第111戦:かづらくまでに 里とよめ
牡丹の犠牲によって、その場はどうにか一旦落ち着き。再び彼の部屋にて仕切り直されるも。
「梅吉兄さんと関わると、やっぱり碌な目に遭わない」
と、赤くなっている鼻をそのままに、牡丹はむすりと顔を顰めさせる。
「なんだよ。人のことを疫病神みたいに言いやがって。いつもタイミングの悪い、お前がいけないんだろうが」
「うっ、それは……。悪かったですね、タイミングが悪くて!」
「まさかこの騒ぎの原因が、菖蒲の女性恐怖症を治す為だったとは……」
「あれ。もしかして、藤助兄さんも知っていたんですか? 菖蒲の女性恐怖症のこと」
「うん。知っていたってほどではないけど、なんとなく。菊がウチに来るって話が出た時、菖蒲、やけに動揺していたし、一緒に住むようになってからも暫くの間は、ずっと緊張していたみたいだったから」
そう淡々と述べる藤助に、一人隠していた気である菖蒲としては居心地が悪いのだろう。部屋の隅っこで跋の悪い顔を浮かばせており。
「へえ、そうだったんですね……って。なあ、菖蒲。女の子が恐いってことは、菊に対してもそうなのか?」
「いえ。菊さんは半分ですが血の繋がりのあるれっきとした妹ですし、彼女と関わること自体少ないですから。特にそこまで恐いとは感じていません。
まあ、敵に回さない方がいいというような意味では、恐い存在には変わりないですかね」
「ははっ、そうだな……」
牡丹はつい先刻のできごとを思い返しながら、彼の意見に同意しつつも薄らと苦笑いを浮かばせ。
忘れかけていた鼻の痛みまで思わず思い出してしまっている中、いつの間にか藤助も加わっての第二ラウンド開始。
「女性恐怖症を治す方法か……。やっぱり実際に女の子と関わって、少しずつ慣れていくのがいいんじゃないかな?」
「さすが藤助兄さん。梅吉兄さんなんかとは違って真面な意見ですね」
「おい、牡丹。それはどういう意味だよ」
「わざわざ俺に訊かなくても、自分が一番良く分かっているんじゃないですか?
それで、問題は相手をしてくれる女の子ですよね……。あっ、そうだ。神余にお願いしたらいいんじゃないですか? 元々仲が良かったし……って、そう言えば。
菖蒲、神余とは普通に話していたよな?」
「そうですね。彼女の場合、女性という意識よりも同じ趣味を持つ同胞のような意識の方が強く働いていたので、おそらくは……」
「えっと、それってつまり神余のこと、女の子として見ていなかったってこと?」
「……そういうことですかね」
しれっとした顔で返す菖蒲に、牡丹は首を傾げさせ。
「ううんと、つまりたとえ相手が女の子でも、そう意識しなかったら平気ってことなのか?」
「そうですね。相手の顔さえはっきりと見なければ、ある程度の会話くらいならどうにか……」
「おい、おい。なんだよ。それじゃあ、まるで栞告ちゃんに魅力がないみたいじゃないか。
まあ、どちらにしても栞告ちゃんは駄目だ。いくら可愛い弟の為とは言え、俺以外の男に触らせる訳にはいかないからな」
「触らせるって、別に会話する程度ですよ? でも、元々仲の良い神余が相手だとあまり意味ないか」
一同は、再び困惑顔を突き合わせ。腕を組んで頭を捻らせ出すが。
「ううん、口が堅くて信用できて、尚且つ協力してくれそうな女の子か……」
「そうですよね。菖蒲だって、なるべく人に知られたくはないもんな」
「そんな都合の良い女の子なんて――」
梅吉と藤助は、同時に顔を上げ。互いのそれを見合わせると、またしても揃って牡丹へと視線をずらし。ただただじっと見つめ続け。
「えっ、へっ?
えっと、あの……」
訳が分からずぱちぱちと無駄に瞬きを繰り返している牡丹を一人置いてけ堀に、二人の中では勝手に話が進んでいき。
「えっ。私に頼みごとですか?」
時は移り、次の日の放課後――……。
人気のない裏庭で、紅葉はきょとんと目を丸くさせる。
そんな彼女の円らな瞳を見つめ返したまま、牡丹は些か口籠りながらも後を続け。
「うん。できたら紅葉に協力して欲しいことがあるんだけど」
「はい! 私でお役に立てるのなら」
躊躇しがちな牡丹とは裏腹、「なんでもします!」と。紅葉は間髪入れることなく、瞳をきらきらと輝かせて即答する。
牡丹さんが頼ってくれるなんて……! と、半ば別世界へと行き掛けている彼女を余所に。牡丹はちらりと草陰に身を潜めている昨夜のメンバー達へと視線を送ると、その内の一人である梅吉は親指を立てていた。
「あの。それで私は一体何をすればいいんですか?」
「ああ、それなんだけど。この依頼内容については絶対に、誰にも口外して欲しくなくて……」
「誰にも言わなければいいんですね? 分かりました。絶対に誰にも言いません!」
そう強く宣言をする傍ら、紅葉はまたしてもうっとりとし出し。
(それってもしかして、私と牡丹さんだけの秘密かしら?)
と、再び別世界へとトリップしている紅葉の前から、牡丹は草陰へと移動し。
「話は着けて来ましたが、どうして俺から頼まないといけないんですか? こういう交渉は、梅吉兄さんの方が得意じゃないですか」
「まあ、まあ。細かいことはいいじゃないか。それより話も着いたんだ」
早速作戦開始だと、梅吉はその場に噛り付いている菖蒲を無理矢理引き剥がし。彼の眼鏡を奪うようにして取ると、そのまま紅葉の前へと突き出す。
「えっ? えっと、菖蒲さんとお話をすればいいんですか?」
「そう、そう。コイツ、実は女の子が苦手でさ。慣れさせる為に、適当に会話してくれるだけでいいから」
「おい、菖蒲。……大丈夫か?」
「はい、どうにか……」
口先ではそう言うものの、傍目から見ても全然大丈夫ではなさそうだと。既に蒼白い顔をさせたまま必死に目元を手で覆っている菖蒲に、牡丹は既に不安しかない。
「あの、兄さん。やはり眼鏡は返して下さい」
「おい、おい。何を言っているんだよ。眼鏡を掛けていたら意味ないだろうが」
「しかし……」
「大丈夫だって。相手は紅葉ちゃんだぞ。眼鏡を掛けているつもりで、どーんと行け!」
梅吉に強く背中を叩かれ、菖蒲は渋々ながらもベンチへと、紅葉の隣に腰を下ろす。
しかし、一向に口を開く気配を見せず。それ所か微弱ながらも全身を震わせている彼に、紅葉の方が困惑顔を浮かばせ始める。
「あの、菖蒲さん。本当に大丈夫ですか?」
「はい。済みません、ご迷惑をお掛けして……」
「いえ、そんなことありませんよ。それより、少し横になった方がいいんじゃないですか?」
ちっとも発展の兆しが見られそうにはない菖蒲の様子に、草陰から見守っていた牡丹達は揃って小さな息を吐き出させ。
どうしたものかと思案顔を浮かばせている頃、その裏庭と接している校内の廊下にて。
鞄を肩に掲げ一人歩いていた萩だが、ちらりと窓ガラス越しに目に入った光景に、思わず自然と足を止めさせ。
「ん? アイツは確か、牡丹の兄弟の……」
(いつもは眼鏡を掛けている、真面目腐った奴だよな。そんな奴が、どうして紅葉さんと一緒にいるんだ?)
窓ガラスにぴたりと顔をくっ付けて。じろじろと遠目から菖蒲と紅葉の様子を観察もとい盗み見ていると、急に二人の距離が縮まり出し。
心配げに菖蒲の顔を覗き込む紅葉だが、それが反って彼にとっては毒になっているとは露も思わず。菖蒲はますます血の気を引かせていくと、ふらりと彼女の方に向かって倒れ込む。
「なっ、あのインテリ眼鏡野郎! 興味のなさそうなふりをして、実は紅葉さんのことを狙っていやがったな……!」
一体どんな料簡だと、萩は握り拳を更に強く握り締め。素早く窓を開けるとそこから飛び出し、どかどかと足を踏み締めながらも二人の元へと走って行く。
が。
彼の脇からもう一つ、同じタイミングで黒い人影が飛び出しており。
「やっと見つけたわよ、天正くん! 今日こそ話を聞いてもらうんだからー!」
「おい、そこのインテリ眼鏡! てめえ、よくも紅葉さんに手を出しやがったな……!」
「ちょっと。どいてよ、足利くん! 私は天正くんに用があるんだから」
「俺だって眼鏡野郎に用があるんだ。お前こそ邪魔するなよ」
「なによ。邪魔をしているのは、そっちじゃない!」
ばちばちと激しい火花を散らしながらも、二人は目的の場所へと向かって行き。
「天正くん!」
「インテリ眼鏡野郎!」
「今日こそ生徒会に……!」
「今すぐ紅葉さんから離れろ!」
「えっ。萩さんに生徒会長さん?」
一体何の用だと訊ねるよりも先に、二人はスピードを落とすことなくそのまま突進し。上手くその手前で止まれた萩とは引き替え、鄙勢はブレーキの壊れた自転車みたく、そのまま真っ直ぐ突っ込んでしまう。
ばったーんと盛大な音と共に、ベンチごと後ろへと引っ繰り返り……。
「いたた……。
あれ、天正くん? ごめんね、上手く止まれなくて。怪我してない?」
鄙勢は菖蒲の腹の上に乗ったまま、ぐいと顔を近付けて。覗き込むも、一方の菖蒲はぱちぱちと、数度瞬きを繰り返し。繰り返すも、そのままふっ……と意識を手放して。
「え……、天正くん……? 天正くん、どうしたの? ちょっと、天正くんってば!」
鄙勢に胸倉を掴まれて。ぐらんぐらんと揺れている菖蒲の元に、牡丹は小走りで駆け寄りながらも。
なんだかますますややこしいことになりそうだと。晴天の空の下とは不釣り合いな、乾いた息を吐き出させた。
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