第036戦:打ちなびき 春は来にけり 青柳の

 事件の発端は、本当に些細な出来事、出来心から始まった。


 それは、ピンポーンと。甲高いチャイムの音が、まるで試合の開始を告げるホイッスルの音であるかのように。天正家のリビングに静かに響き渡り。


 その音に居合わせていた牡丹と道松、梅吉に、それから奥の台所で夕飯作りに勤しんでいた藤助はふと顔を上げた。



「誰だろう、こんな時間に」


「ああ。俺、出ますよ」



 そう言うと牡丹はソファから立ち上がり、部屋を出て玄関の扉を開ける。すると、目の前に立っていたのは、運搬業者の制服に身を包んだ男であり。


 牡丹は彼から大きめの段ボール箱を受け取ると、それを抱えリビングへと引き返した。



「あの、荷物が届いたんですけど……。それも、海外からです」


「海外だって? ああ、きっと天羽さんの荷物だよ。そろそろ出張から帰って来るから」


「なんだ、じいさんの荷物か。もしかして、中身はお土産か?」


「さあ?」


「どうなんでしょうね」と、返すより前に。梅吉は、鼻歌混じりに段ボールの封を切っていく。



「おっ土産、おっ土産……って、なんだ。じいさんの私物だけかよ」



 蓋を開け、中を開封するも。期待とは掛け離れた光景に、梅吉は酷く肩を落とした。


 落ち込んでいる彼の横から、ひょいと牡丹も中を覗き込むが。



「あの、なんだか随分と物騒な物が入っているような気がするのですが……」



 牡丹の言う通り、箱の中には何丁ものハンドガンに迷彩柄の衣服、それから無線機にゴーグルなどが入っていた。



「ああ。じいさんは、サバイバルゲームが趣味だからな。しかし、いくら好きだからって、わざわざ出張先にまで持って行ってやるかよ……。

 おっ、なんか面白そうな物が色々と入っているな」


「ちょっと、梅吉。その荷物、天羽さんの私物だったんだろう? あまり勝手に弄るなよ」


「へい、へい、分かってるって。へえ、手錠まであるぜ。あのじいさん、凝り性な上に本格派だからなあ」



 それを手にするや梅吉は、ソファに座って雑誌を読んでいる道松をちらりと眺め。


 にっと、自然と吊り上がった頬をそのままに。



「えー、天正道松容疑者。長男だからっていつも偉そうにしている罪で、現行犯で逮捕する!」



 言うや否や彼の左手に、ガチャンッとその手錠をはめた。



「……なーんちゃって。

 おー、結構爽快だな。この、ガチャンッ! って音がさ」


「おい、いきなり何をするんだ! なんだよ、これ。手錠か?」


「えー、本官はこれより、道松容疑者を本署まで連行するであります」


「何を馬鹿なことを言っているんだ。それなら、お前の方が迷惑罪で逮捕だ」



 道松はすっかりなりきっている梅吉の手から手錠を奪い取ると、もう片方の穴に彼の右手をはめさせ。



「あっ、この! なにするんだ。容疑者が反抗するんじゃない」


「誰が容疑者だ、いい加減にしろ!」


「もう、道松兄さんまで……」



 いつものことながら額をくっ付け合って喧嘩し出す二人に、何を一緒になって遊んでいるんだと。牡丹は薄らと目を細めた。



「ったく。これ以上、この馬鹿に付き合っていられるか。早く外せ!」


「へっ、それはこっちの台詞だ。なーんでお前に逮捕されないといけないんだよ。

 おい、牡丹。鍵を取ってくれ」


「はい、はい。分かりました。仕方ないなあ……って、あれ? 見当たらないな……」


「ははっ、牡丹ってば。脅かすなよ。そんな訳ないだろう?」


「そんなこと言われても……。本当に見当たりませんよ」


「……は? ない訳ないだろう。本体があって鍵がないなんて、そんなこと……」



 口先では強がるものの、いつまでも探し続けている牡丹に。二人の顔は見る見る内に蒼褪めていき。



「こうなったら、徹底的に探せ! きっとどこかに紛れているんだ。取り敢えず、その箱を引っ繰り返せ」



 こうして梅吉の指示の元、牡丹は段ボールの中身を床へとばら撒き。三人はその山を手で掻き分けながら、見落とさないよう慎重に探していく。



「夕飯、そろそろできるよー……って、何をしているの? 床に這い蹲って……って、あー!

 もう、天羽さんの荷物なのに。こんなに散らかして……」



 ぶつぶつと藤助が愚痴を溢すも、三人の耳には届いてなどいなく。必死に探し続けるも……。



「ない……、ない、ないっ! やっぱりどこにもないぞ!」


「おい、藤助。じいさんに電話だ、電話!」


「えっ、電話って?」


「だから、この手錠の鍵がどこにも見当たらないんだよ!」



 二人は息を揃え、それぞれ手錠の掛けられた手を一斉に掲げて見せる。



「はあ!? ちょっと、なんで二人の手が手錠で繋がっているんだよ。もう、仕方ないなあ。ちょっと待って。

 えっと、今、日本が夜の七時だから、ニューヨークは朝の六時か……。そんなに朝早く、まだ寝ているかもしれないぞ?」


「いいから、とにかく早く掛けろ!」



 やんや、やんやと二人に急き立てられる中。藤助は、渋々といった調子で電話の子機を手に持ち。



「全く、本当に迷惑なんだから……。

 あっ、天羽さん。済みません、こんな朝早くに。お久し振りです。はい、はい。はい、こっちはみんな元気にやっていますよ。はい、天羽さんは、お体大丈夫ですか? はい、はい」


「おい、藤助。早く用件を言え」


「もう、分かってるって。ちょっと待ってよ。

 ……あっ、いえ、大丈夫です、はい。あのですね、実は送られて来た荷物の中に入っていた手錠のことで……。それが色々ありまして鍵が必要になってしまったのですが、見当たらなくて……。はい、はい。……えっ!? 本当ですか……? はい、分かりました。いえ、済みません。お願いします、はい。では、天羽さんもお体に気を付けて」


「おい、藤助。鍵はどこにあるって!?」


「……ふう。もう、少しは落ち着いてよ」


「これが落ち着いていられるかっ! それで、どうなんだ?」


「それが鍵だけ送り忘れて、天羽さんの手元にあるって」


「……はあ? それって、つまり……」


「うん。天羽さんが帰って来るまで、当分の間、二人はそのままってことだな」



 道松と梅吉は、ちらりと互いの顔を見合わせ。


 数秒の間を置き――。



「はあーっ!??」


「ふざけるなよっ!」

と、一斉に怒声を上げた。



「ふざけてなんかいないよ。寧ろ、ふざけていたのは二人の方だろう?」


「うっ、それを言うなよ……。あっ、そうだ。国際郵便で、また鍵だけ送ってもらえばいいんだ!」


「その手も考えたけど、でも、直ぐに送った所で、日本に届くまで二、三日は掛かるんだ。どうせ天羽さんも三日後には帰って来るし、下手に送って郵便事故に遭ったり、遅れたりするより、直接持って帰って来た方が無難で安全だってことで話はまとまったよ。

 あーあ。お前達の所為で、わざわざ国際電話まで掛けたんだからな」


「こんな時まで金の心配なんてするなよ。俺達と金と、どっちが大切なんだよ!」


「だって、お前達は自業自得じゃないか」



 ゆらりと冷やかな瞳を揺らす藤助を前に、返す言葉もないとばかり。二人は思わず喉奥を詰まらせる。



「おい、あまり藤助を刺激するな。ただでさえアイツの頭の中は、今の国際電話にどれくらいの料金が掛かったか。計算して、無駄な出費に苛立っているんだから」


「分かってるって。アイツを怒らせると面倒だからなあ。

 ったく、なんだよ。本当は久し振りにじいさんと話せて、内心では嬉しがっている癖に」


「でも、どうするんですか? 鍵がないと、いつまでも手錠を外せませんし……」


「ああ。こんなのと、三日もくっ付いたままなんて。俺は絶対にご免だからな!」


「なんだよ、それはこっちの台詞だ! それに、諦めるのはまだ早いぜ。ふっふっふっ……。鍵がなくて外せないのなら、いっそのこと、壊しちまえばいいんだよ!

 と言う訳で、牡丹。工具だ、工具! 早く工具を持って来い!」


「あっ、そっか。分かりました!」



 梅吉の発案に、牡丹はリビングを後にし。工具を手に持ち戻って来た。


 そして、箱の中身を広げ。良さ気な道具を使い鎖の部分をどうにか切断させようと、次々と持ち替えては試していくも……。



「なんだこの鎖、滅茶苦茶硬いぞ……! はあ、はあっ……、駄目です。ウチにある工具では、ちっとも切れませんよう……!」


「頑張れ、牡丹! お前だけが頼りなんだぞ。それじゃあ、次はこれだ。これを使え!」


「そんなこと言われたって……。んんっ、か、硬い……!」


「ちくしょう! なんでこんな時に、無駄に馬鹿力の桜文がいないんだよ。こういう時に役立てなくて、いつあの馬鹿力を使うんだよおっ……!」


「桜文兄さんだって、まさか自分が留守の間にこんな事態が起きているなんて。きっと思ってもいませんよ。

 部活の特別強化合宿で、群馬に行っているんですよね?」


「ああ、そうだ。しかも、あと三日は帰って来ないはずだ。学校を休んでまで、なにも行くことないだろうに……って、おい、牡丹。まだ切れないのか?」


「はあ、はあ……。済みません、無理です。ギブアップ……」



 牡丹は息を切れ切れに、持っていた工具を放り投げるが。



「おい、牡丹。簡単に諦めるんじゃない! お前のその根に持つ性格を、ここで発揮しなくてどうするんだっ!」


「簡単にって、これでも十分奮闘しましたよ。見て下さい、この手を。もう掌が真っ赤になっちゃったじゃないですか」



 牡丹は梅吉の顔面へと掌を突き付け、むすりと頬を膨らませる。






 閑話休題。






 一時の休憩を挟んで再び奮闘を続けていると、いつの間にか些か冷ややかな目をした菖蒲が後ろに立っており。



「……あの、一体何をそんなに騒いでいるんですか?」


「菖蒲! それが、実は……」


「成程。つまり鍵がないので、代わりに鎖の部分をどうにか切り離そうとしていたと。でも、その手錠はステンレス製ですよね?」


「えっ、そうなのか?」


「はい、少々お待ちを……。

 ふむ、ふむ、分かりました。今、ネットで調べたのですが、その手錠は高強度のステンレス製で、引っ張り強度は五百キログラムだそうです。それに、鎖部分は溶接加工をされているので、一寸やそっとのことでは破壊できませんね」


「なにーっ!??」


「五百キログラムだと? それって、一体どれくらいの力なんだ?」


「そうですね。ゴリラの握力が推定四百から五百キログラムくらいだと記憶しています」


「ははっ、ゴリラって。ゴリラに引っ張ってもらえってか……」



 自分達が相手にしている敵の素性を知ってしまい。その壁の高さをより一層と感じ、三人は酷く落胆する。



「……あれ。でも、どの製品の手錠か分かったんですよね。それならメーカー先に問い合わせて、鍵だけ購入すればいいんじゃないですか? もし鍵だけの販売をしていなければ、手錠ごと買ってしまって。鍵さえ手に入ればいい訳ですし」


「そっか、そうだよな。ナイス、牡丹! 早速問い合わせようぜ」


「でも、手錠の鍵ってどれも同じなのか? こういう物って、個々によって異なるんじゃないのか。マンションの鍵みたいに……」


「あっ……、言われてみれば、確かに……。どうなんですかね?」


「その点ですが、この製品の鍵は全て同質の物だそうです」


「なあんだ。道松ってば、驚かせるなよ。それじゃあ、菖蒲。早速手配してくれよ」


「あの。そうして差し上げたいのは山々ですが、この製品、現在、品切れ中だそうで。発送なども含めたら、最低でも一週間程度の時間を要するとのことでした」



 一喜しては、また一憂し。菖蒲の口から述べられる更なる厳しい現実に、三人の受けたショックは多大であり。ふるふると、全身が小刻みに揺れるばかりだ。



「一週間って……。ははっ、じいさんの方が先に帰って来ちまうじゃねえかよ……」


「そ、それならっ……、最後の手段! ピッキングだ、ピッキング!」



 半ば自棄になりながらも梅吉は、天井に向けて針金を掲げ。それを牡丹へと託し。



「頑張れ、牡丹! お前ならできる!」


「そんなこと言われても……。こんなこと初めてやりますし、よく見えない上に構造が分からないよ……」


「ねえ、三人共。ご飯、食べないのー?」


「ええいっ! こんな状況で、暢気に飯なんか食っていられるか! 他人の気も知らないで、薄情者共がっ……。

 いいな、牡丹。本当にお前だけが頼りなんだからな!」


「だから、そんなこと言われても……」



 両脇から、がやがやと言われる中。牡丹はかちゃかちゃと、我武者羅に針金を動かし続けるも。


 十分後――。



「頑張れ、牡丹!」


「お前ならできる!」



 三十分後――。



「目指せ、ピッキングのプロ!」


「お前ならなれる!」



 一時間後――……。



「もう、三人共。そろそろ諦めて、早くご飯食べなよ。せっかく作ったのに、もう冷めちゃったじゃないか」



 牡丹等以外はとっくに夕食を食べ終え、またもや藤助から文句を言われる傍ら。三人は床に手を付き、すっかり放心状態だ。ぽつんと転がるようにして放り投げられた針金が、よりその場の物寂しさを誘う。



「ははっ……、なんで、どうして外れないんだ……。くそっ。

 大体、こんな事態になったのは、お前の所為だ! 一体、どうしてくれるんだ!」


「なんだよ。だったら、そう言うお前だって同罪じゃねえかよ! 俺の真似をして、手錠を掛けたりなんかしなければなあっ……!」


「ああっ、もう! 言い争った所で、手錠が外れる訳でもないんだから。いい加減、諦めなよ。三日の辛抱なんだしさ。

 それより、早くご飯を食べてよね。いつまでも片付けられないだろう」


「飯はいらん。食欲がなくなった。風呂に入って、今日はもう寝る」


「ああ、同感だ。おい、芒。お前も来い。せめてもの癒しだ」


「まさか、三人で入るの? 狭いだろうし、それに芒を巻き込むなよ。可哀想だろう」


「なに、狭くても構わん。コイツと二人きりよりは余程ましだ」


「藤助お兄ちゃん。僕は別にいいよ」


「えっ、本当に?」


「うん。お兄ちゃん達と一緒にお風呂、お風呂!」


「もう、仕方ないなあ。くれぐれも芒に怪我だけはさせないでよ」



 不安を抱く藤助を余所に、珍しくも二人の意見が一致すると。彼等は芒を連れて浴室へと向かう。


 しかし……。



「あっつーっ!??

 おい、道松。熱湯をぶっかけるな!」


「お前こそ、泡を飛ばすんじゃない! 目に入っただろうが!」



 予想通り、二人の怒鳴り合いが浴室から家内全体にまで響き渡り。その間には所々、きゃっ、きゃっ……! と、芒の甲高い音が聞こえて来る。



「あーっ、楽しかったー!」


「ほら、芒。ちゃんと髪を乾かさないと。風邪引いちゃうだろう」


「はあ、はあっ……。なんだか無駄に疲れた……。俺はもう寝る……」


「ああ、奇遇だな。俺も今日は寝るぜ……。芒、お前も一緒に来い」



 またしても、二人は芒を引き連れ。よろよろと覚束無い足取りで、一段ずつゆっくりと階段を上がって行く。


 果たして、こんな調子で残り三日を無事に過ごせるのだろうかと。牡丹率いる天正家の不安は、既に渦巻くばかりであった。

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