花札絵巻〜華族ごっこ

花色 木綿

第001戦:八雲立つ 出雲八重垣 妻籠に

「ここが、そうなのか……」



 ザッと、靴が擦れる音。足音を辿れば、とある家屋を見上げている少年が一人。風により、そよそよと黒い髪が軽く靡いている。



「ここに、アイツが……」



(とうとう、この日がやって来たのか。昔から、ずっと、ずっと望んでいた、この日がとうとう……!!)



 少年はインターフォーンへと腕を伸ばすが、しかし。指先は、ぷるぷると酷く震えている。


 情けなさと、焦りと。それからよく分からない感情全てを振り払わせると、無理矢理喉を鳴らして固唾を呑み込ませ。再び腕を伸ばすがその手前、せっかくの決意を打ち壊すよう、いとも簡単にガチャリと内側から扉が開かれ――。



「おっ、なんだ。来ているじゃねえか」



 すっかり固まってしまっている少年とは裏腹、扉の隙間から顔を覗かせた男は飄々と告げる。


 それから、にかっと人の良さそうな笑みを浮かばせ。



「遅いから迷子になっているんじゃないかって、心配していたんだぞ。ほら、早く入れよ」


「あ、あの! 俺、天羽あまはさんに紹介されてここに来たのですが……」


「ああ。話は天羽のじいさんから聞いているって」



 男は少年の腕を半ば強引に引っ張って、そのまま中へと連れ込む。そして、バンッ! とリビングへと続く扉を思いっ切り開け放ち。



「おーい。藤助ふじすけ牡丹ぼたんが来たぞー!」


「もう、梅吉うめきちってば! もう少し静かに開けろよ。ドアが壊れちゃうだろう? 相変わらずがさつなんだから」



 中に入ると細身の男が、ひょいと台所から顔を突き出し。それから愚痴を溢しながらもお盆を携えて出て来る。


 テーブルの傍まで来ると、ことんとその上にグラスを置き。



「はい、お茶。緑茶だけど、平気?」


「あっ、ありがとうございます」


「なんだよ、堅苦しいなあ。これから一緒に暮らすんだから、もっと気楽にしろよ。そんなんだと、肩が凝っちまって仕方がねえぞ。それにしても。まだ手を出した女がいたんだな、俺達の親父」


「えっ……。一緒に暮らすって? まだ手を出した女がいたって? 俺達の親父って……?」


「あれ? 天羽のじいさんから聞いてねえのか?」



 こくんと小さく頷いて見せる少年に、梅吉と藤助は互いに顔を見合わせ。


 首を傾げていると頭上から、ドタバタと鈍い音が鳴り出した。続いて、バンッと勢いよく扉が開き。小さな塊が中へと飛び込んで来た。



「ねえ、ねえ! 牡丹お兄ちゃんが来たって、本当?」


「こら、すすき! 家の中を走り回ったら駄目だろう」



 影の正体は、年端もいかない男の子で。藤助から叱責を受けるも、きらきらと大きな瞳を瞬かせる。


 すっかり興奮している芒の後ろから、お次は目付きの鋭い男がゆらりと気怠げに入って来て。



「全く、騒々しい。これも、どこぞの馬鹿の影響を受けちまったんだろう。可哀想に……」


「おい、道松みちまつさんよ。どこぞの馬鹿って、もしかして俺のことか?」


「もしかしてもなにも、お前以外に誰がいるんだ」


「なんだとーっ!?? 誰が馬鹿だ、誰が!」


「ちょっと、道松も梅吉も。そうやって直ぐに喧嘩しないでよ。全く、毎回止めるこっちの身にもなって欲しいよ」


「藤助兄さん。この人達が顔を合わせれば喧嘩に発展するのは、今に始まったことではないではないですか。いい加減、諦めた方が聡明だと思いますよ」


「うっ、菖蒲あやめ。それは、そうだけどさ……」



 いつの間にか部屋にいた銀縁眼鏡の男の指摘に、藤助は、うっと頬を引き攣らせる。


 一人落ち込む彼の脇から、今度は大柄な男がのそのそと遅れてやって来て。



「ねえ、牡丹くんが来たんだって? ……っと、君が牡丹くんだよね? よろしく」


「はあ、こちらこそ……」



 よろしくと少年も流れに乗り、大柄な男から差し出された手を握り返す。


 が。



「……って、ちょっと待って下さい! あの、皆さんは一体……」


「ん、本当に何も聞いていないのか? ったく、じいさんも仕方ねえなあ……。あのな、ここにいる俺達全員、お前とは腹違いの兄弟なんだよ」


「え? 兄弟って……。え、え……。ええーっ!??」



 思わず少年もとい牡丹が身を乗り出させると、梅吉はぱちぱちと軽い拍手を送り。



「おおっ、見事なリアクションだ。今までの中で一番良い反応だぞ」


「まあ、驚くのも無理はないよ。俺達だって、初めて聞かされた時は信じられなかったしね。俺達は父親が同じなんだよ」


「父親って、あの馬鹿親父がっ!?」


「そう。その馬鹿親父が」



 梅吉は変わらず冷静な声で返すと、ごほんと、わざとらしく咳払いをする。



「話せば別に長くもないが、俺達は、れっきとした腹違いの兄弟だ。親父は大の女好きで、色んな女に手を出し子供を作ってはどっかに消え。お袋達は女手一つで育ててくれたが、残念ながら死んじまい。他に頼れる身内もいないもんだから、俺達はこうして一つ屋根の下で、兄弟力を合わせて暮らしているって訳さ」


「はあ、そうなんですか」


「『はあ、そうなんですか』って、何を他人行儀な。牡丹だって、そうなんだろう? お袋さんが死んじまって行く当てがないから、こうしてここに来たんだろう?」


「確かにそうですが、でも、俺は……って、それより! 親父は!? 親父はどこにいるんですか! 俺は母さんを捨てた親父に、復讐をする為にここに……!」



 ぶんぶんと、激しく首を左右に振り回す牡丹に。周りはすっかり引いており。


 誰もが黙り込んでいる中、一人だけ。やはり梅吉が遠慮深げに手を挙げさせ。



「あのよう。一人燃えている所、悪いんだけどさ。多分、親父には会えないぞ」


「へっ!? 会えないって……」


「それが、誰も親父に会ったことがないんだよ。ここで暮らすようになって随分と月日が経つが、今までに親父がここを訪れたことは一度もない」


「会ったことがないって、一度もですか?」


「ああ、一度もな。ちなみにこの家は、天羽のじいさんが管理していて。じいさんは親父とは昔からのよしみらしく、俺達の面倒を見てくれているんだ。最近は多忙で、家を空けていることの方が多いけどな」


「そんなあ。それじゃあ俺は、何の為にここに……」



 ずるずると、塩を掛けた青菜みたいに。すっかり崩れ落ちる牡丹の肩に、梅吉はぽんと軽く手を乗せ。



「まあ、まあ。そう気落ちするなって。あの親父のことだ。その内、ふらっとここに来るかもしれないぞ。それまでの間、兄弟仲良く暮らしながら、親父が訪問して来るのを気楽に待つんだな」


「ふっ……、ふざけないで下さい! 俺は馬鹿親父に復讐する為だけに、ここに来たんだっ! 家族ごっこをする為に来たんじゃない!」


「おい、おい。家族ごっことは、随分と言ってくれるじゃねえか……。まっ、俺達は別に構わねえけど、お前、他に行く所なんてあるのか?」


「うっ!? そ、それは……」


「だろう? ここで俺達とお前のいう家族ごっこをしながら、馬鹿親父を待つのもありなんじゃないか?」



 にたりと白い歯を覗かせる梅吉に、牡丹はそれ以上何も言えなくなり。咄嗟に彼等から視線を逸らす。


 いつまでも黙り込んだままの彼を他所に、梅吉はまたしても口角を上げていき。



「所で、牡丹。お前、何歳だ? それから誕生日は?」


「歳ですか? 十六歳で、今年の春から高二です。誕生日は六月ですが……」


「ふむ、ふむ。誕生日は菖蒲の方が早いな。ということは、お前は六男だな」


「はあ。六男……ですか?」


「ああ。お前は今日から、天正てんしょう家の六男だ。まっ、そういうことで。我が家の新たな一員、牡丹に一丁自己紹介とでもいこうじゃないか」



 梅吉は景気付けとばかり、ぱんっと威勢よく手を叩き。



「あそこに座っている目付きの悪い偉そうな男が道松で、一応長男だ。で、俺は次男の梅吉。あそこのでっかいのが桜文はるふみ、三男。藤助が四男で、あの眼鏡が五男の菖蒲だ。そして……」


「僕は芒。小学四年生だよ。よろしくね、牡丹お兄ちゃん!」


「ははっ、お兄ちゃんって……」



 一度に増えた兄弟を前に、牡丹は苦笑いを浮かべるしか他になく。


 どうしたものかと考え込んでいると、不意に柄の悪い声が横から上がり。



「おい。誰の目付きが悪くて偉そうだって?」


「なんだよ、本当のことだろう。長男だからって、いつも偉そうに踏ん反り返っているじゃないか」


「ああっ、なんだとーっ!!」



 道松は勢いよく立ち上がり、己の額を梅吉のそれへとくっ付ける。バチバチと二人の間には激しい火花が飛び散り合い、藤助が止めに入ろうと割り込むも、不運とでもいうのだろうか。彼の持っていたお盆が二人にぶつかり、乗っていたグラスがぽーんと勢いよく宙を飛び……。


 バッシャーンと引っ繰り返ったグラスの中身が、牡丹の頭上に盛大に降り掛かる。ぽたぽたと、髪先からは大粒の雫が滴り落ち。牡丹はひょいと、濡れて固まってしまった前髪を指先で軽く払い退ける。



「うわっ!? 牡丹、大丈夫? あーあ、見事にずぶ濡れだな……。服を洗濯するから、早く脱いで」



「そのまま風呂にも入っておいで」と、藤助から背中を押され。なんでこんなことになっているんだと鬱蒼とした気分に駆られながらも、牡丹は脱衣所で汚れてしまった服を脱いでいく。


 が、何故か中からザーザーと、シャワーの音が扉の向こうから鳴り響き。その不審な音に耳を澄ませていると、続いてキュッと蛇口が閉まる音が聞こえる。それと同時、がらりと内側から扉が開かれ。その隙間から、一人の美少女が現れる。


 白い肌に、ぷっくらと赤く色付いた口唇が目を引き。栗色の水分をたくさん吸った長髪が、彼女の動きに合わせ軽く揺れる。


 けれど、彼女の大きな瞳が、まるで刃みたいな鋭い光を宿し。



「えっと、誰……?」



 だらりと一筋の汗が、牡丹の額から流れるのと入れ替わりで。彼の目の前は突然真っ暗になった。






 暗転。






 次に牡丹が目を覚ますと、何故か瞳いっぱいに藤助の顔が映り込み。



「おっ、やっと起きた。おーい、牡丹。大丈夫?」


「うん……。あれ、俺……」



 きょろきょろと辺りを見回す牡丹に、藤助は一つ溜息を吐き出させ。



きくのパンチをまともに喰らったんだよ」


「菊……って……?」


「俺達の妹だよ、妹。悪い、悪い。紹介するの、すっかり忘れていたぜ」



「人数が多いのも困りもんだよな」と、横から梅吉は軽快に笑い。



「ほら、菊。アイツが今日から仲間に加わった、牡丹だ。お前より一つ上だから、兄貴になるな」


「兄さんって、この変態が?」


「なっ……、俺は変態じゃない! あれは事故だ!」



 ぶすうと顔を歪ませる菊に、牡丹は必死になって弁解するが。しかし、一方の菊は、聞く耳持たんという態度だ。ぷいと顔を逸らし、視線さえ合わせようとはしない。



「おい。お前なあ……!」


「まあ、まあ。菊の裸を見たんだろう? 殴られたのはその駄賃だと思って、割り切っちまえよ。菊のやつ、ここ最近、また一段と良い体付きになっているからなあ。ううむ、羨ましいぜ」


「あの、完全に他人事だと思っていますよね? それから言って置きますが、彼女、タオルを巻いていましたから、その……、見ていませんよ」


「なんだ、殴られ損か。それは不憫だったな。まあ、とにかくこれで本当に全員集合だ。なに、自分の家だと思って気楽に暮らせよ」



 ばしばしと背中を強く叩いてくる梅吉に、牡丹は、はあと乾いた返事をすることしかできず。


 ちらりと、虚ろな瞳を揺らさせて。



(拝啓、天国にいるだろう母さん。

 俺の復讐は、残念ながらもう少し先になりそうです。それから……。)



 あなたが愛した馬鹿親父の所為で、たった一日で七人もの兄弟を得ました……と、周りの喧騒さを他所に。牡丹は一人、静かに天国の母へと報告した。

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