第117戦:風吹けば 沖つしら浪 たつた山
和気藹々とした雰囲気が流れているリビングで、牡丹はその場に突っ立ったまま瞬きを数回繰り返し。
「百中って……」
(確か菖蒲の旧姓で、それから……、)
鄙勢ばかりに気を取られ。彼女の言葉によって漸く気付いた第三者の存在に、牡丹の瞳はつい釘付けとなり。その所為だろう。丁寧な仕草で頭を下げる彼女にやや遅れて、彼も急いで大きく頭を振り下げた。
「……って。どうして御厨が、菖蒲の従妹のことを知っているんだよ!?」
「それはねえ。私、菖蒲くん宛ての百中さんからの手紙を駄目にしちゃったのよね。結局、川に落ちた時に濡らしちゃって。けど、封筒に書かれていた住所は辛うじて読めたから、お願いしたのよ。もう一度、菖蒲くんに手紙を書いて下さいって、彼女に手紙を出して。
それがきっかけで連絡を取り合うようになって。どうせなら一緒に見舞いに行かないかって、私が誘ったの」
「誘ったって……」
「ウチの会長、行動力だけはありますから。
百中さんも、本当に済みませんねえ。会長が無理矢理連れて来てしまって」
「いえ、そんなことは。それよりも、突然お邪魔してご迷惑でしたよね。済みません」
「あ、いや。そんなことは」
つい彼女のことをじろじろと見てしまっており。跋の悪い顔を浮かばせると、牡丹は咄嗟に目を逸らす。
しかし、それでも気になるものは、やはり気になってしまい……。ちらちらと見てしまっている牡丹の耳元に、日光はそっと顔を寄せ。
「従兄妹同士なだけあって、先輩と雰囲気が似ていますよね。美人で儚げで、守ってあげたいタイプって、ああいう人のことを言うんですね。うん、うん。ウチの会長とは大違いだ。しかもあの制服、
「香清女学院?」
「県内では有名な、名門のお嬢様学校です」
「へえ、そうなんだ。でも、制服を見ただけでよく分かるな。俺にはさっぱりだよ」
「俺もそんなに詳しい訳ではありませんが、ワンピースにボレロを羽織るタイプの制服は、あまりないですからね」
淡々と説明する日光に、牡丹は今一度、感心し。
そんな遣り取りをしていた彼等の横で一人お菓子を食べ続けていた鄙勢だが、満足したのか。軽い息を吐き出させると、急に立ち上がり。
「さてと、腹ごしらえも終わったし。それじゃあ、そろそろ行きますか」
「へっ!? 行くってどこに……」
「牡丹くんってば、何を言っているのよ。菖蒲くんの部屋に決まっているじゃない。お見舞いに来たんだから」
「変なの」と、けらけらと笑い出す鄙勢の前に。牡丹は慌てて飛び出して。
「わーっ!?? ストップ、ストップ!」
「わっ、びっくりした。牡丹くんってば、突然どうしたのよ?」
「菖蒲の部屋に行ったら駄目だ!」
「なんで?」
「なんでって、それは、その……。あっ。ほら、風邪が移っちゃうと大変だろう?」
「少しくらい平気よ。相手は病人だし、長居するつもりはないしね。
ほら、百中さんも行くわよ」
「えっ。私もですか?」
「当たり前じゃない。何の為にここまで来たのよ。菖蒲くんに会いに来たんでしょう?」
鄙勢に背中を押され。衣伊はおずおずと、尻込みしながらも一緒になってリビングを出て行く。
そんな彼女達の後ろ姿を恨めしそうに眺めつつも、牡丹は咄嗟に兄達へと向き直り。
「兄さん達も見ていないで、止めるの手伝って下さいよ!」
「そんなこと言われたってなあ。俺はいつだって女の子の味方だし」
「兄さんは弟より、女の子を取るんですか!?」
「まあな。だって、それが俺のポリシーだし」
いつもと変わらず平然とした調子の兄達に、牡丹は頬を膨らませ。
「分かりました、分かりましたよ。兄さんには頼りません!」
啖呵を切ると、急いで彼女達の後を追い掛けて。
「おい、御厨。だから、駄目だってば」
「なによ、少しくらい良いじゃない。百中さん、わざわざ遠くから来てくれたのよ。会わずに帰るなんて可哀想でしょう」
「それはそうだけど……。でも、やっぱり駄目なものは駄目だ!」
一瞬、流されそうになってしまったものの。牡丹は首を左右に振り回して調子を取り戻すと、駄目だとそればかりを繰り返す。
そんな彼に、鄙勢はむすりと眉間に皺を寄せさせ。彼女がぱちんと指を鳴らすと、牡丹の後ろに黒い影が迫ると同時、がばりと羽交い絞めにされてしまい。
「うわっ、ちょっと……!」
「済みません。俺、会長には逆らえないんですよ」
「さすが、日光。それでこそ私のサポート役よ。そのまま牡丹くんを抑えていなさい。
ええと、菖蒲くんの部屋は……っと、あった、あった。ここよ、ここ」
牡丹の頑張りも虚しく、とうとう菖蒲の部屋の前まで着いてしまい。
鄙勢はわざとらしく一つ咳払いをすると、扉を数回、手の甲で軽く叩き。
「天正くん、お見舞いに来たわ。開けるわよ」
そう言うやドアノブに手を掛け、扉を開けようとするも。
「あれ、開かない。鍵でも掛かっているのかしら?」
ガチャガチャとドアノブを弄っては押し開けようとするものの、やはり敵わず。鄙勢は首を傾げながらも扉に向かって声を掛け。
「天正くん? おーい、天正くんってばー!」
ドンドンとしつこく叩きまくりが、全く効果はなく。その様子に、牡丹は一人こっそりと安堵の息を吐き出させる。
「ねえ、牡丹くん。外から開ける方法はないの?」
「鍵は内側からしか掛けられない構造になっているから無理だよ」
「そんなあ。ちょっと、天正くん。天正くんってば!」
「おい、御厨。菖蒲は病人なんだから」
嘘だけど……と、心の内で呟きながらも。牡丹は執拗に扉を叩き続けている鄙勢をどうにか止めようと努めるも。
「ちょっと、天正くんってば!
……ねえ。もしかして菖蒲くん、意識がないんじゃないの?」
「まさか、そんな訳ないだろう。寝ているだけだって」
「でも、これだけ呼び掛けても応えないなんて。いくらなんでもおかしいわよ。救急車を呼んだ方がいいわよ」
今にも電話を掛けそうな鄙勢の様子を察したのか。漸く中から、がたんっと鈍い音が聞こえ。
そして、扉越しにぼそぼそとか細い声が後へと続き。
「あの……!」
「ん……? あっ、天正くん? ちょっと、大丈夫?」
「はい、大丈夫です。済みません。その、少し寝ていたもので。
それで、わざわざ家にまで来るなんて。一体何の用ですか?」
「何って、お見舞いに来たのよ。そういう訳だから、早く鍵を開けてよ」
「そういうことでしたら、お引き取り下さい」
「はあ……?」
「いえ。風邪を移してしまっては悪いので、お気持ちだけ受け取らせて頂きます」
「少しくらい平気だってば。心配性ねえ。それに、百中さんもいるんだから」
「百中って……。
成程。そう言うことでしたら、尚更お帰り下さい」
短い遣り取りながらも、事態を把握したのだろう。菖蒲はきっぱりとした声でそう返す。
淡泊な彼の反応に、鄙勢はむっと口を尖らせ。
「なっ!? なによ、それ……。
そりゃあ、勝手に百中さんに連絡を取って、連れて来たのは悪かったとは思っているわよ。彼女から色々と事情も聞いているし。でも、いい加減、腹を括りなさいよ! なによ。風で手紙が飛ばされた時、未練たらたらの顔をしていた癖に!
本当は、会いたかったんでしょう? 素直になりなさいよ!」
鄙勢はますます声を荒げさせ、扉を強く叩き続ける。
いつになったら諦めてくれるだろうかと、牡丹も日光も、おそらく扉の向こうの菖蒲までも。揃って顔を苦めさせていると、突然、透き通った声がその場に強く響き渡り。
「あの、済みません。場所を変わってもらってもいいですか……?」
「えっ? はい」
「どうぞ」と、鄙勢が扉の前を譲ると、衣伊は静々とそこへと立ち。すうと吸い込ませた息を吐き出させるや、瞳はきっと鋭い刃の如く尖り。
刹那――。
「いい加減にしろーっ!!」
と、怒声を上げながら。勢いよくドアを蹴り上げた。
ドンッ――! と廊下中に鳴り響いた鈍い音に、牡丹等は思わず呆気に取られ。ぱちぱちと、瞬きを数回繰り返す。
けれど、やはり目の前で起こった出来事をいま一つ信じられず。牡丹はただぽかんと。間抜けにも、口を半開きにさせ続けた。
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