第084戦:紫に やしほ染めたる 菊の花
コンテストは、どうにか無事(?)に終了したものの――。
明史蕗はちらりと、とある一点に視線を向け。
「足利くん、大丈夫かしら? すっかり意気消沈しているけど……。
せっかく優勝できたのに、ちっともお祝いする雰囲気ではなくなっちゃったわね」
「そうだなあ。いっそのこと、足利を励ます会にでもするか」
と、竹郎も声を潜めながら。どんよりとした空気をまとっている萩へと視線を送る。
いつまでもうじうじとしている彼の様子に、明史蕗は若干の苛立ちを覚えながらも。
「もう、足利くんってば。大丈夫だって、そんなに気にしなくても。みんなただの演出としか思っていないから。いつまでへこんでいるのよ」
「ああ、古河の言う通りだ。甲斐さんに訊いたが、彼女、演劇部の打ち合わせで席を外していて、コンテスト自体見ていなかったってさ」
「あら、そうなの? それは良かったじゃない。
牡丹くんにも内緒で決めた演出で、私がああいう風に言うよう足利くんに伝えたって。そういうことにしといてあげたんだから」
「いい加減、元気出しなさいよ!」と、明史蕗に思い切り背中を叩かれながら。萩は励まされるも、然程効果はなく。相変わらず死んだ魚のような目をしている。
これ以上はどうしようもないと、二人揃って匙を投げた所で牡丹が姿を見せ。
「おっ、着替え終わったのか。お疲れさん。けど、せっかく似合っていたのに、もう脱いじゃうなんて勿体ないなあ」
「うるさいなあ。いつまでもあんな格好していられる訳ないだろう」
牡丹はむすっと眉間に皺を寄せながらも、空いているスペースに腰を下ろす。そして、壇上の方を眺め。
「それで。プログラムの方は、どうなっているんだ? どのクラスの演劇もコンテストも終わったし、今日はもうお開きか?」
「おい、おい、何を言っているんだ。これから丁度、本日の取り、メインイベントが始まる所だろう」
「メインイベントだって?」
こてんと首を傾げさせる牡丹に、竹郎は納得顔で。
「ああ、そっか。牡丹は編入生だから知らないのか。いいか、これから始まるイベントは、この祭典一の名物でもあるんだぞ」
と、何故か得意気に。にやにやと気味の悪い笑みを浮かばせた。
✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎
一方、同時刻――。
体育館前の廊下にて。紅葉はふんふんと鼻唄を口遊みながら、軽い足取りで廊下を歩く。
そんな彼女の様子に、隣を歩く菊はやや呆れた表情を浮かばせ。
「何をそんなに浮かれているのよ」
「だって、楽しいじゃない。お祭りみたいで。それに、明日の部の公演も、とっても楽しみだし」
ふふっと柔らかく微笑む紅葉とは裏腹、菊はやはりいつもの無関心な顔を突き合わせる。
そんな彼女を余所に、紅葉は体育館の扉をそっと開け。館内に入ると、マイク越しの声が聞こえ。
『えー、続きまして、
「あっ、良かった。まだ始まっていなかったんだ。私、これ見たかったんだよね」
「庚姫コンテスト……? なに、それ」
「あれ。菊ちゃん知らないの? 庚姫コンテストって、世間一般的に言うミス・コンテストのことなんだけど、庚姫伝説ってあるじゃない? 明日の劇のモデルにもなっている、伝説に出て来るお姫様――庚姫の名前から取って、庚姫コンテストって名称なの。
まだ参加者を募集しているみたいだし、せっかくだから菊ちゃん出たら?」
「嫌よ、面倒臭い。そう言う紅葉が出たらいいじゃない」
「私には無理だよ。それに、恥ずかしいし。
今年は参加者が少ないから、実行委員の人も勧誘に必死みたいだね」
そんな紅葉の声に応えたのか。
『なお、庚姫に選ばれた方には、豪華賞品をプレゼント致します』
と、相変わらずの宣伝文句が続けられる。だが、その“賞品”という単語は、思いの外、効果を発し……。
今まで無関心であった菊の耳が、ぴくりと微かにだが動いた。
「ねえ、紅葉。……賞品が出るの?」
「えっ? うん。庚姫に選ばれれば、今年は確かハーゲンダーツアイスの無料券がもらえるはずだよ。それと……って、あれ。菊ちゃん?」
紅葉は辺りを見回すものの、しかし、お目当ての姿は見当たらない。
ふと頭を過ぎった考えに、彼女は、「まさか……」と。小さな声で呟いた。
✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎
一人その場に置いて行かれてしまった紅葉から所変わって、また牡丹へと戻り。
「それで。なんなんだよ、そのメインイベントって」
と。先程から勿体ぶっている竹郎に、じれったさを感じながら。一体何度目になるだろうか、彼に詰め入るようにして牡丹は問い質す。
そんな彼のしつこさに、竹郎が折れるのも時間の問題であり。
「さっきから実行委員が呼び掛けている、庚姫コンテストって言うのがそうなのか?」
「ああ、そうだよ。簡単に言えばミスコンのことなんだけど、昔、ここには
「ふうん、お姫様ねえ。だからミスコンじゃなくて、庚姫コンテストって言うのか。
けど、お姫様の名前を取るなんて、随分と恐れ多い気もするけど」
「ああ。それは、その姫様にまつわる伝説が絡んでいるからなんだよ」
「伝説だって?」
牡丹の質問に、竹郎が続きを語ろうとするも。突然、館内中の明かりがふっと消え。その場は闇に包まれるが、直ぐにもステージ上のライトが付き。それに合わせて会場は静まり返り、観客達の視線は自然とステージへと向けられる。
「おっと、いよいよ始まるみたいだな。
ふうん、コンテストに出る自信があるだけに、やっぱりどの子も可愛いな。特に五番の子は、一際輝いて見えるな……って、おい、牡丹。あれ見ろよ、あれ」
「はあ? あれって、どれだよ」
「だから、あれだよ、あれ。五番の子! あれ、天正菊じゃないかっ!?」
「えっ、菊だって? まさか。菊がこんなコンテストに興味持つ訳……」
「いいや、あれは天正菊だ! 五番だよ、五番。五番の子をよく見ろ!」
ぐいと身を乗り出し、とある一点を力強く指差す竹郎に従い。牡丹は半信半疑ながらもその指先を追うと、そこには見慣れた姿が待ち受けていた。
その信じ難い光景に、驚きを隠せないでいる牡丹を余所に。既に観客達の視線は、一人の女生徒へと集中しており……。
「へえ。まさか、天正菊が出るなんて。これは、彼女の独壇場で決まりだな。
でも、色んな意味で楽しみだな」
「楽しみって、結果が分かっている勝負を見ても、たいして面白くないだろう?」
「ああ、そうか。牡丹は知らないんだもんな。このコンテストの異名と、ミスター
「コンテストの異名? ミスタークロフサ? なんだよ、それ」
「だから、ミスター黒章こそ、庚姫コンテストなんて大それた名前の由来でもあるんだが……」
と、竹郎が説明しようとするも。口を開き掛けた瞬間、会場では既に投票が締め切られ。その結果に、観客席からわっと歓声が上がる。
『皆様、お待たせ致しました。今年のミス庚姫は、おめでとうございます。一年五組天正菊さんに決定しました。
なお、ミス庚姫にはハーゲンダーツアイスの無料券と、そして、会場の男子生徒の皆様、心の準備はできていますか? 続いて、副賞の発表です』
「……副賞?」
『もしかして天正さん、ご存じありませんでしたか? それではそんな庚姫様の為に、今一度、ご説明致しましょう。
副賞という名のメインディッシュとして、このイベントは皆さんご存知の通り、庚姫伝説に基づいている訳ですが……。龍に嫁ぐという憐れな天命であった彼女への弔いとして、学祭の間だけ自由に扱える伴侶をどなたか一名、指名することができます。
さあ、今年のミス庚姫様に選ばれる幸運な殿方は、一体どなたになるのでしょうか?』
牡丹同様、呆気に取られているとでも言うのだろうか。菊は珍しくも困惑顔を浮かばせるものの、憲美は口早に述べると容赦なく、ずいと彼女の口元へとマイクを近付ける。
『それでは、庚姫様。どなたをご指名しますか?』
また一歩、菊に近付き。憲美は同じ問いを繰り返し。
その様を前に、会場一帯には緊迫な空気が流れ。一方の菊も思わず一歩後ずさるものの、俯いたまま。ゆっくりと、その整った口唇を静かに動かし。
「……し……は……」
『はい? 済みません、もう一度お願いします』
「いえ……」
菊は軽く息を吸い込むと、ぎゅっと手を握り締めたまま。
「……だ……荻さん……。
と、真っ直ぐ前を見つめ。彼女の鈴を転がしたような透き通った声が、館内の隅々まで何にも混じることなく反響する。
それはまるで波紋みたく、次第に観客達にも伝わっていく。
が――。
「……おい。そんな名前の奴、ウチの学校にいたっけ……?」
「いいや、聞いたことないぞ」
「誰だよ、足田って……」
ざわざわと、辺り一帯が騒然とする中。しかし、菊は一人だけ、しれっとした顔で立ち続ける。
そんな彼女に、憲美は周りの生徒達を代表してとばかりに口を開き。
『名簿にも見当たりませんが、それっぽい名前の生徒が一人だけ……。
もしかして、二年三組所属の足利萩さんのことですか?』
生徒名簿を眺めながら訊ねる憲美に、菊は一瞬きょとんとした表情をするが。
「……そうかもしれません」
『えっと、もう一度確認しますが、お相手は、二年三組の足利萩さんでいいんですか?』
そう確認する憲美に、菊は小さく頷いてみせる。
『えー、今年のミスター黒章は、二年三組足利萩さんに決定しました。それでは足利さん、登壇お願いします』
憲美はマイクを通し、ステージの上から呼び掛けるも特に反応はなく。
「ははっ。まさかとは思ったが、そのまさかだったとは……。
おい、足利。お前、選ばれたぞ!」
「はあ? 選ばれたって……。
ふっ、どうせ俺なんて、男が好きな変態だって。紅葉さんだって、そう思っているに違いないんだ……」
「おい、今はそんなことを気にしている場合じゃないぞ! しっかりしろ。お前、ミスター黒章に選ばれたんだぞ!」
竹郎が萩の襟首を掴み、荒く前後に揺すってみるも。萩はその震動に素直に従い、ぶらんぶらんと一緒に揺れるばかりだ。
いつまで経っても登壇する気配を見せない彼に、痺れを切らした憲美は、近くに控えていた委員達に指示を出し。すると、直ぐにも彼女の意図通り、彼等は萩の前に現れるなり彼の肢体を担ぎ上げ。
「なっ、なんだ!? コイツ等は……っ!?」
「だから、お前がミスター黒章に選ばれたんだってば!」
「ミスター黒章?」
「なんだよそれーっ!??」と、半ば叫びながら。萩は強制的に実行委員に連行される。
そのまま萩はステージの上に立たされるも、全く状況が呑み込めず。間抜け面を浮かばせるより他にはない。
『それでは、足利さん。ミスター黒章に選ばれた感想を一言どうぞ』
「ミスター黒章? なんだよ、それ」
『……話、聞いていなかったんですか? ですから学祭の間だけ、ミス庚姫の付き人……、要するに、一日中、彼女と共に過ごせと言うことです』
「へっ……? ミス庚姫って……」
萩は、ちらりと横を向き。整然と隣に立っている菊の姿を目に入れる。
一度は顔を正面に戻すも、萩は直ぐにもまた顔を横に向け。
「なっ、な……、なにーっ!??」
と、本日一番の驚嘆の音が、窓ガラスまでもを大きく震わせ。びんびんと、館内中へと響き渡った。
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