第023戦:花の盛りに 来る人もなし

 前回、どうにかお金を工面し。その資金を菊に渡そうとするも、彼等の意図とは反対に受け取ってもらえず。作戦は見事に失敗、玉砕だ。


 藤助の悲痛の音ばかりが、しんと静まり返った室内に更に拍車を掛けるよう響き渡る。



「うっ、うっ……。せっかくお金が集まったのに、どうして受け取ってくれないんだよう……」


「おい、藤助。いい加減、泣き止めよ。それより次の作戦会議だ。でも、菊の奴。まさか、写真のことまで知っていたなんてなあ」


「そりゃあ、あれだけ大騒ぎすれば……。嫌でもばれますって」



 寧ろ気付かれないとでも思っていたのかと。牡丹はじとりと平然とした調子の梅吉を見つめた。



「それにしても。口には出さなくとも、菊も気にしていたんですね……って、藤助兄さん? どうかしましたか。目の焦点が合っていませんが……」


「いや、その……。本当は紅葉さんに言われる前に、俺達がちゃんと気付いてあげないといけなかったんだよなって。菊は、ほら。人一倍意地っ張りで、不器用で。言いたいことも、素直に言えない性格で。それに、女の子だもんな。男の俺達には言い辛いことだって色々あって……。

 もしも俺達の中に一人でも女の子がいたら、少しは違っていたんだろうなって、そう思うと……」


「おい、おい。たられば話をした所で、仕方ないだろう。状況が変わる訳でもないんだから」


「うん、そうだね。ごめん……」



 梅吉に諭され。藤助は、虚ろな瞳を無理に揺らして振り払う。



「それで、問題はどうやって菊に受け取る気にさせるかだけど……。一度ああなると、菊は絶対に折れないもんね」


「そうだよなあ。そういう頑固な所は、どこぞの誰かさんにそっくりだよな」


「おい。どこぞの誰かって、もしかして俺のことか?」


「おや。俺は別に道松お兄ちゃんだとは一言も言っていないが、でも、どうやら少しは自覚があったようだな。その性格をどうにかすれば、今回だって、もう少し上手くことを運べたかもしれないなんて。俺はちっとも思っていませんよ」


「ああっ!? なんだよ。渡すのに失敗したのは、俺の所為だとでも言いたのか?」


「一方的に言いたいことだけ言って、受け取れなんて頭ごなしに言われてもなあ。あんな強引な態度で付いて来てくれるのなんて、鶴野ちゃんくらいだぜ?」


「なんでそこで鶴野が出てくるんだ!? 今は関係ないだろうが!」


「単なるものの例えだろう? 別にいいじゃねえかよ。愛しい、愛しい鶴野ちゃんさえ付いて来てくれれば。それの何が不満なんだよ」


「だから、今はそういう話じゃないだろうが! さっきから、お前は何が言いたいんだ!?」


「もう! こんな時に喧嘩なんてしないでよ」



 話し合いから、いつの間にか兄弟喧嘩に発展し。激しい火花を放ち合い出す道松と梅吉の間に、いつもの如く藤助が無理矢理割り入る。


 またしても、深い沈黙が流れ出す中。しかし、その空気に耐え切れなくなったのか。梅吉がお手上げとばかり真っ先に音を上げた。



「ああっ、もう! 菊が金を受け取らない以上、いっそ俺達で買って渡した方が余程早いんじゃないか?」


「買うって、女性用の下着を? 一体誰が買いに行くんだよ」



 藤助を始め他の面子も、絶対に無理だと首を激しく左右に振る。



「おい、おい。そんなに拒絶するほどかあ? 今は男が自分好みの物を平気で女の子にプレゼントする時代だぜ? たかが下着の一枚や二枚、可愛い妹の為なら尚更買えるけどな」


「だったら、梅吉が買って来てよ。なんだ、これで話もまとまったな」



 良かったと藤助は現金にも、急に拓けた明るい未来に、ぱあっと表情を晴らさせる。


 けれど……。



「あのよう、藤助。喜んでいる所悪いが……。なに。女物の下着を買いに行くのは別に構わないんだけど、問題はサイズだよ、サイズ」


「えっ? サイズって……」


「俺、菊のスリーサイズなんて知らないぞ」


「あ……」



 しまった――! と、その事実に気付き。先程までの浮かれようは、一体どこへ行ってしまったのか。遠くの方に広がっていた眩い明日は、一瞬の内でがらがらと音を立てて崩れ去り。藤助は再び床に伏せた。



「いやあ、大体のサイズなら想像付くが、細かい数字までとなるとさすがになあ。誰か知っている奴は……って、いる訳ないか」


「直接本人になんて聞けないし、聞いた所で絶対に教えてくれる訳もないし……」


「こうなったら、寝ている隙にでも測定するか?」


「そんなことしてばれたら、それこそ大事になっちゃうよ! 下手したら、一生口を利いてもらえなくなるぞ!」



「何を考えているんだ!」と、藤助は素っ頓狂な音を上げさせる。



「だって、他に方法なんて思い付かないしー」


「それ以前に俺達がプレゼントした所で、どちらにしても菊が素直に受け取るとは思えないんだが……」


「何がなんでも、菊本人にお金を受け取らせるしかないってことですね……」



 結局、話は堂々巡りし。戻るべき所に戻って来た。


 二進も三進もいかない様に、牡丹を始め天正家の兄達の悩ましい夜は、彼等の意志とは無関係に刻一刻と更けていった。






✳︎✳︎✳︎






 日は変わり、次の日の放課後――。



「ごめんね、菊。買い物に付き合わせちゃって」



 藤助はいつもの人の良さそうな笑みをどうにか取り繕い、隣を歩く菊に礼を述べる。しかし、その笑顔の裏では、菊には気付かれぬよう必死にきりきりと痛む胃を押さえ込むのに精一杯であった。



「いやあ、お陰で助かったよ。なんといったって、お一人様一点限りセールだからさ」


「別に、どうせ今日は部活が休みだから……。でも、どうしてわざわざここのショッピングモールなの?」


「ちょっと遠いけど、やっぱり安いからさ。いやあ、多少歩くことになっても、やっぱり安さには敵わないよな」



 藤助は半ば自棄に、ははは……と乾いた音を上げる。


 先程から些かおかしな様子の兄に、菊は眉間に一筋の皺を寄せ。じろじろと猜疑に満ちた瞳を光らせるも、その手前。



「あれ? 兄さん。食料品売り場って、そっちじゃなくて……」


「……ごめん、菊!」



 唐突にも菊の言葉を遮り、そう言うと同時。藤助はがばりと頭を下げる。気付けばいつの間にか、そこは女性用下着専門店の前であり。



「藤助兄さん。……騙したの?」



 彼の意図が瞬時に読み取れ、菊はきっと鋭い視線で藤助を睨み付ける。その刃にも似た歯切れの良さそうな瞳に、藤助は思わずひっ!? と喉奥を鳴らした。



「俺は、その……、適当にその辺で待っているから。だから、買っておいで」


「……そういうことなら、私、帰る」


「菊!? ちょっと待って……!」



 藤助がおずおずと差し出した例の茶封筒を、予想通り、菊は受け取らず。何度も呼び止める声を一切無視し、すたすたとその場から離れて行く。



「おい、おい。どうするんだよ。このままだと、本当に帰っちゃうぞ」


「どうするって……」



 言われてもと、牡丹並びに天正家の一同は、揃って困惑顔を浮かばせる。


 二人の後を付け、こそこそと様子を窺っていた牡丹達だが、やはりこういう結果になったかと。すんなりと敗北を認めざるを得ない。



「だからこんな真っ向勝負、無駄だと俺は言ったんだよ。あれで菊は、ますます受け取らなくなったぞ」


「そんなこと言われたって、他に方法なんて思い付かなかったんだから。仕方ないだろう。それより。ねえ、どうしよう」


「そうだなあ。わざわざ部活まで休んで来たんだ。どうにかしたいけどなあ」


「ううっ……。どうして菊は、受け取ってくれないんだよ……」



 またしても泣き出す藤助に、牡丹の胸は痛み。



「藤助兄さん……。……分かりました。俺が行きます――!」



 そう意を決するや、彼は急に立ち上がり。一目散に菊の元へと駆けて行く。


 その背中に向け、

「牡丹!? おい、ちょっと待てよ……って、行っちまった。行くってアイツ、一体どうする気だよ?」



 梅吉が制止の手を伸ばすも間に合わず。咄嗟に飛び出してしまった牡丹に、仕方がないとばかり。取り敢えずは任せることに決め。


 彼等に見守られる中、牡丹はがしりと菊の腕を掴み取り。



「菊……。ちょっと来い!」


「……はあ?」



 突然現れた牡丹に、菊は一瞬の不意を突かれ。彼女の身体はずるりと前のめりにバランスを崩す。


 どうにか体勢を立て直すも、訳が分からず呆気に取られている菊を無視し。牡丹はずるずると、彼女の腕を引っ張り続ける。



「ちょっ……、ちょっと、なにするのよ!?」


「なにって、今から一緒に買いに行くんだよ。お前の下着を」


「はあっ!? なに訳の分からないこと言っているのよ!」


「お前が素直にお金を受け取らないからだろう。こうなったら、もう強行突破しかないだろう!」



「店の中にさえ入ってしまえば、こっちのもんだ!」と。牡丹は言い放つと、ますます身体に力を込め。一歩、また一歩と、お目当ての下着店目指して歩を進める。


 しかし、一方の菊も、勿論彼の言うことに素直に従うはずもなく。



「だから、いらないって何度も言っているでしょう! 今直ぐその手を離しなさいよ!」



 彼女にしては、珍しくも喚き出し。意地でも動くものかと、その場に留まり続ける。



「早く離しなさいよ、変態!」


「いいよ、変態でもなんでも。いくら注意した所で、どうせそう言われ続けるんだ。今更もう構うもんか」


「なに開き直っているのよ!」


「うるさいなあ。分かったから早く来いよ」


「なによ、信じられない……。このっ……、変態!」



「変態、変態、へんたーい!!」と、菊の一層と甲高い音がショッピングモール中に響き渡る。


 だが、菊の必死の攻撃も牡丹はさらりと流し。決してどちらも折れることなく、二人の引っ張り相撲こと意地の張り合いは続けられる。


 攻防戦の経過に伴い、いつの間にやら周りには、ぽつぽつとギャラリー宜しく野次馬が増え出し。店員達まで何事かと店の奥から出て来るものの、二人の放つ異様なオーラに手を出すにも出せない状態といった所だろうか。


 周囲から静かに見守られる中、二人の虚しい戦いは白熱を増していく一方で。



「ねえ……。ちょっとこれ、大丈夫かな? 勘違いされて通報されたりしないよな?」


「そうですね。下手したら強要罪辺りに値するかもしれませんね」


「まさか、あんな直行勝負に出るなんて。思ってもいなかったぜ。それだったら桜文が引っ張れば、菊くらい一発で店の中に引き摺り込めたのに……。

 なんだかあそこまで必死にされたら、今更言い出すのもなあ」


「えーと、いや、その……。菊さんを引っ張り込むくらい訳はないんだが、あの店の中に入るのは、さすがにちょっと……」



 桜文は小さく首を横に振り、へにょりと太い眉を下げた。



「なあ、なあ。菊と牡丹、どっちが勝つか今日の夕飯のおかずを賭けようぜ。俺は、そうだなあ。菊に一票!」


「それじゃあ、俺も菊さんに」


「僕も彼女でお願いします」


「おい、おい。全員が菊に賭けたら、賭けにならんだろうが。それじゃあ、俺は牡丹で。アイツ、結構しつこいというか、根に持つタイプだからな」


「道松だけ牡丹か。それで、藤助はどっちに賭けるんだ? あとはお前だけだぞ」


「ちょっと、なにを暢気に賭けなんかしているんだよ! あの状況をどうにかしてよ」


「いやあ、だってなあ。じたばたしたって仕方がないし、かと言って、勝負も着かなくて暇だしさー。それに、なかなか面白いじゃないか」


「もう、梅吉ってば! 面白がっていないでさあ……」



 どうにかしてよと懇願する藤助だが、一同はお手上げとばかり。一斉に首を横に振る。


 兄達が能天気にも戦いの結末を予想し合う間にも、後ろの喧騒は瞬く間にヒートアップしていき……。



「お前はいつもそうやって、どうしてもっと素直になれないんだよ!」


「うるさい、うるさいっ! いい加減、その手を離しなさいよ!」


「絶対に嫌だ! お前が諦めるまで、絶対に離すもんか!」


「たかが下着のことで、なにをそんなにむきになっているのよ。信じられない!」


「そんなこと、俺だって信じられないよ! ていうか、信じたくなんてないし。お前だって、なんでそんなに意地っ張りなんだよ。可愛くないっ!」


「別にアンタに可愛いなんて思われたくもないわよ。この、変態!」


「またそうやって、俺のことを変態扱いして……。それしか言うことないのかよ!」


「嫌がるか弱い女を無理矢理下着店に連れ込もうとしている人間の、どこが変態じゃないって言うのよ!」


「か弱いって、一体誰のことだよ? 刃物を持った男にも丸腰のまま平然と向かって行くような女はな、世の中ではか弱いなんて言わないんだよ!」


「なによ、まだあの時のことを根に持っているの? 本当にしつこいわね!」


「別に気にしてなんかいないさ。どこかの誰かさんは、俺や桜文兄さんの手なんか借りなくともストーカーの一人や二人、簡単に返り討ちにできることなんて!」


「――っ、なによ……。十分根に持っているじゃない、この、変態っ!! こんなことして、恥ずかしくない訳!?」


「恥ずかしいに決まっているだろう! 俺だって死ぬほど恥ずかしいよ。でも、お前が張らなくていい意地を張り続けるからだろう。お前こそ、どうしてそう物分りが悪いんだよ。兄さん達は、お前の為を思ってだな……!」


「だから、それが余計なお世話だって言っているの! 私に構わないでよっ!」


「構わない訳にはいかないだろう! お前は、俺達の妹なんだから――!!」



 刹那、一拍の間を置き――。



「……ああっ、もう! 分かったわよ……。受け取れば良いんでしょう、受け取ればっ!!」



 菊は最早投げ遣りに、漸く音を上げ。急に力を抜いた為、牡丹は余計な力が働き思わず前のめりに倒れ込んだ。



「わっ!? いっつう……。おい、急に止まるなよ。ったく、やっと折れたか。どれだけ強情なんだよ。

 ……その金、大事に使えよ。兄さん達がどんな思いで掻き集めたと思っているんだ」


「そんなこと、アンタに言われなくても分かっているわよ。この……、変態っ!」


「だから、変態は余計だ! それと……。

 余った金で、好きな服買えよ。多分、一着くらいは買えるだけあると思うから。この前、ここで見ていた服。本当は欲しかったんだろう? その……、多分、お前に似合うと思うぞ……って、なんだよ、その目は」


「……あの服だけは、絶対に買わない」


「なっ……!?」



 ぽつりと、菊は言い残し。ふいと牡丹から顔を背ける。


 そんな彼女のつれない態度に、本当に可愛くない――!!! と、牡丹は心の内で思い切り叫んだ。



「一歩でも店の中に入って来たら、絶対に許さないから……。こんな公衆の面前で、恥ずかしい奴!」


「うるさいなあ。入る訳ないだろう……って、へっ……? なに、この人だかり……」



 菊の指摘に、漸く周りの状況が目に入り。何故かぱちぱちと拍手を送ってくれている観衆達に、牡丹の顔は一瞬の内にさあっ……と蒼褪めていく。


 そんな彼の肩に、ぐるりと腕が回り。



「よう、牡丹。よく頑張った! さすがに俺も、あそこまではなあ。いやあ、すごかったぞ。見事な意地の張り合いだったぜ」


「あの、梅吉兄さん。その話、もう止めてくれませんか?」


「なんだよ。まさか、今頃になって恥ずかしくなったのか?」


「うっ……」



 梅吉はうりうりと、牡丹の林檎みたく熟した頬を指で軽く突く。その刺激により、牡丹の顔はますます真っ赤に染まっていく。



「ははっ。なんだよー、そんな恥ずかしがるなって。まあ、過程はどうあれ、これで無事に目的も達成できた訳だ」


「そうだね。これで暫くの間は、取り敢えず一安心かな。それじゃあ、俺達はどうしようか?」


「そうだなあ。どうせなら、菊の下着選びを手伝ってやるか?」


「梅吉! そんなことをしたら、せっかく菊もその気になったのにまた逆戻りになるだろう!?」


「冗談だって、冗談。でも、どうせだから服の方は選ぶのを手伝ってやろうぜ」



 顔を真っ赤にして怒る藤助に、梅吉はけらけらと笑声を上げ。そんな兄達の和やかな様子を後目に、牡丹は額に浮かぶ汗を拭い取ると、一つ大きな息を吐き出させる。


 それから。暫くの間、ここのショッピングモールは利用できないと。人々が流れるように行き交う様子を眺めながら。牡丹は一人、乾いた音を上げた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る