第071戦:盛り過ぐらし 藤波の花
日は沈み、辺りもすっかり暗くなった時分――……。
ぐーぐーと腹の虫を鳴らしながら帰路を歩いていた牡丹だが、漸く家に辿り着き。その音をそのままに玄関の戸を開け中に入ると、直ぐそこには見慣れた人物が立っていた。
牡丹に気付くなり、彼はそちらへと顔を向け。
「あっ。おかえり、牡丹」
「ただいま……って、藤助兄さん。その格好、今日もバイトですか?」
「う、うん、そうなんだ。夕飯の用意はしてあるから、みんなが揃ったら食べて」
「分かりましたが……。でも、ここの所、毎日バイト漬けじゃないですか。そんなに人手が足りていないんですか?」
「えっ!? えっと、そうみたい。元々マスター一人で切り盛りしていたお店だから……」
紡がれる言葉は、しどろもどろで。おまけとばかり藤助のふよふよと泳ぐ視線に、牡丹は首を傾げさせる。しかし、取り敢えずその場は彼を見送り。牡丹は一人リビングへと入って行く。
が――。
日は跨ぎ、一夜明け。
新鮮な朝の空気を取り込んだばかりであるにも関わらず、二年三組の教室内には鬱蒼とした空気が漂っており。
「うーん……」
「なんだよ、足利。朝から辛気臭い顔をしていると思えば、求人誌なんか眺めて。バイトでもするのか?」
「ああ。生活も大分落ち着いたし、そろそろ始めようと思っているんだが、なかなか良いのが見つからなくて……」
「これだから田舎は嫌いなんだよ」と。ぶつぶつと愚痴を溢す萩に、竹郎は宥めるよう。
「はい、はい。悪かったな、田舎でさ。けど、東京と比べたら、どこもそんなもんだろう。それに、この辺りはまだ良い方だぞ。交通の便はそれなりに整っているし、駅前だって栄えているしさ。
それで、希望の職種はあるのか?」
「職種は特にこわだりはないが、近場だと通うのが楽で助かる」
「近場か……。この辺りとなると、駅前のショッピングモール内の飲食店が募集を掛けていそうだけどな。他に有力なのは、コンビニだろうな」
「ショッピングモールか。帰りに少し覗いて見るか」
「よし。足利の方は、取り敢えずこれで解決したとして。
それじゃあ、お次は……」
竹郎は、顔を晴らす萩から視線を動かし。今度は先程の彼と似たような面を浮かべさせている牡丹へと視線を向ける。
「それで牡丹は何を考え込んでいるんだよ?」
「いや、それが最近の藤助兄さん、なんか変なんだよな。こそこそしているというか、おどおどしているというか。何か隠し事でもしているみたいで」
「隠し事って、藤助先輩が? 藤助先輩と言えば、そう言えば……。
この前、先輩を訪ねて来た女の人がいただろう。スーツを着た、名前は確か、ハルキさんって言ったっけ。あの人って、結局先輩とどういう関係だったんだ?」
「えっ? ああ。ハルキさんが道端で具合が悪くなっていた所を、兄さんが助けてあげたらしくて。そのお礼を言いに、あの日はわざわざ訪ねて来たみたいでさ。
バウムクーヘンまでくれたんだけど、すごく美味しかったなあ……。梅吉兄さんの話だと、有名な店の物らしくて。なんでも入店するだけでも相当並ばないといけない上に、値段も普通の何倍もするって言っていたな」
牡丹は、その味を思い出しているのだろう。思わず出掛けた涎を咄嗟に手の甲で拭う。
そんな別世界へとトリップし掛けている彼を余所に、竹郎は納得顔で頷き。
「ふうん、成程ね。人助けなんて先輩らしいな。けど……」
そこで一度、言葉を区切り。
それから、
「本当にそれだけか?」
と、じとりと目を細めて訊ねる。
「それだけって……。それだけって、どういう意味だよ?」
「だから、本当にそれだけの関係なのかってことだよ。話を聞くに、お礼の品は相当高価な物だったんだろう? いくら助けてもらったからって、たかが一回切りの相手に、そこまで立派なお返しなんかするか? しかも、相手は高校生だぞ? 目上の人にならまだ分かるがなあ……」
「それは……、ほら、彼女が兄さんにとても感謝していたからじゃないのか? 気持ちの表れっていうかさ」
「確かにそうかもしれないけど、でも、藤助先輩、最近様子がおかしいんだろう? それって、ハルキさんと接触してからじゃないのか? だとしたら、やっぱり彼女が怪しいな。実は、こっそり密会を重ねているんじゃないのか?
ううん、これはスクープの匂いがする……」
「スクープって……」
いつの間にか取材用のノートとペンを携え、すっかり仕事モードへと切り替わりつつある友人に、牡丹は相変わらずだと。思わず呆気に取られてしまう。
「うん。絶対に彼女が怪しいと思う。これは記者としての勘だけどな」
「そうかなあ。あの人とは特に何もないと思うけど……。
それより俺は、バイトの方が怪しいと思うんだよなあ」
「バイトだって?」
「ああ。兄さん、夏休みの間だけ家の近所の喫茶店でバイトしていたんだけど、最近その店が人手不足で大変らしくて。だからまた手伝っているんだけど、でも、本当は金銭的な問題でも起きて、その所為で働いているんじゃないかって。そう思うんだけど……」
どうなんだろうと、その言葉は深い溜息と共に牡丹の口から吐き出され。
「まあ、どんな理由であれ、相当疲れも溜まっているみたいだし。無理して欲しくないんだけど……って、おい、竹郎。早くそのノートしまえよ。梅吉兄さんなら構わないけど、藤助兄さんのことをネタにするのは許さないからな」
メモを取り続けている竹郎の手から、どうにかそのノートを手放させたのも束の間。
「ふうん。俺はよくて、藤助は駄目なんて」
「それって依怙贔屓じゃないか?」と、飄々と続く声に、牡丹の背筋には冷ややかな物が瞬時に走り。ゆっくりと振り返っていくと、そこには……。
「げっ、梅吉兄さん!? どうしてここに……って……」
訊かなくとも分かっていますと、牡丹は自然とその先をつぼむも。
「そんなの、勿論栞告ちゃんに会いに来たに決まっているだろう」
と、やはり定例通りの返答に、牡丹は顔を苦めさせながら。きょろきょろと周囲を見回している兄を目の端に留めさせる。
「それで、俺の栞告ちゃんはどこにいるんだ?」
「神余……というか女子は別教室で授業なので、そちらに移動しましたが」
「えー、なんだよー。栞告ちゃんいないのかよー。ちぇっ。せっかく会いに来たのに、つまんねえなあ。
仕方ない。ここは牡丹で我慢してやるか」
「あの。我慢してまで相手してくれなくていいので、早く教室に戻ったらどうですか?」
「なんだよ、可愛くねえなあ。せっかく愛しのお兄様が、相談相手になってやるというに。その辺の女の子なら、みんな泣いて喜ぶぞ?」
「別に俺は女の子ではありませんし、相談相手に兄さんを選んだら、ますます厄介なことになりそうで……って。兄さん、一体どこから俺達の話を聞いていたんですか?」
「んー? そうだなあ。『最近の藤助兄さん、なんか変なんだよなあ』辺りからかな」
(それって……。)
ほとんど最初からじゃないかと。いつの間に傍にいたんだと。全然気付かなかったなんて……と、牡丹の中では様々な思いが入り乱れるも。一方の梅吉は、相変わらずけろりとした顔をしており。
「いいか、牡丹。お前はいつもバラバラに考えるから駄目なんだ。物事っていうのは一見別々な物に見えても、その実、複雑に絡み合っているものだ。もっと全体を見通せる力を身に付けないとならねえなあ。
要するに、今回の藤助のバイトの件に、竹郎氏が言ったよう例の彼女が絡んでいるってことさ。だから、少なくとも牡丹が心配しているような事態は我が家には起こってはいない。まあ、藤助もお年頃ってことだよ」
「例の彼女って……。えっ!? もしかして兄さん、あの噂を知っていたんですか……?」
きょとんと目を丸くさせる牡丹を前に、梅吉は、
「当たり前だろう」
と、またしてもさらりと述べる。
「ちなみにあの日の夕食に出た茶碗蒸しは、差し詰めお前への口止め料って所だろう? 牡丹は卵料理が好きだからな。おまけにお前の分だけ、みんなの分よりちょっと量が多かったし。間違いないだろう」
「うっ、当たっている。そこまでチェックしていたなんて……」
にやにやと気味の悪い笑みを浮かばせている次男に、本当にこの人は抜かりがないと。牡丹は自分の(半分だけ血の繋がった)兄ながらも、薄らと恐怖を覚える。
「でも、まさか兄さんにばれていたなんて……」
「ふっ……。この俺に隠し通せると思っているなんて、甘い、甘い。どうせ藤助のことだ。俺にばれたら尾鰭を付けて言い触らされるに違いないって、そう思っているんだろうな」
「そうなんですか? だから藤助兄さん、あんなに梅吉兄さんに知られたくなかったのか……。
でも、藤助兄さんは、梅吉兄さんにばれているって。まだ気付いていないんですよね。教えてあげないんですか?」
「だって、あんなに必死になって隠しているんだぜ? それなのにこっちから明かしちまったら、つまらないじゃないか」
(つまらないって、この人は……、)
くすくすと声を上げて面白がっている次男に対し、本当に鬼だと。自身の兄弟さえ玩具にしてしまう様に、我が兄ながら恐ろしいと。
この人に敵う日なんて、おそらく一生来ないだろうと。改めて心の底からそう思う牡丹であった。
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