第110戦:菖蒲草 花橘を 貫き交じへ

 そんなこんなで、夕食後。一同は、牡丹の部屋へと集結し。


「えー、それでは、これから『第一回菖蒲くんの女性恐怖症を治そう作戦会議』を開始する」

と、一人やる気満々な梅吉とは引き替え。牡丹は勿論、当の本人である菖蒲さえ、げんなりとした面を浮かばせている。



「おい、おい。なんだよ、そのテンションの低さは」


「だって……。梅吉兄さんと関わると、いつも碌な目に遭わないんですもん。それに、菖蒲自身乗り気でないのに。

 大体、どうして梅吉兄さんは、そんなに張り切っているんですか?」


「それはだな。女を知らないなんて、人生を損しているようなものだ。可愛い弟に、そんな不憫な思いをさせるのは可哀想じゃないか」



 そう述べる梅吉に、牡丹は猜疑の色を浮かばせるが。疑っていても仕方がないかと、取り敢えずは割り切らせ。


 今度は首を傾げさせると、梅吉の脇に置かれている雑誌の束を指差して示し。



「さっきから気になっていたんですけど、なんですか? その荷物は」


「ああ、これか? さすが牡丹、目が高いな。おこちゃまに見えても、お前も男だったんだな」


「はあ? 一体何を……」



 言っているんだと、牡丹が言い切るより前に。梅吉は、にやにやと気味の悪い笑みをそのままに。


 一冊の雑誌を手に取ると、適当なページを開いて見せ。刹那、牡丹の顔は見る見る内に赤く染まっていき……。



「ギャーッ!??

 いきなり何を見せるんですか!」


「何って、女が怖いという認識を変えさえすればいいんだろう? これはその為の道具だよ、道具」


「道具って、そんな雑誌で一体どうするつもりなんですか!?」



 きゃんきゃんと吠え立てる牡丹に、梅吉はぴらぴらと。相変わらず、肌色ばかりの――所謂青少年向けの雑誌を動かして見せる。



「まさかお前等、見たこともなかったのか? 持っていないのは知っていたが……。ううん、お兄ちゃんは二人の将来が心底心配だなあ」


「そんな心配しなくていいです! それより、早くその本を閉じて下さいよ」


「おい、おい。何をそんなに恥ずかしがっているんだよ。

 いいか、牡丹。人間は、綺麗な物に魅かれる習性があるだろう。金銀や宝石、花々に美術品、それから、女性の裸体――!

 そう、女の裸体は一種の芸術品だ。昔から、絵画や彫刻のモチーフにもされている。それは何故か。答えは簡単、美しいからだ。美しい物に魅了されるのは人間の性であり、男がこういった本を読むのも自然の摂理と言う訳だ」



「だから恥ずかしがる必要は一切ない」と豪語する兄に、牡丹は呆れ顔を浮かばせることしかできず。


 頭を抱えさせて蹲っている菖蒲の姿を、目の端に留めさせながらも。



「だから、どうして女性恐怖症を治すのに、そんな本が必要なんですか! 今は関係ないじゃないですか」


「ふっ。甘いな、牡丹。いいか。男と女の明白な違いと言えば、身体を見れば一目瞭然! 男にはない女の魅力が分かれば、女の子を恐いだなんて思わなくなるだろう?

 と言う訳で。ほら、好きな物を選んでいいぞ」



 これなんかどうだと、ぐいぐいと無理矢理雑誌を押し付けてくる梅吉に、牡丹は鬱陶しげに押し返して。



「ちょっと、本当に止めて下さいってば!」


「なんだよ。男同士、恥ずかしがることないだろう」


「だから、そういうことじゃなくてっ……!」



 二人のくだらない攻防戦が続く中、突然、外側から扉が開き。



「もう、何を騒いでいるんだよ。夜も遅いんだから……って……」



 部屋に入るなり、瞬時に状況を把握したのだろう。藤助はにこりと満面の――けれども、固い笑みを浮かばせて。



「梅吉……。

 没収」



 そう言うや藤助は腰を下ろし、床に散らばっている雑誌を掻き集め出す。その背中に梅吉は、いつもの調子で飄々と。



「なんだよ。藤助も見たいなら、素直にそう言えよなー。いつでも貸してやるのに」


「そんな訳ないだろう。弟にこんな本を見せるなんて信じられない。

 ええと、次の資源回収日はいつだったかなあ」


「おい、おい。まさか捨てる気か? 俺は別に構わないがー……。

 だってそれ、じいさんの物だし」



 刹那、藤助はぴたりと動きを止め。


 そんな彼の反応を確かめると、梅吉は再び口を動かして。



「勝手に自分の物を捨てられたら、じいさん、どう思うだろうなあ。あーあ、大切なコレクションだろうに。さぞや残念がるだろうよ」


「ちょっと、嘘吐かないでよ! 天羽さんがこんな雑誌、読む訳ないじゃん!」


「おい、おい。じいさんだって男だぜ? それに、ずっと一人身で寂しい盛りだろうに。たとえこういう雑誌を持っていても、おかしくないと思うけどなあ」


「やっぱり嘘なんじゃないか! 信じられない。暫くの間、梅吉は夕飯抜きだから」


「おい、それは狡いぞ! 最近、何かあればそうやって、直ぐ人を脅すようになって。悪い癖だぞ」


「なんとでも言えば。あんな嘘吐くなんて、絶対に許さないから」



 藤助は、一切聞く耳を持たず。それ以上は口を開くことなく、ただ黙々と雑誌を集めていく。


 その威圧的な背中を、牡丹はただ遠目から眺めるばかりで。黙ってその様を見守っていると、ふと廊下からとたとたと軽快な音が鳴り響き。開きっ放しだった扉の隙間から、ひょいと大きな瞳が四つ覗かせ。



「お兄ちゃん達、何してるのー?」


「おっ、芒。なんだ、なんだ。嗅ぎ分けて来るなんて、もしかしてお前も興味あるのか? なんなら特別に見せてやるぞ」



 今にも芒に雑誌を見せようとしている梅吉に、藤助は間髪入れずに声を上げ。



「ちょっと、何を言っているんだよ。

 芒は見ちゃ駄目!」


「えー。どうしてー? なんで駄目なの?」


「どうしてって、それは、その……。芒にはまだ早いからで……」



 藤助は咄嗟に梅吉の手から雑誌を奪うと背中へと隠し。ぐいぐいと真ん丸の瞳を差し向けて来る芒に、しどろもどろながらもどうにか後を続けさせる。



「藤助。男っていうのは、みんなこうして大人になっていくもんだぜ?」


「うるさいっ、芒はまだ大人にならなくていいの! 梅吉はちょっと黙っていてよ。

 芒も、ほら。もう寝る時間だろう」



 部屋から追い出そうとする藤助に、芒はむすうと風船みたく頬を膨らませ。



「むう、別にいいもん。どうせエッチなことなんでしょう。

 行こう、満月……って、あれ、満月?」



 きょろきょろと辺りを見回す芒に倣い牡丹も首を左右に振ると、回収し切れずにいた雑誌を銜えている満月の姿が目に入り。



「あっ、おい。こら、持って行っちゃ駄目だろう!」



 牡丹が注意するも、満月が素直に彼の言うことを聞く訳もなく。とたとたと、小走りに部屋から出て行ってしまう。


 その後を牡丹は追い掛けて。



「おい、満月。駄目だってば。待てって、このっ……!

 ……ふう、やっと捕まえた……って、あれ。満月、雑誌はどうしたんだ?」



 満月を抱え上げ彼女の口元を見るも、先程まで銜えていたはずの雑誌は見当たらず。


 こてんと首を傾げさせると同時、不意に頭上に薄らと影が掛かり。その暗闇に嫌な予感を覚えながらも、牡丹はゆっくりと顔を上げていき……。



「げっ、菊……」



 そう漏らした瞬間、バシンッ――! と、牡丹の顔面に見事例の雑誌が直撃し。


「変態!」

と、ただ一言。それだけ言い放つと、菊は自室へと入り。ばんっ! と思い切り扉を閉める音ばかりが、虚しくもその場に強く響き渡った。

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