終幕 つとめて

第1話 再会、そして再開

「おかあさん。だいじょうぶ?」

「大丈夫よ。私はずっとそばにいるからね。あ、じゃあ今からお話の時間ね」

「やったー! おはなしだ! ねぇねぇ、きょうはどんなおはなしー?」

「今日は、死んだあとの世界についてお話しましょう。人は死んだあとには天国か地獄に行くっていう話があるけど、こういうところに行くっていう話もあるんだよ。そこは真っ暗で、前から『黒さん』がやってきて試練を与えるの。それでね、それをクリアした人は……ゴホッ、ゴホッ」

「わああ、おかあさんだいじょうぶー? かんごしさーん!」

「弥生、もし私を見つけたら、ゴホッ、こう言って。ゴホッ、ゴホッ」

「え、どういうこ……」

「いいから聞いて。その言葉は……」


 柿原は昔を懐かしみながら、リュックサックに今日の用意を詰め込んだ。これからは新しい話を聞くのではなく、共に作っていくのだ。

「弥生。行くよー」

 階段下から母の声が聞こえた。

「今行くー!」

 柿原はリュックを背負って、母のもとへ向かった。



 秋村は気がつけば、自室の椅子に座っていた。慌てて玄関まで行き、ドアを開けると、そこには普段の日常が広がっていた。そして、部屋に戻ってスマートフォンの電源を入れると、おかしな世界に行った日の日付になっていた。

 秋村はリビングに降りた。両親はやはり、仕事に出かけていた。テレビの電源は今度はついた。意識的にニュースにチャンネルを切り替えた。ちょうど、追突事故の話がやっていた。

「昨日起こった追突事故について、被害者の如月早希さんは意識を取り戻し、今は元気だそうです」と、早希の写真が画面に写った。自分の知っている人の顔がテレビに出ると、むず痒い気持ちになる。それも、彼女が生きているからなのだが。

「続いて、東京都の放火事件についてですが、被害者の四十代の女性の脂肪が確認されました」

 あの女性は、やはり帰ってこなかった。彼女が教えてくれなければ、早希もこの世に戻ってこれなかっただろう。しかし、彼女の家族が、柿原のように悲しむことを考えると、悲しくなった。現世は残酷さ、と脳内で誰かの声が再生される。柿原は今日、久しぶりに帰ってきた母親と買い物に出かけるそうだ。どうやら、周りでは彼女が一度も死んでない、普段通りの柿原の母と思われているらしい。だから、真実を知るのは親族の中では柿原と、柿原の母だけだ。

 柿原は母親との記憶が死に際の病室で終わってしまっているので、これからたくさん思い出を作っていきたいらしい。幼少期に母親がいなかった彼はその悲しさを全く外に出していなかった。僕たちより絶対辛い日々を送っていたのに、たかが人間関係がうまくいかなくなっただけでここまで悩んでいた自分が恥ずかしくなった。しかも、彼はたくさんの人を救おうとしていた。僕にとって、彼は最終的にヒーローだったのかもしれないし、その優しさはお母さんの代わりになろうとして身についたことなのかもしれない。きっと、黒さんになっても柿原のお母さんは誰かを思う優しさを忘れなかったんだろう。だから早希を助けてくれたのだと、今だから思える。


 結局、あの世界は夢なのか、本当に死ぬ間際だったのか。誰にもわからない。柿原のお母さんはその世界を死に際に柿原に語ったそうだが、何もそれ以上は教えてくれないらしく、そもそも十年以上も前の話をあまり覚えていないそうだ。まいちゃんは、あの世界を『切り取られた世界』と名付けたが、それは正しいのかどうかもわからない。でも、秋村は自分が生きている世界は、夢だろうと黄泉だろうと受け入れようと思った。早希のように、大人になって。それでも自我を強く持って。

 秋村はトランペットを持って河川敷に向かう準備をした。先程、早希からチャットアプリで連絡が来た。実に二年ぶりの連絡だった。どうやら早希はとても健康らしく、「ちょっと病院の前の川に行ってきていいですか?」と担当医に聞いたところ、少々ためらいながらも了承してくれたらしい。病院に黙って、家から自分のサックスを取って来るそうだ。

 秋村は自転車にまたがった。自然と笑みがこぼれた。そして、今日はまいちゃんも来るらしい。スティックを持ってくるらしいが、何もない川辺で何を叩くのだろうか。今日の目的はまだ未定だ。行ってからみんなで決めたらいい。


 音楽は、僕をまだ許してくれるだろうか、と一瞬思ったが、努力もしていないのにそんなことあるわけない、と音楽に向き合う決心をした。

 秋村は漕ぎ出した。空には黄色が強くない、きれいな虹がかかっていた。



「とりあえず、様にはなってきましたね」

「そうだな。見てて安心するレベルには到達したっぽいな。にしても弥生、まいちゃんはどうしたんだ? 人が変わったように上達のスピードが速くなったんだが」

「ああ、それにはこういうわけがありまして……」

 視聴覚室の後ろの壁の隠し扉から入れる軽音楽部の部室で、弥生はの部長の九条頼成らんじょうと、新入部員のまいちゃんこと水無月舞のドラム裁きを見ていた。彼女はもともと吹奏楽部でドラムをたたいていたのだが、中学二年生のコンクールの本番で起こしたミスが原因でトラウマを抱えてしまってリズム感覚が狂ってしまってしばらくたたけなかったのだが、『あの出来事』を経験し、そこで昔ずっと慕っていた先輩、如月早希に会ってから頻繁に彼女と会い続けた結果、ある日急に叩けるようになっていたらしい。

 弥生はその話を、『あの出来事』の部分のみ「いろいろあって」とごまかして伝えた。

「そんな不思議なことがあったのか。その子にも感謝しないとな。どんな子なんだ?」

「ああ、それは……」

 後方でバタンと壁が回る音がした。しかし、すぐにそれは元に戻った。そこには、秋村皐月と休日だからということで遠方からやってきた如月早希がいた。

「来たぞ、弥生」

「久しぶりだね、柿原君、まいちゃん」

「早希ちゃーーーん!」

 まいちゃんはドラムをほっぽり出して早希に抱き着いた。

「もしかして、この子が?」

「そうです。で、こいつの彼女です」

「ど、どうも……」

「そうか、君の彼女さんか……君彼女いたんだな」

「よく言われます。こんな風に、パッとしないので……」

 皐月は頭をポリポリかいた。


「で、少しだけ話聞かせてもらっていいかな」

「もちろん。あ、でも混乱を避けるために話すことは限定しますけど」

「別にいいさ。それほどのことは聞かないから」

 頼成は皐月と早希を呼び、空いている机の所に行き、椅子を引いて座った。

「話なんだが、これからの部長運営としてまいちゃんのトラウマをどうやって直したかを聞きたい。どんなことをしたんだ?」

 早希は言いづらそうに皐月の方を何回か見て、ようやく口を開いた。

「実は、特に何もしてないんです。ただ何回かあって、私と皐月がセッションしているのを隣で見ながら適当に石をたたいていただけなんです」

「でも、その回数を重ねるうちにまいちゃんのリズム感覚が戻ってきているように感じたんです。多分、舞ちゃんに足りなかったのは自信だったと思います。何回も早希の隣で早希の音を聞いて、安心を覚えたから自信がよみがえったんだと思います」

「なるほど。じゃあ本当に何かレッスンしたり相談に乗ったりしていなかったんだな」

「はい。私たちをつないでいたのは、今はほかのものもありますが、以前は音楽だったので、やっぱり音楽で通じ合っていられるんだと思います」

 ねっ、と早希が皐月に同意を求めた。無論、皐月はうなずいて「僕がまたトランペットを吹き始めたのもそれと同じです」と加えた。

「そうか、参考になった。ありがとう。どうであれ、君たちのおかげだ」

 頼成はまいちゃんの方を見た。弥生がまいちゃんを指導しているのが見えた。

「あの二人いい感じなんですか?」

 早希がためらいもなく聞いてきた。

「まあな。あれも心に余裕ができた証拠なんだろう」

「最近僕がいない日は二人で帰ってるらしいし、周りが冷やかすレベルには。でも二人ともそういう気は多分ないと思う。少なくとも弥生には」

「私も。彼硬派そうに見えるし。でも、まいちゃんは好意持ってそうだなぁ」

「あの弥生が折れるところを見てみたいな。しかもそんなこと起こったらこの学校の大ニュースになるし。学校屈指のイケメンギタリストと、新入生のマドンナドラマーが付き合ったら、俺たち三年生の所にも舞い込んでくるだろうな」

 頼成は企む笑みを作った。

「まいちゃんが幸せなら、私はいい」

「そうだな。僕も弥生がそっち方面に転がってくれたらきっとたくさんの人と笑って話せるようになると思うし」

 弥生は普段クラスの中で声をかけられることが多いが、基本的にその対応は皐月を除いてどこかよそ向けな雰囲気を出している。彼はモテるタイプだが、無駄な人脈は作ろうとしないのだ。だから普段教室の隅の方で小説を書いたり本を読んだりしている皐月には声をかけてきたのだろう。彼にも、あの出来事を終えてから家でゆっくりする時間が増えたことで余裕はできているはずだ。でも、まいちゃんのようにいかないのは、やはりこれまでの癖が抜けないからなのだろう。

 もし、まいちゃんと付き合うことになったら、きっと弥生も一歩成長できるだろう。その時は、あの出来事について四人で語り合えたらいいな。

 きっとよりあの出来事が重要なものとなるだろう。

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