第122戦:君とし見てば 我れ恋ひめやも

「はあっ!? それで、オーケーしちゃったのか……?」



 その日の夜分、梅吉の部屋にて――。


 彼にしては珍しく、目を大きく見開かせたまま。梅吉は、素っ頓狂な音を上げる。


 だが、一方のその音を浴びせられた桜文は、特に代わり映えする様子もなく。



「断るに断り切れなかったと言うか、相手の言うことも一理あるなって。そう思って。取り敢えず、お試しだけどさ。それに、この前、石浜にも言われたしなあ」


「石浜だって? ふうん……。アイツに何を言われたかは知らねえが、まあ、いいんじゃねえの? 自分で決めたことならさ。それで、話はそれだけか」



 梅吉は、横目で桜文のことを見つめながら。ぐびりと手に持っていた缶ジュースに口を付ける。


 その促しに桜文は彼の視線には気付かぬまま、ただ素直に従い。



「いや、それが……。いいよとは言っちゃったけど、でも、付き合うって、どうしたらいいのかよく分からなくて」


「そんなこと訊かれてもなあ。そういうのは人それぞれだ、一概には言えねえよ。女の子が十人いれば、十通りの付き合い方があるってもんよ。みんな違うんだ、当たり前だろう。

 それに、その万乙ちゃんっていう子のこと、俺はよく知らないからな。悪いが的確なことは言ってやれねえよ」


「ふうん、そういうものなのか。付き合うって、難しいんだなあ」


「おい、おい。付き合い出してから、まだ一日も経っていないだろうが。

 取り敢えず、これだけは心得ておけ。いいか、一緒に歩く時は、車道側を歩くこと。それから、デートの帰りは、ちゃんと家まで送り届けること。そして、相手のペースを意識しながら、なるべくゆっくり歩くこと」


「どうしてゆっくり歩くんだ?」


「どうしてって、女の子は男より歩幅が小さいだろう。それに、ミュールとかハイヒールとか、履いている靴によっては歩き難いんだ。だから、歩く速さも遅い子の方が多い。それに、ゆっくり歩いた方が、その分一緒にいられる時間だって長くなるだろう?」


「へえ、成程。梅吉って頭は悪いけど、そういう所はしっかり考えているよな」


「おい。もしかして、それで褒めているつもりなのか?」



 本人としては、全く悪気はないのだろうが、それでもやはり癇に障ってしまい。梅吉は手元にあった枕を掴むと、桜文の顔面目掛け投げ付けた。






✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎






 時は移り、翌日の放課後――……。


「本当、昨日は驚いたよな」

と、隣を歩く竹郎は、昨日の興奮を引き摺っているのか。色濃く滲みた音を上げる。


 今日一日、校内は三男の話題で持ち切りであり。相変わらずの天正家のブランドネームの強さを、牡丹はひしひしと実感する。



「確かにびっくりはしたけど……。元々、果し合いだって聞いていたし。だけど、だからって、そんなに驚くことか?」


「だって桜文先輩、告白されても今まで全部断っていたのに、今更受け入れるなんて。なあ、」



「雨蓮」と、竹郎は問い掛けるものの。しかし、彼の口から返事が紡がれることはなく。


 不審に思い、もう一度。



「おい、雨蓮。どうかしたのか?」


「いや、あれなんだが……」


「えっ。あれって?」



 一体何だと問う前に彼の指先を辿っていくと、複数の男子高校生がこそこそと、電信柱や曲がり角に身を隠し。なにやら前方を窺っているようで。


 傍から見れば怪しい集団のその中に、見慣れた姿を発見し。



「梅吉兄さんに、桜組のみなさんまで。一体何をしているんですか?」


「ん? なんだ、牡丹か。何って、尾行だよ、尾行」


「尾行ですか? 一体誰を……って、桜文兄さん? それに、えっと、あの子は……」



(桜文兄さんに告白していた……。)



 名前は確か那古万乙といったっけと、牡丹は昨日の一件を思い返し。



「一応軽くアドバイスはしてやったが、桜文のことだ。やはり心配でな」


「心配って、何が心配なんですか?」


「そりゃあ、アイツのボケっぷりに決まっているだろうに。あの天然さについていけず、どうせ二、三日で音を上げられるだろうと思っていたが、相手の子もなかなかの強者でさ」


「強者って?」



 どういう意味かと問おうとするも、突然、桜文がこちらを振り返り。何故か牡丹も一緒になって、梅吉等と共に咄嗟に物影へと隠れてしまう。


 桜文は、こてんと首を傾げさせ。



「桜文先輩、どうかしましたか?」


「いや。ここ最近、誰かに見られているような気がして……」



 暫くの間、桜文はじろじろと後方を気には掛けていたものの。気の所為かと、直ぐにも前に向き戻る。



「そう言えば、先輩の家ってこっちの方角なんですか?」


「ううん。違うけど、梅吉に言われたんだ。女の子は、ちゃんと家まで送り届けろって」



 そう口にした直後、後方から小石が飛んで来て。それは桜文の頭に、こつんと見事命中する。


 桜文は、またしても振り返り。



「ちょっと、梅吉兄さん。何をしているんですか!? 危ないですよ、石なんか投げたら」


「なに、アイツは頭に瓦が当たったって平気だよ。

 ったく、余計なことを言うんじゃねえよ。ムードのない奴だなあ」


「先輩、どうかしましたか?」


「いや、頭に何か当たった気がしたんだけど」



 気の所為かと、またもやそう判断すると。桜文は隣を歩く万乙へと向き直り。



「えっと、あのさ。付き合うって俺なりに考えてみたんだけど、でも、やっぱりよく分からなくて……。

 具体的に、どうしたらいいのかな?」


「それなら大丈夫です! 私もよく分かりませんから」



 きっぱりと述べる万乙に、桜文はへらりと笑い。



「そっかあ。万乙さんも分からないのか」


「はい。なので、船居ちゃんに相談したら、とにかく一緒に帰れと言われました。それから、勝負下着を付けろとも言われました」



 瞬間、噴き出す牡丹の横から、突然、

「あの子はー……!」

と、一応声は抑えさせているようだが、しかし。いつの間にか、今にも飛び出したいだろう衝動に駆られている様子の女生徒が傍らにあり。



「あ、昨日の……」


「なんだ。この子、牡丹の知り合いか?」


「いえ、別に知り合いというほどでは。えっと……」



 牡丹の視線の意味に気付いたのだろう、彼女は軽く頭を下げ。



「アタシは武蔵むさし船居です。そうですね、あの子の保護者みたいなものです」


「ああ。君が桜文を口説き落とした子か」


「口説いたって、変な言い方しないで下さい。

 まあ、自分で言っておいてあれですが、でも、まさか本当に付き合ってもらえるとは。思ってもいませんでした。とは言っても、今はまだお試し期間ですが。世の中、言うだけ言ってみるものですね」



 牡丹達の方で、そんな遣り取りがなされている頃。桜文サイドでは、万乙はしれっとした顔で。



「でも、勝負下着の意味が分からなくて。船居ちゃんに訊いたんですけど、自分で調べろって怒られちゃいました」



 すると、船居は顔を真っ赤に、腰を上げ。



「あの子は本当に……!」


「わーっ、ストップ、ストップ! 今出て行ったら、尾行していたことがばれちゃうよ!」


「そうですよ、姉御。牡丹殿の言う通りです、落ち着いて下さい!」


「誰が姉御だ!? 人を変な風に呼ぶな!」



 数人の組員の手によって船居が押さえ込まれている中、一方で桜文もしれっとした顔で。



「勝負下着? そうだなあ。『力戦奮闘』とか書いてあるパンツのことじゃない?」



 刹那、ゴンッと鈍い音が鳴り響き。梅吉は、ぐらぐらと揺れる脳内をそのままに、コンクリート塀に預けた頭をゆっくりと起こし上げ。


「駄目だ、あの馬鹿……」

と、小さな音で呟いた。


 とにもかくにも、牡丹等の尾行は続けられ。公園を通っていると、不意に香ばしい匂いが鼻を擽り。



「あっ、たい焼き屋さんだ!」


「たい焼き好きなの?」


「はい。甘い物ならなんでも好きです!」



 万乙の兎の耳みたいな髪の束が、ぴょこぴょこと軽やかに動き。二人は屋台の前へと移動する。


 が――。



「良かったね、お嬢ちゃん。お兄ちゃんに買ってもらえて」



(内心では思っていたけど、誰一人として言えなかったことを……!)



 そんなにもあっさりと……と、牡丹並びにその場の全員が思っている中。万乙は、むすうと口先を小さく尖がらせ。



「妹じゃないもん……」


「そうだよね。えっと、仮の彼女? だよね」


「へ、へえ、そうなんだ。兄ちゃん、人の良さそうな顔をしているのに……」



 見掛けに依らず……とでも言いたげに、おじさんは出来立てのたい焼きを二人へと手渡す。


 その様子に、梅吉はげんなりと眉を歪ませる。



「あの馬鹿。たい焼き屋のじいさん、絶対に意味を誤解しているぞ」


「梅吉の兄貴。俺達、ちょっとあの親父を締めて来ます」


「締めて来るって、駄目ですよ、そんなことしたら!?」


「ですがアイツ、兄貴の彼女のことを侮辱したんですよ!?」



 今度は組員揃って飛び出しそうになるのを、牡丹はどうにか押さえ込ませ。代わりに大量にたい焼きを購入するという、一見売り上げに貢献している嫌がらせで済ませさせ。



「このたい焼き、美味しいです」


「うん。今はカスタードとかチョコとか色んな味が出ているけど、でも、やっぱり餡子が一番しっくりくるなあ」


「はい。餡子、とっても美味しいです」



 桜文と万乙は、二人は並んでベンチに腰掛け。熱々のたい焼きに噛り付いており。



「うーん。ラブラブと言うより、ほのぼのと言うか。いや。ほのぼのを通り越して、ぼけぼけだな……」



 定年後の老夫婦みたいだと、彼等の背後には薄らと築三十年の住宅の縁側が見え。



「天然同士、上手く波長が合っているんだろうな……」



 あれはあれでお似合いだと、最早お手上げとばかり。梅吉は、たい焼きを齧りつつも。乾いた息を吐き出すと、呆れ顔でそう漏らした。

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