係に、正解も不正解もきっとない。あるのは……、いいや、残るのは結果だけだ。

 俺から言えるのは、これくらいだな。後は自分で考えろ」



 そうばっさり言い捨てると、梅吉は立ち上がり。後にはばたんと、扉の閉まる乾いた音が鳴り響く。


 すっかり静けさを取り戻した部屋の中で、桜文は上半身をベッドの上に倒していって横たわり。天井を見上げながら。



「好きって、……女の子って、やっぱりよく分からないや。女の子……、万乙さんは、菊さんとは全然タイプが違って。どちらかと言うと、彼女の方が菊さんより余程お前に……。

 お前がいてくれたら、少しは女の子の気持ちも理解できたのかな」



 一瞬だけ、瞳を閉じ。けれど、直ぐにも薄らとだが開いていって。



桜藺はるい――……、」






✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎






「あーあ、明日も演劇部なんて……」



 いつになったら解放されるんだと、紫色の空に向かい。牡丹は情けない音を上げる。


 隣を歩く雨蓮は、無表情のまま。



「部長の頼みだからな」



 こればかりは仕方がないと。上下関係には逆らえない、運動部の宿命だと。きっぱりと割り切れているのだろう。


 だが、そんな彼とは裏腹。牡丹は未だ尖らせた口をそのままに。



「でもさあ。いくら石浜先輩に頼まれたからって、こう何度も聞き入れるなんて。ウチの部長、石浜先輩に何か弱みでも握られているのかな」


「そうだな。部長は天正菊のファンだからな」


「はあ? ファンって……」


「演劇部の公演のチケット、いつも石浜先輩に回してもらっているんだよ」


「ああ」



 そういうことかと、簡単に納得でき。いや、納得はできたが、やはり府には落ちないと。


 いつもの道に差し掛かった所で雨蓮と別れた後も、どうにかならないものかと。牡丹は石浜からの必死の支援要請の様子を思い返しながら、毎度、毎度、流されるよう周囲に振り回されてしまっている己が酷く恨めしく。


 もう一度、どうにかならないものかと。頭を捻らせていると遠くの方に、見慣れた姿を――数十分前まで同じ空間にいた人物の姿が目に入り。



「あっ、菊の奴。今日も先に帰りやがって」



(そのお陰で石浜先輩から逃げるの、どんなに大変だったことか……!)



 一言文句を言ってやろうと、自然と牡丹の足は早まり。彼女との距離は、徐々に縮まっていく。


 視界にも、その姿を収め易くなり。あと少しという間隔にまで差し掛かった所で、ふと牡丹の前を歩いていた黒い陰がそそくさと横道へと入って行き。



(なんだ? 今の男、こそこそして怪しいな。こんな光景、確か前にも……って、もしかして――!)



 牡丹は一気に目標物との距離を詰め。菊の隣に並ぶと、直ぐ様口を開かせ。



「おい、菊。もしかして、またストーカーに……。このこと、兄さん達には言ったのか?」



 じっと見つめてくる牡丹から、菊はふいと顔を反らさせ。



「アンタには関係ないじゃない」


「なっ……!」



(なんだよ、関係ないって。人が心配してやっているのに……!)



 変わらぬペースで歩き続ける菊に……、いや、心なしか、足を速めさせる彼女に。牡丹はむすりと眉間に寄せた皺をそのままに。



「そうかよ。なら、勝手にしろ!」



 今度は彼が、彼女から顔を背けさせる。



(本当に可愛くない奴! ……なんて。よく考えたら、いや、考えなくても。どうせ菊のことだ。この前みたいにストーカーの一人や二人、簡単に返り討ちにできるだろうし。)



 心配するだけ無駄かと、牡丹は考え直すが。けれど、それでもちらりと隣を歩く菊を盗み見ると。



「ちょっと、付いて来ないでよ。アンタの方が余程ストーカーじゃない」


「おい、誰がストーカーだ! 同じ家に帰るんだから仕方ないだろう」


「なによ。学校でも付け回している癖に」


「付け回してって、お前の所の部長の所為だろう。俺だって好きで演劇部に行っている訳じゃないんだよ。

 本当は、思いっ切り打ち込みたいのに。いい迷惑だ」



 溜まりに溜まっていた鬱憤を抑え切れず。牡丹の口からぽろぽろと、つい愚痴が漏れる。


 けれど、一方の菊は、しれっとした顔のまま。



「だったら元部長に頼んでおくわよ。あんな下手な指導者、反って邪魔なだけだって」



 またしても顔を反らさせる菊に、牡丹の額にはぴしりと青筋が立ち。わなわなと、肩は小刻みにも震え出す。


 彼は怒り任せに、拳を思いっ切り握り締め。



「なんだよ……。なんだよ、お前だって……。

 お前だって、寝たふりだけは下手な癖に!」


「はあ? 何を訳の分からないことを言っているのよ」


「なにって、桜文兄さんが前に言っていたんだよ。確かに演技は上手だけど、菊は寝たふりだけは下手だって」



 ふんっと鼻息荒く。したり顔を浮かばせる牡丹だが、刹那、顔面に鈍い衝撃が襲い掛かり。



「いったあ……! おい、なにするんだっ……」



 痛む鼻を押さえながら。牡丹は声を荒げさせるものの、しかし。最後の一文字が言葉として吐き出される前に、彼女の姿は既に遠く。華奢な背中ばかりが彼の視界を占めていた。


 ひりひりと、赤く染まっているだろう鼻を牡丹は何度も指の先で擦らせて。



「なんだよ、アイツ。そんなに気にしていたのか?」



「そんなに……」と、後を続けさせるも。その音は直ぐにも風に流されてしまい。牡丹は腰を屈めさせると、地面に転がったままの鞄を持ち上げる。


 それを自身の鞄を掛けている肩とは反対側に掛けさせると、その場に佇んだまま。ただ小さくなっていく背中を、無意味にも見送るばかりであった。

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