第044戦:彼の子ろと 寝ずやなりなむ はた簿

 まだ日も明るい夕暮れ時。



(今日は久し振りに部活が休みだし……。)



 借りていた漫画でもまとめ読みするかと、家でどう過ごすか計画を立てていた牡丹であるが、思いの外すんなりと決まり。ふんふんと鼻唄混じりに歩いていると、不意に路上の一角で世間話に乗じていたご近所の奥様方の輪の中から、彼の名を呼ぶ声が上がる。


 その音に足を止め。牡丹が答えを出すより先に、ひょいと人と人との間から、天正家四男・藤助が顔を覗かせる。おーいと軽く左右に手を振る藤助に、相変わらずおば様方の中に溶け込んでいるなと。牡丹は若干苦笑いを浮かべさせる。



「おかえり、牡丹。今日はいつもより早いね」


「はい。部活が休みなので」


「そうなんだ。リビングのテーブルの上にお菓子があるから、食べていいよ。それと、そろそろ芒も帰って来ると思うから」



「芒にも教えてあげて」と続ける藤助に、牡丹は承諾の意思を伝え。残りの帰路を進んで行く。


 そんな牡丹の後ろ姿を小さくなるまで見送ると、藤助は再び井戸端会議へと参加する。


 けれど、その矢先。お隣である石川さんが頬を綻ばせ。



「ふふっ。牡丹ちゃん、大分馴染んできたわねえ。もう天正家の立派な一員ね」


「えっ、そうですか?」


「ええ。さっきの遣り取りなんか、本当の兄弟みたいだったわよ。ねえ、みんな。

 あっ、そう、そう。そう言えば、芒ちゃんと言えば。今回はどうするの?」


「えっ、今回って? どうするって……?」



 一体なんのことだと、問い掛けられるも藤助は話が見えず。おば様方の視線を一身に浴びせられるも。当の本人は、一人呆然と。きょとんと目を丸くさせるばかりであった。






✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎






 夕食が済み、風呂にも入り終え。漫画の続きでも読むかと牡丹は濡れた髪をタオルで拭きながら、一段ずつ階段を上がって行く。


 けれど、最後の一段を上り終え。ずらりといくつもの部屋へと続く廊下に出ると、そそくさと如何にも怪しい動きで部屋から出て来た藤助の姿が目に入る。


 また、不審な動きに加え藤助が後にした部屋は彼の自室ではなく、何故か末っ子の芒の部屋であり。おまけに胸にはゴミ箱を抱えた兄に、牡丹はますます首を傾げさせる一方だ。


 挙動不審な後ろ姿へと、牡丹は近付いて行き。



「あの、藤助兄さん。どうかしたんですか?」


「うわあっ!?? びっくりしたあ……。なんだ、牡丹か」


「どうしたんですか、ゴミ箱なんて抱えて。それ、芒のですよね?」


「えっ。ああ、これ? うん、ちょっとね……」



 牡丹が問い掛けるも、藤助はもごもごと口籠り。なかなかはっきりと返事をしようとはしない。


 曖昧な藤助の態度にじれったさを覚えつつも、取り敢えず彼の後に続き。牡丹も一緒に来た道を引き返し、階段を下りてリビングへと入る。


 そして、無言のままゴミ箱を漁り出す藤助をじっと見つめていると……。



「ああ、やっぱりあった……」


「あったって、プリント……ですか?」



 藤助は漸くその一言を吐き出させると、こくんと小さく頷いた。それからすっかりくしゃくしゃになっているプリントの皺を、指先で丁寧に伸ばしていく。


 そんな彼の不可思議な様子を、偶々その場に居合わせていた梅吉も牡丹と一緒になってひょいと後ろから覗き込む。



「なんだよ、藤助ってば。ゴミ箱なんか漁って」


「それが芒ってば、俺達に見せないで勝手に捨てちゃっていてさあ」


「なんだ、学校からの手紙か? どれ、見せてみろよ。ええと、なに、なに……。

 『二分の一成人式のお知らせ』だあ? なんだよ、この成人式って?」


「ほら、十歳って、丁度二十歳の折り返し地点だろう? それで十歳を迎えた記念として、その境目を親子で一緒にお祝いしようってことらしいんだ。子供達が家族に感謝の気持ちを伝えたり、将来の夢や目標を発表したりするみたいで、まあ、保護者を意識した授業参観って感じなのかな。今度の金曜日にあるみたいなんだけど……」


「へえ、今はそんなことをするのか。ふうん、成程な。

 でも、明後日か。さすがに間に合わないか。天羽のじいさん、いっつもタイミング悪いんだよなあ」


「えっ。タイミングが悪いって?」


「あれ、言っていなかったっけ。天羽さんなら今朝方、急に出張が決まったって。出掛けて行ったけど……」


「えっ……、ええっ!?? それって本当ですか? そんなあ……」



(親父のこと、まだ訊けていないのに! なんとなく訊き辛くて、後回しにしていたばかりに……。)



 またお預けかと酷く肩を落とすと共に。意気地なし……と、牡丹は自身を強く非難した。



「天羽さんに何か用があったの? 今回は国内で九州だから、割と早く帰って来るらしいけど……。急用なら連絡先を教えるよ」


「いえ、特にこれといった用ではないので……」



 大丈夫ですと、涙ながらに。牡丹は藤助の好意をやんわりと断った。



「で。話は戻すが、その、なんだ。つまりは授業参観か。それがどうかしたのか?」


「うん。それが、石川さん達が言っていたんだけど、この二分の一成人式って普通の授業参観よりも特別で、どこの家の親御さんも仕事を休んでまで観に来る人が多いんだって」


「まあ、わざわざ『二分の一成人式』なんて、大それた言い方をしているくらいだしな。だが、そうは言ってもなあ……。平日にやるんだろう? 俺達だって学校だぜ」


「そうなんだよ。芒もそれが分かっていたから、見せずに捨てたんだと思うし……」



 藤助は、じっとプリントを見つめながら。もう一つ、おまけとばかり。


 牡丹と梅吉に見守られる中、深い息を吐き出した。






✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎






 時は移り、翌日――……。


 どよどよと湿った空気が三年二組の教室の、とある箇所から発生している。その出所は言わずもがな藤助からであり、彼はぐたりと珍しくも机に項垂れている。



「おい、藤助。まだ悩んでいるのか?」


「だって……。ほとんどの家の親は観に行くのに、芒だけ一人ぼっちなんて。やっぱり可哀想だよなって……」


「ったく、あのじいさん。本当、いつもタイミングが悪過ぎだ。今までに一度だって、そういうのに出られた試しがないじゃねえかよ」


「仕方ないだろう、天羽さんは仕事なんだから」



「だからってなあ」と、道松は後を続けようとするも。むすうと頬を膨らませる藤助を前に、それ以上はおとなしく口を噤んだ。


 だが、そんな二人の頭上にふっと黒い影が掛かり。


「おい、天正兄弟。……ちょっと職員室まで来てくれないか?」

と、影の正体である担任は口早にそう告げるや、すたすたと先に教室から出て行く。


 その忽然とした出来事に、二人はゆっくりと互いの顔を見合わせるも。同時に席から立ち上がり、遅れて担任の後を付いて行く。



「あのな。今し方、小等部の先生から連絡があってだな。そのー……、なんだ。お前達の一番下の弟がなにやら問題を起こしてしまったらしくて、保護者の方に来てもらいたいという話だったんだが、お前達の父親代わり……でいいのか? おじさんと連絡は取れたんだが、今、九州にいるんだってな。それで、できたらおじさんの代わりに、お前達に来て欲しいということだったんだが……」



「行ってくれないか」と、自席に着きながら。担任はたどたどしくも後を続ける。



「問題って、芒がですか?」


「ああ。詳しい話は聞いていないが、取り敢えず小等部の校舎の方まで出向いて欲しいとのことだ」


「そうですか、分かりました。それなら俺が……」



「行きます」と言うや否や、藤助は咄嗟にその場から駆け出し。彼の後を、道松も半テンポほど遅れて付いて行く。


 一難去って、また一難とばかり。次から次へと厄介事が舞い込んでき。


 天正家の問題は、当分の間、まだまだ尽きそうにはないと。先行く藤助の後ろ姿を追い掛けながら、道松は眉間に皺を寄せた。

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