第052戦:我が宿の 時じき藤の めづらしく
どうも天羽さんは僕の父とは知り合いであったらしく。母が亡くなったことを聞き付け、独り身になった僕の近況を知る為に
北条家での僕の扱いの様を知った天羽さんは、提案とばかり。おじ達に、ぜひ自分に僕を引き取らせて欲しいと申し出た。いや、取り引きと言った方が適切だろう。僕の普段は服に隠れて見えない身体中にできた青色の痣を見せ付けながら、そう懇願したのであった。
おじ達は一寸大して金の掛からない召使いに、いざ手放すとなるとそれなりの未練を感じたのだろう。だが、有無を言わせないとばかりの天羽さんの態度に、彼等は揃って頷くことしかできず。
こうして僕は天羽さんに連れられ、長いようで短い期間、お世話になった北条家を後にした。
「いいかい、藤助。ここには、藤助と半分だけ血の繋がった兄弟がいるんだよ」
「兄弟ですか……?」
大方の話は既に聞かされてはいたものの、未だに実感が湧かないのだろう。藤助はぐにゃりと眉を歪め、難しい顔をさせる。
そんな彼を見つめながら、天羽は大きく頷いてみせ。
「ああ、そうだよ。ははっ、緊張しているのかい? なに。二人ともクセは強いが、直ぐに打ち解けられるさ」
そう言うと天羽は朗らかな笑みを浮かばせたまま藤助の手を引き、早速家内へと入って行く。すると、突然奥からばたばたと忙しない足音が響き出し。次の瞬間、黒い塊が勢いよく二人の前へと飛び出した。
「じいさん、じいさん! 新しい兄弟が来たって、本当か!?」
その塊の正体は、小学校中学年くらいの少年で。帰って来たばかりの天羽に飛び付き、急かし立てる。
そんな少年を落ち着かせようとする天羽だが、彼に続きもう一人。
「やっと帰って来たか……」
と、玄関の傍らに位置する扉から、気怠気な面をそのままにした少年が悠長な足取りで姿を見せた。
「二人とも、ただいま。悪かったね、遅くなってしまって」
「じいさん、そんな挨拶はいいから。それで、どこにいるんだよ」
「どこにって、いるじゃないか」
ちらりと、天羽の視線の先を追い。二人は彼の足元へと目線を下げ、その後ろ――隠れるようにして天羽の足にしがみ付いている、藤助の姿を発見する。
彼の姿を捉えるなり、二人は揃ってじろじろと詰め寄るようにして見入る。
「なんだよ、コイツ。うじうじして。男なら、もっと堂々としろよな」
「うっ……」
「こら、こら。二人して、藤助をいじめるんじゃない。
紹介するよ。道松と梅吉だ。ええと、藤助の誕生日は四月一日だったよね。ということは、ぎりぎり二人とも同じ学年になるのか」
「ふうん。それじゃあ、お前が一番下か」
「下? 下って……」
「弟だよ、弟。お前は今日から俺達の弟だ。ちなみに俺が長男で、この家で一番偉いんだぞ」
そう宣言すると梅吉は、ぐいと踏ん反り返ってみせる。おまけとばかり高笑いまで上げ、すっかり得意気だ。
しかし、その矢先。
「何を言っているんだ、この馬鹿は。俺の方が先に生まれたんだから俺が長男だと、何度言えば分かるんだ」
そう即座に横から道松が訂正の音を上げた。
「なんだとおーっ!? 誰が馬鹿だって、誰が!
俺の方が先にここに来たんだ。だから、俺が長男に決まっているだろう。後から来た癖に、生意気だぞ!」
「こら、こら。二人とも、喧嘩するんじゃない。全く。お前達二人はいつになったら仲良くできるんだ……」
バチバチと激しい火花を散らし合う道松と梅吉の間に、呆れ顔を浮かばせた天羽が入り込む。
だが、その殺伐とした空気も、ぐうー……っと鳴り響いた腹の虫の音により掻き消され。
「なあ、じいさん。腹減ったー。早く夕飯にしようぜ」
「ああ、そうだな。もう八時過ぎだもんな。
さてと。何を作ろうかな……って、冷蔵庫の中が空っぽだ……。買い物に行くの、すっかり忘れていたなあ」
「えー。食べるもん、なんもねえのかよ? お腹空いたーっ!」
「仕方ない。今日は簡単に、インスタントラーメンにしよう。インスタント麺なら、ちゃんと人数分あるしな」
「えー、またかよー」
腹を押さえながらも梅吉は、ぶーぶーと口を尖らせる。
「仕方ないだろう。それに、今から材料を買いに行ったら、ますます食べるのが遅くなるぞ。だが、その点、インスタントラーメンなら直ぐにできる。
早くて美味い、最高じゃないか。まさに人類が生み出した、最も偉大なる文明に違いない。来て早々、藤助には悪いが……」
「いえ。僕は別になんでも……」
「いいです」と、遠慮がちに。藤助は、もじもじと後を続けさせる。
こうして天羽が台所へと立ち、数分後――……。
「わーい! ラーメン、ラーメン!」
目の前に出された湯気の立つ丼を見るなり燥ぎ出す梅吉に、天羽は半ば呆れがちに。
「なんだい、梅吉は。結局なんでもいいんじゃないか……」
額を押さえながら、そう溢した。
「へへっ、じいさんってば。細かいことばかり気にしていると禿げるぞ。
それでは、いっただきまーす! ……って、なんだよ。藤助ってば、ぼーっとしてさ。まさか、お前もインスタントラーメンを食べたことないのか?」
「えっ? ううん、あるけど……。
でも、こういう食事は久し振りで……」
「ふうん……。まっ、そうだよな。今時インスタント食品も知らないなんて、どこぞの温室育ちの生意気なお坊ちゃまくらいだよなー」
「おい、馬鹿吉。もしかして、それは俺のことを言っているのか?」
「誰が馬鹿吉だ! 梅吉だ、梅吉! 人の名前を間違える、お前の方が馬鹿松じゃねえかよ!」
「こら、こら。食事中くらい、おとなしく食べないか! 藤助も遠慮なんてしないで、ちゃんと食べなさい」
「はい……」
(人に作ってもらった物を食べるなんて、久し振りだ……。)
藤助はちらちらと三人の様子を窺うと、彼等と同じように。ゆっくりと箸を手に持ち、ちゅるちゅると麺を啜り出した。
「あっ、そうだ。お前達に、一つ話があってだな」
「んー? なんだよ、じいさん。急に改まっちゃって」
「いや、なに。実は、家政婦を雇おうと思っていてな」
「えっ、家政婦だって!?」
「ああ。藤助が来て人数も増えたし、それに仕事の都合上、今後、家を空ける機会が多くなりそうだから、お前達の面倒を見てくれる人が必要になると思ってな」
「なあ、なあ、じいさん。家政婦って、あれだろう? ご飯を作ったり、お掃除してくれたりする人のことだろう?」
「ああ、そうだ。家事をしてくれる人のことだ」
「要するに、使用人のことだろう。それくらいのことで、この馬鹿は何をそんなに燥いでいるんだ。寧ろ、今までいなかったことの方が不思議だろうに」
「誰が馬鹿だって!? それに、馬鹿はお前の方だろう。一般的な家には、普通、使用人なんていないんだよ。
これだからいつまでも実家に未練のある、温室育ちのお坊っちゃまは……」
「ああっ、誰に未練があるって!?」
「だから、二人共喧嘩は止めなさい。話が進まないじゃないか。
そういうことだから、お前達の意見を聞こうと思ってな」
「どう思う?」と、喧嘩を止める傍ら。そう続ける天羽に向かい、梅吉は元気良く手を挙げ。
「はい、はーい! それなら俺、美人で優しくて、巨乳のお姉さんがいい!」
「全く、梅吉は……。
いいかい。家政婦さんというのは、そういう人じゃなくてだな……。それに、私が訊きたいのはそういった具体的な要望ではなく、賛成か反対かってことだ」
「はい、はーい! 賛成、賛成! 家政婦さんって、女の人に変わりはないんだろう? だったらやっぱり、美人で優しくて、巨乳のお姉さんがいい!」
「巨乳のお姉さんがいい!」と、天羽の話は全く耳に入っていないのか。梅吉は何度もそればかりを繰り返す。
「そしたら俺、毎日家政婦さんの胸に顔を埋めて昼寝させてもらうんだ。すごく気持ち良いだろうなあ……! それから膝枕に耳掃除も定番だし、あとは、そうだなあ……」
うっとりと、恍惚とした表情で梅吉が語り出すも、やはりここで、
「ったく、くだらねえ」
と。横から介入した冷淡とした声により、彼の妄想は遮られる。
「ああっ!? なんだよ、お前だって本当は家政婦さんに甘えたい癖に。この、ムッツリスケベ! だったらお前には、絶対に家政婦さんは貸してやらないからな!」
「誰がムッツリだ! この、年中発情期野郎がっ!!」
「これ、これ。だから、二人とも喧嘩は止めなさい。全く、道松も梅吉も仕方ないなあ。
二人は賛成ってことでいいんだな。それじゃあ、藤助はどう思う?」
溜息混じりの息を吐き出させながらも、喧嘩を始める二人を尻目に。天羽は藤助へと視線を向ける。
急に名指しされ、藤助はびくんと肩を大きく震わせるも。一呼吸置き、ぱくぱくと口を開け閉めさせながらも、どうにか言葉を紡いでいく。
「あっ……、あの! 僕、できます……」
「えっ。できるって、何がだい?」
「えっと、料理も掃除もお洗濯も……。僕、できます。そしたら家政婦さんを雇う為のお金を使わなくて済むし、それに、それに……」
「でも、そしたら藤助の遊ぶ時間がなくなっちゃうだろう?」
「大丈夫です。そんな時間、いらないから……」
最後の方は尻窄みとなり、はっきりとは聞き取れなかったものの。天羽は顎に手を添え、もじもじと落ち着かない様子の藤助をじっと見つめながら一寸考え込む。
が。
「うん、そうだな……。よし。それではこの話は一旦保留にして、暫くは藤助に任せるとしようか」
「えーっ!?? 巨乳のお姉さんは!? 巨乳のお姉さんーっ!!」
「だから、梅吉。家政婦さんはそういう人じゃないと言っているだろう……」
天羽の声などやはりすり抜けてしまっているようで、梅吉は一人大きな声で不平を漏らす。
ぎゃあぎゃあと騒々しい中、藤助はちらりと天羽の顔を盗み見て。
(守らなくちゃ、守らないと。あそこにだけは、もう二度と……。
それに、何よりもこの人の為に。少しでも重荷にならないよう、せめて僕にできることを――……。
なんて。そんなの、所詮は独り善がりに過ぎなくて。
……いや、それも違う。あの一瞬間で居場所を確保する為の手段として、突発的に思い付いた単なる子供の浅知恵で。
だけど、それでもあの人が喜んでくれるのが純粋に嬉しくて。だからこそ、この場所を絶対に誰にも譲りたくなくて。
ああ、そうだ。だから俺は――……。)
刹那、結論を出すより先に。目蓋の裏に、薄らと感じた光に誘われるよう。
一度、指の腹で軽く擦ると、藤助は重たい目蓋をどうにかゆっくりと開いていった。
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