第045戦:裏野の山に 月片寄るも

 冒頭早々――……。



「おい、藤助! ちょっと待て、俺も行く! おい、藤助ってば!」



 道松が何度呼び掛けるも、聞こえているのかいないのか。先行く藤助は決して振り返ることなく、ただひたすらに走り続ける。


 そんな彼の後を必死に追い続ける道松だが、曲がり角に差し掛かった所で前方から迫って来た影と衝突しそうになり。思わず足を止めてしまう。



「うわっ!? びっくりしたあ……って、あれ。どうしたんですか、道松兄さん。そんなに慌てて」


「なんだ、牡丹か。いや、悪い。急いでいて……って、おい、藤助ってば!」


「えっ、藤助兄さん?」



 道松の視線の先を追っていくと、確かに前方には見慣れた姿が見受けられ。だが、道松の静止を促す声など一切無視し、彼はスピードを落とすことなく気付けば角を曲がってしまう。


 その姿は呆気なくも見えなくなり。道松は苛立たしげに、「くそっ」と吐き捨てた。



「道松兄さん、一体どうしたんですか?」


「いや、それが……」


「おい、聞いたぜ。芒に何かあったんだって?」


「うわあっ、梅吉兄さん。それに桜文兄さんも!? いつの間にこんな近くに……」


「いやあ、梅吉が急に走り出すもんだから付いて来たんだけど……。みんな集まって、何かあったのか?」


「お前なあ……。分かんねえのに付いて来たのかよ?

 ま、いっか。どうせ全員に収集を掛けるつもりだったし、少し手間が省けたぜ」


「収集って、やっぱり何かあったんですか? 芒がどうこう言っていましたが……」


「そこまでは知らねえよ。だから藤助があんなに慌てているんだろう?」



 梅吉は、ちらりと道松を眺め。意味ありげな視線を送る。


 それを受けるや道松は、がしがしとやや乱暴に頭を掻いた。






✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎






 一方、その頃――……。


 小等部のとある教室にて。昼間であり、明かりも点いているにも関わらず。室内の空気がやや冷ややかである為か、平常よりも薄暗く見えてしまい。


 その空気を肌で感じながらも、藤助は案内に従い奥へと進んで行く。すると、室内にはもう一人、先客が待ち受けており。


 三十代半ばくらいのその女性は堅苦しい表情をそのままに、じろりと眼鏡を光らせ。入って来たばかりの藤助と先生の二人を鋭い目付きで捉えた。



「あら。あなたが天正芒さんの保護者の方かしら? それにしては随分と若いようですね……って、それは高等部の制服じゃない。

 先生、これは一体どういうことですか?」


「その、芒くんの保護者の方は仕事の関係で九州にいるそうなので、代わりにお兄さんに来て頂いて……」


「まあっ! 大事な話し合いに、こんな子供を寄越すなんて……」



「一体どういうつもりなのかしら!」と、彼女は早速も甲高い音を上げる。



 びりびりと頭の奥にまで響き渡るその音に対し、薄らと眉間に皺を寄せながらも。藤助は未だ状況を理解できず、一人置いてけ堀である。



「あの、済みません。それで、一体何が……」


「それが、芒くんが……」


「先生、ここは私から説明させて頂きますわ。お宅の弟さんが、ウチの子に怪我をさせたのよ」


「怪我? 怪我って、芒がですか……?」


「ええ、そうよ!」



 目を丸くさせる藤助に、彼女はぐいと厚化粧で着飾った顔を近付け。きっぱりとした口調でそう述べる。



「……あの。それって一体どういう状況で、芒がその子に怪我を負わせたんですか?」


「それが、その怪我をした子――主政かずまさくんがお友達と遊んでいたら、突然芒くんに突き飛ばされたって。でも、肝心の芒くんは、『僕は何もしていません』って。一言そう喋るなり、すっかり黙り込んじゃって。主政くんとそのお友達しか目撃者もいませんから、詳しい話もあまり聞けず……。

 それに、主政くんは右腕を骨折してしまっていて負った怪我の具合からも、お二人にこうして来て頂いた次第でして……」



 芒の担任の教師は、しどろもどろに。すっかり困惑顔を浮かべている。


 だが、そんな彼女には一切構わず。主政の母親と名乗る女性は、一人勝手に話を進めていく。



「それで、天正さん。一体どう責任を取って下さるんですか?」


「責任って……」


「ウチの子は、その辺の子とは違うんです。この子はね、将来、夫と同じ医者になるという大きな期待を背負っているんです。だから、毎日塾のお勉強で忙しいんですよ。なのに、利き腕を怪我してしまって、これでは真面に勉強ができないじゃない! 成績が下がってしまったら……。

 どう責任を取って下さるのかしら? でも、その前に。まずはこの件に関して謝罪して頂きましょうか。治療費などの請求に関しては、その後でということで……」



 彼女はすっかり勝気な態度で。唇には嘲笑を乗せると、じろりと藤助に狙いを定める。


 だが、一方の藤助は……。



「……嫌です」


「嫌? 嫌って、あなた一体……」


「芒がその子に怪我をさせたとは、まだ決まった訳ではありませんよね。

 あの、先生。芒はやっていないと、そう言っているんですよね?」


「えっ? ええ、そうですけど……」


「それなら嫌です、僕は絶対に謝りません。もしも芒に過失があれば、僕も一緒に謝ります。でも、芒はやっていないと言っています。僕は芒のことを信じています。だから、ここで僕が謝ってしまえば、それは芒の非を認めたということになります。

 なので、僕は絶対に謝りません」



「絶対に謝りません」と、もう一度。今度は藤助が瞳を鋭かせ、すっかり意表を突かれ呆然としている主政の母親を睨み返した。



「はあ……? ちょっと、一体なにを言っているのよ! ウチの子、怪我しているのよ。なのに、謝らないって……。

 それじゃあ、なにか。ウチの子が嘘を吐いているとでも言いたいのかしら? 子供が子供なら、親……ではなく、お兄さんでしたっけ? 兄弟揃って、なんて白々しい! まさか、こんな乱暴な子が同じクラスにいたなんて……。

 先生、今直ぐクラスを替えて下さい。そんな子が同じ教室にいると思うと、怖くて学校になんか通わせられないわ!」


「あの、主政くんのお母さん。少し落ち着いて下さい」


「これが落ち着いていられますか! 大体、天正さんの家は、父親も母親もいないんでしょう? 異母兄弟達で集まって、一緒に暮らしているんでしたっけ? おまけに父親代わりの方もほとんど家を空けているとか……。

 そんな禄に面倒を見てくれる人がいない家庭で育った子が、普通な訳ないじゃない! だからこういう事態が起こるのよ!」


「確かに、僕達には父親も母親もいません。特に芒の母親は、芒を産んで直ぐに亡くなっています。なので、芒は父親にも母親にも一度も会ったことはなく、親という存在がどういうものなのか全く知りません。それに、天羽さんも仕事が忙しくてあまり家にはいませんが、それでも芒はきちんと物事の分別の付く子に育っています。

 芒は他人の痛みを人一倍理解できる子です。だから、僕は信じています。芒が訳もなくそんなことをするはずがありません。

 それから、失礼を承知で申し上げれば、そのような陳腐な言葉の数々は今までに何度も耳にし、聞き飽きています。僕のことはどう捉えて頂いても構いません。非常識でもなんとでも思って下さい」



 売り言葉に買い言葉とでも言うのだろうか。彼にしては珍しくも、相手のペースにすっかり乗せられている所為か。所々、いつもより荒い調子が見受けられる。


 どちらも決して折れることはなく、徒に時間ばかりが過ぎていき。


 一方、その教室と壁を隔てた廊下では。菖蒲と菊にも声を掛けて集結し、牡丹等一行はこそこそと扉の隙間から中の様子を覗き込んでいる。



「全く、藤助の奴……。ちょっと頭を下げればいいだけなのに。なんだかんだウチの中で、一番頭が固いのは藤助だからな。一度ああなったら、絶対に折れないぞ」



「どうしてウチの連中は、揃いも揃って意地っ張りばかりなんだよ……」と。梅吉は珍しくも眉間に皺を寄せた。



「特に長男なんて。頭かっちかちで全然融通が利かなくて。本当、困りもんだよなあ」


「うるせえなあ。お前がちゃらんぽらんなだけだろうが」


「何を!? 誰がちゃらんぽらんだっ!」


「ちょっと、兄さん達ってば。こんな時まで喧嘩しないで下さいよ。とにかく、今は芒のことです!

 一方的にあんな風に言われて……。俺も嫌です。芒のことはまだそんなによく分かりませんが、でも、芒はそんなことをしないって。俺もそう思いますから……」



 相も変わらず非難の声を上げ続ける主政の母親に、牡丹はぎりっと奥歯を噛み締める。


 その横顔を梅吉はちらりと眺め。



「はい、はい。分かりましたよ。本当にウチの連中ときたら……。可愛い弟の為に、人肌脱ぎますか」



 半ば呆れ顔をそのままに、ぽんと一つ膝を叩き。



「選抜メンバーは、そうだなあ……。よし、俺と道松、桜文に菊で行くか」


「あの、梅吉兄さん。行くって、どこにですか?」


「なあに、直ぐに戻って来るから。おこちゃま二人はそこで待ってな。だが、何か大きな動きがあれば直ぐに連絡しろよ」



 それだけ言うと梅吉は牡丹の頭に軽く手を乗せ、道松と桜文、それと菊を引き連れ長い廊下を歩いて行った。


 残された牡丹は、ただぼんやりと。菖蒲と共に、次第に小さくなっていく彼等の背中を。ただ見送ることしかできなかった。

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