弐 『好きなものこそ上手なれ』

第1話 忙しいから

 俺はあの日、初めて日の目を見ることになった。

「すごいねー、おめでとう!」

「やっぱりやる奴だとは思っていたよ」

「ねぇねぇ、賞金って何万円ぐらい?」

 先週の末にあった小説の新人賞の表彰式が全国ネットのニュースで報道されたことをきっかけに、週明けの今日、早速俺の周りはたくさんの人で賑わっている。中には話したこともない人も見たこともない人もいたが、全員平等にそれっぽく応答していた。

「なあ、書籍化されるのか?」

「ま、まあされると言っておきます……」

 押しの強い人には弱いのだが……。


 しかしその群れも昼下がりにやっといなくなり、いつも通りの風景が広がっていた。前まで普通に見ていたそこそこ汚い教室だったが、少しスッキリした。

「すごいね。本当におめでとう」

 旭がご飯を口に運びながらモゴモゴ言った。

「サンキュー」

「まさかニュースにまでなるとは思わなかったよ」

「そうだろ? あれ知らされたのリハーサルのときだったんだよ」

「えー! 肖像権とかそういうのすぐに許可とかでないんじゃない?」

「それなんだけど……適当に流した規約の中に書いてあったらしくて。帰ったらすっごく叱られた」

「それはご愁傷さまです……」

 旭は俺の唯一気を許せる友達だ。家はそんなに近くないし、高校で初めた会ったにも関わらず、初めから気が合ってよく話すようになった。旭はそこそこ背が高く、全く太っても痩せてもいない平均的な体格だ。俺は少し痩せ気味で、よく「もう少し食べないと死んじゃうよ?」と心配してくれる。そんな旭はもう少しモテるんじゃないかとは思うが、そうでもない。それでも、きっと隠れファンぐらいはいるだろう。

「今日補習はないのか?」

「うん、まあいつも通り小テスト受かったから」

「……」

 俺はやっぱりな、と下を向いた。

「……まさか」

「そのまさか。忙しかったから全く勉強できなかった。今日は最終下校まで補習だってさ。休む暇も与えられないや」

 俺は事実と嘘を言った。

「そりゃまたご愁傷さま……」

「だから今日は先に帰っておいてくれ」

「わかった」

 俺は弁当を片付けて、そそくさとロッカーに補習の用意を取りに行った。次の時間にその予習を、内職するためだ。


「じゃあ、補習頑張って」

 旭は申し訳なさそうに、じゃあねと手を振った。

「はぁ……」

 今日の補習は日本史だ。実は忙しいというのも移動が多かったという意味での忙しいなので、その合間を縫って単語帳を開いていたらもう少し点数はあったはずだった。要するに、やる気がなかったのだ。

 補習教室に入ると、誰もいなかった。仕方なく一番出入り口に近いところを陣取った。そして今回の範囲の、旭に写させてもらった授業ノートを開いた。今日の内容は中世だ。源平の合戦というところで、俺が小学生の頃から苦手な範囲だ。一応昨日の夜は夜がふけるまで勉強したが、その成果も出るとは思えない。

「じゃあまた明日」

「うん、ばいばい」

 がらっと近くの扉が開き、女子生徒がひとり入ってきた。

「あ、どうも」

「お、おう」

 簡単な挨拶程度で特に会話もなく、彼女は教卓の前の席に座った。そして間もなく先生が入ってきた。

「これで全員だな。じゃあ補習を始める」

 先生が黒板に板書を書き始めたが、本当に日本史はあまり興味がないのでなんとなく写して教室の外を見ていた。

「北見先生」

 俺の名前―――ペンネームが呼ばれて、思わず目線を黒板に戻した。そこでは俺の本当の先生が呆れた顔をしていた。

「確かに連日疲れているのはわかるが、もう少し他のことも集中したらどうなんだ」

「先生。その名前で呼ばないでくれって何回頼んだら聞いてくれるんですか」

「何回って……」

 すると女子生徒が口を開いた。

「さっきまでほんとに上の空で、『北見先生』って呼ばれるまで先生何回も本名言ってくれてたんだよ?」

「え、あ……」

 先生の方を見ると、そのとおりという顔で頷いていた。

「すんません……」

「じゃあ続きを始めるぞ」

 俺は一度注意されたらそれ以上反抗しない。臆病なのだ。だからこれまであまり友達を作れなかった。

 俺は集中し始めた。


「じゃあ最後に小テストをやるが、いつもの通り落ちたら与えてやれるものも与えられないからな」

 授業は終わり、最後に再テストがあるが、それは十問あるうちの四問正解で合格という簡単なものになっている。しかもそれらはその補習で扱った内容だから余計にだ。

「じゃあ終了。相互交換して丸付けを。あと、ちょっと席を外すから戻ってくるまで待っていてくれ」

 と、先生は仕事用の携帯を見ながら教室を出ていった。

 最終下校まで、あと四十分。

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