第057戦:みちて色こき 深見草かな

 牡丹の告白が終わると同時。その口は堅く閉ざされ、室内には無言の空気が流れ続ける。


 そんな中、竹郎はふっと面を上げ。



「ううんと、つまりさ。牡丹が家を出て来た理由って、萩のことを――足利家のことを兄弟達に知られたから……でいいのか? 兄さん達との生活が嫌になったとか、前の家に帰りたくなったからではないんだよな」



 こくんと牡丹の首が縦に振られるのを確認すると、竹郎は直ぐにも口を開かせ。



「そのことで、兄さん達に何か言われたのか?」


「いや、そんなことは……」



(と言うよりも、その前に家を出て来ちゃったからな。)



 兄さん達はどう思ったんだろうと。今更ながら牡丹は手の中のアイスをぼうっと見つめながら考えるも、勿論答えなんか出る訳もなく。


 ちっとも考えがまとまらぬ内に、竹郎がまたも口を開き。



「所でさ。萩はどうして牡丹の所に来たんだろうな」


「えっ。どうしてって……」



(そう言えばアイツ、本当にどうして来たんだろう。俺を連れ戻しに来たって言っていたけど、でも、なんで……。

 大体、俺のことなんか嫌いな癖に。確かにアイツは最後まで反対してはいたけど、でも、結局その理由も分からないまま出て来ちゃったんだっけ。)



 本当にどうして……と、またしても俯き頭を捻らすものの。しかし、いくら考えても、やはり分かる訳がなく。


 いつまでもうだうだと考え込んでいる牡丹を、竹郎は薄らと見つめながら。



「……なあ、今からでも遅くないんじゃないか?」


「遅くないって、何が?」


「だから、足利家のこと。足利家を出て、今は天正家の人間になったけどさ。でも、お前にとっては、大切な人達だったんだろう? 萩だって、わざわざお前を連れ戻しに来たくらいなんだ。

 ちゃんと話し合えばいいんじゃないか? 結局さ、お互いに分かり合うには一番手っ取り早いというか、なんだかんだ、それしかないんだよな。

 ちゃんと話し合えばいいんだよ」



「問題は話し合えるかだけどな」と、一言付け加えるようにして溢すと。がしがしと、竹郎はやや乱暴に頭を掻いた。



「俺の親父は新聞記者なんだけど、仕事が第一で。一日中仕事に掛かり切りでちっとも家にも帰って来なくて。それで俺が中学の頃、お袋がとうとう愛想を尽かして出て行った。それで今でも別居中なんだけど、お袋も面倒な性格でさ。本当は親父のことを思っているのに、もう意地なんだろうな。だから離婚はしていないんだけど、親父は一生仕事命だろうし、お袋もあの性格だから、この先も、ずっとこの関係のままだと思う。だけど、俺はそんな仕事人間の親父を尊敬しているし、お袋とは偶に会うけど元気にやっているみたいだし。一緒に暮らしていなくても、それでいいかなって。

 そりゃ本来なら、同じ家で同じ時間を過ごすのが一番家族として理想的なんだろうけどさ。でも、それは一つの在り方に過ぎなくて、その形は家族によって様々でも良いんじゃないかって。

 だからさ。足利家のことを無理に捨て去らなくてもいいんじゃないか? 確かに牡丹は今はもう足利家での人間ではないけど、それって世間一般的に言ったらだろう? お前が足利家の人間であった事実は変わらないんだ。

 今の家と足利家と、両方を大事にしても、きっと罰なんか当たらねえよ」



(両方を……。

 そんなこと、)



 考えたこともなかったと、牡丹は思わず呆気に取られ。きょとんと目を丸くさせる。


 ぱちぱちと、無意味にも瞬きを繰り返す牡丹を目の端に留めさせたまま。竹郎は、ふっと小さな息を吐き出し。



「まずはちゃんと話してみろよ。兄さん達に、足利家のことを。どうせお前のことだ。何も言わずに飛び出して来たんだろう? 牡丹って、そういう所あるよな。一人で全部抱え込もうとしてさ。自分ばかりが変に深刻になっているだけで、案外相手はそんな風に思っていなかったりするものだぞ。

 だから、」



「ちゃんと向き合ってみろよ」と、彼にしては珍しくも真剣な声で後を続けさせ。その音は雑音に紛れることなく、牡丹の中へと入り込む。



(自分ばかりが……。確かに俺、逃げてばかりだな。あの時だって、今回だって。何も言えずに……、ううん、何も言わずに、ただ逃げ出したんだ。)



 ちらりと、窓越しにカーテンの隙間から覗いている月を見つめながら。



「そう……だな……。うん、その内にでも……」


「その内って……。本当、お前ってそういう所あるよな。面倒事を後回しにする癖、直した方がいいぞ。どうせ困るのは自分なんだから」


「なんだよ、そういう竹郎だって。いつも宿題を後回しにしているじゃないか」


「俺のことはいいんだよ。ていうか、アイス溶けてるぞ」


「えっ……? うわっ、本当だ」



 竹郎に指摘され漸く気が付くも、時既に遅く。すっかり生温くなったそれを手にしたまま、牡丹はぐにゃりと眉を歪めさせた。


 二人の会話はそこで途切れ。牡丹は用意された布団へ、半ば身体を投げ出すようにして横になる。


 そして、急激に襲って来た眠気に素直に従い。重たい目蓋を、ゆっくりと閉ざさせていった。






✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎






 牡丹が天正家を出てから、三日程が経過するも――……。



「おーい、竹郎。夕飯、できたぞ」


「おっ、できたか。いやあ、悪いね。いつも作ってもらっちゃって」


「いいって、そんな。世話になっているのはこっちなんだし」



 せめてこれくらいと牡丹はお盆に乗せた皿を、次々とテーブルの上に並べていき。準備が整うや、二人は同時に手を合わせた。



「はーっ……。やっぱ夏でも、味噌汁は欠かせないよなあ。あー、美味い。

 それにしても。まさか牡丹が料理できたなんてな」


「そうか? まあ、前はよく作っていたし」



 ずずう……と味噌汁を啜りながら。藤助兄さんには負けるけど、と。ふとそんなことを思っていると、竹郎が遠慮深げに口を開かせ。



「それでさ。別に急かす訳ではないけど、一体いつになったら話に行くんだ?」


「それは、その……。だから、その内……」


「その台詞、昨日も聞いたぞ」



 さらりと間髪入れずに返して来る竹郎に、牡丹は喉奥を詰まらせ。思わずふいと顔を背ける。


 彼に言われなくとも分かってはいるものの、しかし。いざとなると、つい尻込みしてしまい……。結局そのまま、だらだらと彼の元で厄介になっている。


 急に動きが鈍くなった牡丹の箸を見つめながら、竹郎は一つ乾いた息を吐き出させ。



「まっ、俺としては、好きなだけ居てもいいけどさ。

 ……ただし、お前が居たければの話だけど」

と、些か物騒な台詞を呟くと同時。急に外から、「おーい!」と、機械的混じりではあるものの、聞き覚えのある声が聞こえ。牡丹は思わず、呑み掛けていた味噌汁を吹き出しそうになる。


 その声に、牡丹は嫌な予感を覚え。箸を置くやばたばたと這うようにして部屋の奥へと進み。引き違い窓を開け放つと、そのまま勢いを殺すことなくベランダへと飛び出した。


 すると、窓の下には予想通り。何故か拡声器を手にした梅吉と、それから道松に藤助、桜文の四人が揃っていた。



「なんで、どうして兄さん達がここに……」


「そんなの、俺が教えたからに決まっているだろう」



 わなわなと体中を震わせている牡丹に、竹郎はさらりと。いつの間にか隣に並び、悪びれた様子もなく飄々と告げる。


 敵は本能寺に在りとは、まさにこのことだよなと。そんな考えが頭を過ぎる中、牡丹は裏切り者の友人を軽く睨み付け。



「なんで教えたりしたんだよ! 大体、どうやって知らせたんだ? 兄さん達の連絡先、知っていたのか?」


「いや、あっちから連絡が来たんだよ。牡丹が来ていないかって。ほら、神余経由でさ」


「ああ……」



 そう言えば、そういうルートがあったなと。そのことを思い出しながら、牡丹はますます肩を落とす。


 けれど、落ち込んでいる牡丹に構うことなく。一方の兄達――その中でも梅吉は、拡声器を口元に当て。



「えー、天正牡丹。君は完全に包囲されている。無駄な抵抗はせず、速やかに投降しなさい」


「ちょっと、梅吉ってば。拡声器は使うなって言っただろう。近所迷惑だってば!」


「そんなこと言われても、声を張り上げるの疲れるんだよ。それに、こっちの方が大きな声を出せるしな。

 えー、そう言う訳だから、可愛い弟よ。家出ごっこは、十分に満喫しただろう。早く家に帰るぞ。話なら、家でゆっくり茶でも飲みながら聞いてやるからさ」


「そうだよ、牡丹。みんな、家で待ってるから。だから帰ろう」



 やんや、やんやと下から叫ばれ。その騒ぎに両隣の部屋だけに留まらず、マンション中の窓が次々と開き。中からひょいと人が出て来る。また、近場の路上を歩いていた通行人も何事かと足を止め、騒動の元凶達を遠目に眺めている。


 その様子を、牡丹は頬に熱を集めながらもじっと見下ろし。



「帰るって、でも……。だって俺は……、俺はっ……!」



(俺は親父と同じことをしたんだ。そんな俺に、あそこにいられる資格なんて……。

 そんな資格、)



 ――――――――と、叫ぼうとするも。



「……あのよう。何を考えているかは知らねえが、お前は誰がなんと言おうと、天正家六男、天正牡丹だ。

 それから、前にも言っただろう。生憎、俺達は一人じゃないって。お前が一人で背負っているもん、俺達も一緒に背負ってやるって」



「男に二言はないんだぜ」と、白い歯を覗かせながら。梅吉は、相変わらず機械混じりの音を上げる。


 その声を遠くに聞きながらも、牡丹はぺたりとその場に座り込み。



「ははっ、兄さん達ってば。相変わらずやることが滅茶苦茶で、馬鹿なんだから……」



(本当、背徳者の俺のことなんか放って置けばいいのに。

 ……いいや、馬鹿なのは俺の方だ。その半分に……、そのたった半分に、今までどれだけ救われてきたか。

 そのことをすっかり忘れていたなんて。)



「本当に馬鹿だ……」と、崩れ落ちた姿勢のまま。牡丹はもう一度、まるで自身に言い聞かせるよう。空気混じりの音であったものの、静かにそう繰り返させた。






✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎






 こうして牡丹の家出騒動は、僅か三日程度で終わりを迎え。それに伴うよう、長くて短い夏休みもあっという間に過ぎ去り――……。


 新学期初日。



「それであの後、えっと……、萩だっけ? 結局の所、そいつは来たのか?」


「いいや、それが全然。もう一回くらいは乗り込んで来ると思っていたんだけどなあ」



 萩の性格から言って、あのまま簡単に引き下がるはずがないと。そう考える牡丹であったが、しかし。その予想はどうやら外れてしまったようであり。また、残暑も重なって張っていた気はすっかり緩んでしまっている。


 萩達ともいずれ、きちんと向き合わないとなと。そんなことを薄らと考えていると、竹郎が急に話題を変え。



「そう言えば、どうやらこのクラスに転校生が来るらしいぞ。男女どっちかまでは分からなかったけどさ」


「へえ、そうなんだ。転校生か。でも、そんな情報、どこから仕入れて来たんだ?」


「ふっふっふっ……。新聞部次期部長候補である俺の手に掛かれば、それくらいの情報なら簡単に仕入れられるぜ。ただし、入手方法は企業秘密により明かせないけどな」



 ははは……と気味の悪い高笑いが後へと続けられるが、それはチャイムの音により呆気なくも掻き消され。


 その音が鳴り止むと、直ぐにも担任がのたのたと教室へと入って来た。



「え-、ホームルームを始めるが、その前に。転校生を紹介する」



 担任の声に合わせ、教室中騒々しくなる傍ら。竹郎は、言った通りだろうと、得意気な面を浮かばせ。


「可愛い子だといいなあ」と呟きながら、後ろに向けていた身体を前に戻し、じっと扉へと視線を定める。



「おーい、足利。中に入って来い」


「……ん、足利? 足利って……」



 まさか――と、思った刹那。



「なっ……、ななな、なんで、どうしてお前がっ……」



「ここにいるんだよ――!!?」と、牡丹は思わず咄嗟に椅子から立ち上がり。その衝撃で、がたんと彼の椅子が大きな音を立て後ろに倒れた。


 教室内はすっかり静まり返るも、黒板の前に立たされている男子生徒はしれっとした顔のまま、ゆっくりと薄い唇を開いていき。



「……言っただろう。このまま引き下がると思うなよって。

 そういう訳だから、嫌だけど仕方なくよろしくしてやるよ。牡丹兄さん――」


「なにが『よろしくしてやる』だ! 誰がよろしくされるか。それと。

 だから、どうして兄さんって呼ぶんだよーっ!!!」



 牡丹の虚しい雄叫びは、しかし。朝の深閑とした空気に、直ぐにも呑み込まれ。跡形もなく、綺麗さっぱり無惨にも消えてしまう。が、一方の嵐はと言えば。決して過ぎ去ることはなく、どうやら牡丹の周囲に留まり続けるようであり……。


 牡丹はもう一度、自分の頬を抓りながらも、自身同様立ち尽くしている青年を眺め。嘘だろう――!?? と、心の中で思い切り叫んだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る