第2話 優しい笑顔を

「あ、おまたせー!」

 駅の改札から如月きさらぎ早希さきが手を振りながら出てきた。Tシャツにチェックの薄い上着を羽織り、ショートパンツにスニーカーという出で立ちだ。

彼女は以前起きた事件で命を救われた子だ。トラックにはねられて現世と冥界の狭間の世界で生き返る方法を探していたところ、僕に出会ってその場で呪いの仮面を割り、無事生き返ることができたのだ。彼女とは中学生の頃の吹奏楽部の部員として、また幼馴染として深い親交があったが、彼女が転校してあの事件の時に遭うまではほぼ連絡をしていなかった。そして今日、彼女とデートに来たというわけだ。

「待った?」

「いや、全然。僕も今来たところだから」

「ふふっ、そのセリフ、本当にデートみたいだね」

「そのつもりじゃないの?」

「ふふふっ」

 早希は笑うだけだった。


「久しぶりだね。こんな風に皐月さつきと遊ぶの」

「そうだな。でもこうやって一緒に歩いていると全然久しぶりな感じがしない」

「どうして?」

「身長差が大して変わっていないから」

 皐月は早希の頭の上に、自分の背との差を人差し指と親指で作って目の前に持ってきた。

「僕も伸びたけど、早希も伸びたんじゃない?」

「確かに、私今百六十センチはあるから、皐月が百七十あるでしょ? だから前会った時より私たち二人とも十センチずつ伸びてるね」

「で、中学生の頃と比べて早希はずっと顔も変わっていない」

「なんか幼いみたいな言われようだけど」

「昔通りの素敵な笑顔だ」

「……もうっ、ずるいなあ皐月は」

 そういいながら早希は優しい笑顔を彼に向けた。

「ほら、僕は何度その優しさに助けられたか。あの部活が終わって河川敷で練習してた時も……」


     ***


 僕と彼女は、学校帰りに河川敷に立ち寄った。夕日が眩しかったので、高架下まで移動した。川に沿って歩いている間に自分の家に行くための曲がり角を通り過ぎたが、日は長いので問題はないだろう。

 それは、温暖で晴れた日が続いた週の終わり、土曜日の夕方のことだった。

「ここに座ろうか」

「そうだね。コンクリートだったら制服も汚れにくいだろうし」

 僕らは楽器を平らな地面に置き、そこから堤防にかけてのコンクリートの坂に腰を下ろした。

「にしても暑いね。まだまだ春だと思っていたのに。今日の最高気温二十七度だって」

 彼女は、手で仰ぐ素振りを見せた。片手で仰いでもほとんど風は着ていないはずなのに、涼しげな表情をした。

「やっぱり地球温暖化のせいでしょ。テレビでやってた」

「今日は特に暑く感じた。気温と体感温度は違うからね。今日こんなに早く帰れたのも、二人も熱中症で倒れたからだし」

「二人とも、保健室で休んだら回復したみたいでよかった。大事になったらニュースとかになっちゃう。特に大黒秦島の吹部の練習はきついからね。全国的に取り上げられて練習時間が減っちゃう」

「そうだね」

 そうやって僕らは他愛のない会話をした。

「じゃあ吹こうか」

 僕は腰を上げ、坂を下って相棒のもとに向かった。僕のトランペットは、店員さん曰く癖が強いメーカーらしく、一度その楽器に慣れたら、それ以外の楽器の音はきれいな音を出すのに苦労するとのこと。裏を返せば、吹きこなしたら他の楽器にはない独特の音色が出せるということだ。それもなめらかで、かつよく通る音。僕は吹き方を研究した結果、ソロを吹くときはビブラートもフラッターもかけられるようになったし、他パートとのハモリも、あまり考えないで感覚でできるようになった。そのおかげで、直近のイベントではソロを一つもらえたし、そのイベントの前座でするアンサンブルでは、メインのパートを任せられた。僕は息を吸って、その中でもお気に入りのメロディーを吹いた。

「やっぱり上手だね。これだったら高校も吹奏楽の推薦で強豪校に入れるんじゃない?」

「いや、それは流石に厳しいでしょ」

「大黒秦島のネームバリューで十分通るし、その実力があるなら大丈夫だよ」

 彼女は楽器のケースを開けながら、優しい笑顔をこちらに向けた。

「じゃあ、一緒に吹いていい?」

「もちろん」

 今回僕たちがやる前座のアンサンブルは、フレックス五重奏というもので、楽器の編成は自由に変えられるというものだ。僕と彼女の楽器は異なるが、偶然同じグループになった。

 彼女はアルトサックスのマウスピースをくわえて、こちらを見上げた。

 僕はその目を見て、合図をした。二人の演奏が、夕日の中で調和され、次第に一つの音楽になっていった……。


     ***


「懐かしいね。あの時は今と比べて厳しかったけど、それはそれで充実してたなぁ」

「ああいう経験も、今みたいな経験もしといた方がいいと思う」

「そうだね。ずっとどっちかだったら途中で飽きちゃうもんね」

 二人は太陽が燦燦さんさんと照らす道で、端に寄って建物の影を探しながら歩いていた。

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