第123戦:桐の葉も 踏み分けがたく なりにけり
学生にとって、一日の内で最も楽しみだとも言える昼時――……。
「見て、見て、栞告!
と、甲高い音を上げながら。明史蕗はぐいと手に持っている雑誌を栞告の鼻先へと突き付ける。
が、一方の彼女は、きょとんと目を丸くさせたかと思えば。
「えっと……。定光って、誰?」
こてんと首を傾げさせる栞告に、明史蕗は素っ頓狂な音を上げさせ。
「えーっ。栞告、定光を知らないのー?
元はモデルだったんだけど、演技も上手で。それを買われて最近は、ドラマや映画に引っ張りだこなんだから」
明史蕗は、まるで自身のことのように。背中を軽く反り、得意になって説明する。
その様子を傍らで眺めていた竹郎は、ふっと乾いた息を吐き出させ。
「古河は相変わらずミーハーだなあ。この間まで、道松先輩、桜文先輩ってうるさかった癖に」
「だってえ。まさか、桜文先輩にまで彼女ができるなんて。しかも相手は妹系で、私とは正反対のタイプだって言うし」
「ああ……。そうだな、あの子は古河とは全然タイプが違うよな。
でも、あの二人、恋人と言うよりは、兄妹の方がしっくりくるような。とにかく、身長差がなあ。桜文先輩の背が元々高い上に、万乙ちゃんだっけ? 彼女の方は、女の子の中でも一際小さい方だからなあ」
(確かに。)
その通りだなと、薄ぼんやりと二人の様子を思い返し。牡丹は小さく頷いてみせる。
だが、それでも二人は決して兄妹なんかではなく、れっきとした恋人という間柄なのだと。反ってそう強く思わせるが、しかし。とは言っても、今はまだ正式に付き合っている訳ではないので、そう思うのも些かおかしいかと。
(そう言えば、桜文兄さん。結局、どうするんだろう。
このまま、あの子と……。)
付き合うのだろうかと、ふと湧き上がった疑問に。頭を傾けようとするも、その矢先。
竹郎が明史蕗の手の中の雑誌の、外の世界に向かって微笑み掛けている定光という俳優を指差しながら。
「それにしても、本当に最近よく見掛けるよな、朱雀定光。前から思っていたんだけど、ちょっと牡丹と似ていないか?」
「えー、そうかあ?」
どこがだよと、本人自ら文句を言う前に。突然横から、バンッ――! と、強い音が鳴り響き。
びくんと肩を大きく跳ね上がらせる二人だが、ちらりと音のした方に視線を向けると、そこには机に手を置き、眉を吊り上がらせた明史蕗の顔があり……。
「ちょっと、全然似ていないわよ! そういうこと言うの、止めてよね。定光のイメージが壊れちゃうじゃない」
じろりと鋭く睨み付けてくる明史蕗に、二人はますます縮こまる。
「おい、竹郎。古河を怒らせるなよ」
「別にそんなつもりは。ただ雰囲気というか、目の辺りが少し似ているなって。そう思っただけだよ」
「だから、全然似ていないわよ! もう、定光を牡丹くんなんかと一緒にしないでよね。定光の方が爽やかさの中にも凛々しさがあって、何百倍も男前なんだから」
うっとりとした表情で彼の魅力を語り出す明史蕗に、牡丹は眉間に皺を寄せさせ。
「悪かったな。定光と違って男前じゃなくて」
どうしてそこまで非難されないといけないんだと。俳優なんかと比べられて、敵うはずがないだろうと。
やり場のない感情をそれでも燻ぶらせていると、不意に扉の隙間から、ひょっこりと小さな塊が現れて。
「桜文先輩! お昼、一緒に食べませんか?」
噂をすればとでも言うのだろうか。先程まで話題に上がっていた人物の登場に、牡丹等は揃って目を丸くさせる。
けれど、一方の彼女は、そんな彼等を気にすることなく。にこにこと満々の笑みを浮かばせていたが、次第にぱちぱちと瞬きを繰り返し。
「あれ。桜文先輩、いないのかなあ?」
「えっと。ここ、二年三組だけど……」
「二年三組? 二年三組ということは、二年生の教室で……。あっ、一階間違えちゃった!?」
彼女の兎の耳みたいな髪の束が、ぴょんと高く跳ね上がり。
「失礼しましたー! きゃっ!?」
べしんと盛大な音を鳴らし、床に突っ伏す万乙であったが、直ぐにも起き上がると慌ただしくも走り去って行く。
が。
彼女がいなくなった後も、牡丹達の目は丸まったままで……。
「なあ、今の見たか?」
「ああ。『力戦奮闘』って書いてあったよな」
「あんなデザインのパンツ、」
「本当に売っているんだ……」と、後半は空気混じりで、ほとんど音にはならず。けれど、誰もが簡単に補うことができ。
あれが彼女なりの戦闘着なのだろうと。いつまでも消えそうにはない残像に、ただただ目を見開かされるばかりであった。
暗転。
時は移り、放課後。
校内の、人気のない薄暗い廊下にて――。
カツカツと、甲高い靴の音が四方の壁へと反響し。まるで一種の曲でも刻んでいるかのようであったが、急に止め。その音の発生者であった男はゆっくりと、自身の瞳をとある一点へと留めさせる。
その突き刺さるような視線に気付いたのだろう。男の先にいた人物は、すっと片手を顔の脇へと上げさせ。
「よう、石浜」
「珍しいな。お前の方から声を掛けて来るなんて」
「まあな。日頃、ウチの可愛い妹が世話になっているから。偶にはちゃんと挨拶でもしておこうと思ってさ」
そう言うと梅吉は、薄らと口元に笑みを――、嘲笑を浮かばせて。ただただそれを維持させる。
一方の石浜は、ぴくりと額に一本の小さな青筋を立てながらも梅吉の方へと寄って行き。
「それで、話があるなら早くしてくれないか? 私も暇でないんだ、手短に頼むよ」
「それは悪かったな。けど、生憎俺も暇じゃない。そんじゃあ、お言葉に甘えさせてもらって。早速本題に入らせてもらうが、お前は何を企んでいるのかと思って――。
いい加減、菊のことは諦めたもんだと思っていたが、見掛けに依らずしつこい性格をしているんだな」
けらけらと軽い笑声を上げさせる梅吉に、それでも石浜は表面ではどうにか取り繕い。わざとらしく一つ咳払いをすると、瞳に掛かっている前髪を指の腹で払って見せる。
「それは褒め言葉として受け取っておくよ。私はこう見えても一途でね」
「一途ねえ、一途か……。けど、あんまりしつこいと反って嫌われるぞって、今更もう遅いか」
またしても梅吉は笑い出すが、直ぐにも止めると群青色を含んだ瞳を揺らし。
「お前、そこそこいけているんだから。菊に執着するのは止めて、他に彼女の一人でも作れよ。彼女はいいぞ、彼女は。栞告ちゃんの可愛さといったら、何にも変えられないなあ」
「まさかお前の口から、そんな陳腐な台詞を聞く日が来るとは。思ってもいなかったな」
今度は石浜が、ここぞとばかり。ふっと嘲弄染みた息を吐き出させる。
けれど、それは呆気なくも周りの空気に溶けてしまい。すっかりその名残さえも感じられない中、梅吉はむすりと顔を歪ませ。
「なんだよ、せっかく人が親切心で言ってやっているのに。だってお前、引っ込みがつかなくなっちまっているんだろう?」
「まさか」
間髪入れることなく即答する石浜に、しかし、梅吉は疑いの眼差しを緩めさせることはなく。眉間に皺を寄せさせたかと思えば、最早呆れ顔を浮かばせ。
「だったら菊に相手にされないからって、それを俺達の所為にするのは止めてくれないか? 確かに俺達みたいな良い男が間近にいたら、その辺の男なんて。猿程度にしか見えない菊の気持ちも分からなくはないけどさあ」
「なっ……! ふっ……、猿とは言ってくれるじゃないか。確かにお前からすれば、私は不幸かもしれない。ああ、確かに不幸だ。彼女と出逢わなければ、こんな侮辱を受けることもなかっただろうに。
だが、私からすれば、お前達の方が余程不幸に見える。なんせ半分だろうと血が繋がっているんだ、彼女をただの妹としてしか見られないなんて。それは、彼女にとっても……だろう?」
にたりと気味の悪い笑みを浮かばせる石浜に、梅吉はますます瞳を鋭利に磨がせ。
「へえ。お前こそ随分なことを言ってくれるじゃねえか」
「私は正論を述べたまでだが、気を悪くさせてしまったのなら一応謝っておこう。
だが、お前の予想通り、ちゃんと切り札は持っているさ。けど、私にだってプライドはある。だからそれを使うのはあくまで最後の手段であって、今はまだ出すつもりはないが……。いつ出されるか分からないのは、頭に銃を突き付けられている気分とでも言うのだろうか。いっそのこと一思いに撃ってしまった方が、余程楽にしてやれるかもしれないな」
唇の端に浮かばせた嘲笑をそのままに、石浜は一人その場から離れて行く。
次第に小さくなっていく背中を鋭く睨み付けていた梅吉だが、それが角を曲がったことによって見えなくなると漸く緩めさせ。
「使えない切り札なんて、切り札とは言えねえだろうが。
ったく。どうしてウチは、こうも敵が多いんだろうな」
ぼりぼりと、乱暴に頭を掻き毟りながら。そう問い掛けるも、答えてくれる者など誰一人としているはずもなく。
梅吉は天井を見上げさせたまま、無意味にもその場に留まり続け。乾いた音ばかりが、清閑とした廊下に呑み込まれていった。
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