第4話 りんごみたい
「ごちそうさまでした」
「お粗末様でしたー」
「それって喫茶店で言うやつかな……」
「あはは、そうだね」
「でもほんとに美味しかった。また普通に来るかもしれないね」
「今後ともごひいきに。普段はお母さんが店に出てるから、こうやって留守番兼店番の時以外はこうやってカウンターに立つこともないけどね。まあ週に二回ぐらいはお母さんはどっか行くから」
「そっか。だから今日はいないんだね」
「うん。もうそろそろ帰ってくるはずなんだけど」
「じゃあ今のうちに、今日はありがとう」
旭は席を立って、店の入り口までスタスタ歩いた。
「どういたしまして。また来てね」
「うん。じゃあね」
「バイバイ」
由美は顔の横で小さく手を振った。
<五分後>
「ただいまー」
カウンターの後ろの方でガチャッと扉が開いた。私はその音だけで誰が来たのかはわかったから、視線は先程までと同じく、倉田くんの飲んだあとのコーヒーカップを洗う手に留めていた。
「おかえり。今度はちゃんと勝手口から入ってきた」
「ん? なんのことかしら」
母はしらを切って、私の近くにコーヒー豆の袋を置いた。豆の擦れ合う音がした。
「それより、誰か来たわね?」
「さすが、挽いたコーヒの匂いは嗅ぎつける」
「そんな犬みたいに言わなくてもいいじゃない。それにこれぐらいなら誰でもわかるわよ……ん? 何このりんご」
「あ、それね。色々あって倉田くんからもらった」
私は洗い終わったカップを拭きながら言った。
「この量、なにか新メニューでも作る?」
「あ、ちょうどよかった。りんごのお礼に明日倉田くんをもう一回呼んでるの。そこで何か作れたらなーって思ってる」
「明日午前だけよね。木曜日お店午後休みだし、そのときに作ってあげたら?」
「うん、今日はオールナイトで研究しなきゃな」
「ふふふ」
「何がおかしいの……あ」
私は初めて母の方を―――カウンターの方を見て気づいた。
「倉田くん自分の分持って帰り忘れてる」
「そうなの? 持っていってあげなさい」
「えー? こんな時間に?」
時計の針はもう八時を指していた。
「そんなに家遠くないでしょ? ほら、クラスの連絡簿探してあげるから」
「……わかった」
私はかごとメモを持って店の入り口から出た。後ろで「勝手口ー」という声が聞こえたが、無視した。
―――ピンポーン……
「はーい。今行きまーす」
インターホンの奥で女性の声がした。目の前の扉がガラガラと開き、エプロンをつけた女性が出てきた。
「あら、旭の同級生の子ね。えっと……」
「花田由美です。これを……」
「ちょっと待っててね。旭呼んでくるから」
「あ、いや渡すだけなんですけど……あ、行っちゃった」
遠くの方で「旭ー! 花田さんが用事あるって」と倉田ママが大声で言っているのが聞こえてきた。
「りんご渡すだけなんだけど……」
「あ、花田さん。ごめん。すっかり忘れてた」
まだ上着を羽織ったままの倉田くんが出てきた。
「うん、気をつけてね」
「はい……」
その時、偶然かごを持っていた私の両手に受け取ろうとした彼の両手が触れた。
「ありがと……って冷たっ。そうだよね、こんな寒い中わざわざ持ってきてくれて、本当にごめん」
「いいよ。これで忘れづらくなったでしょ?」
「うん……」
「ねえ、今さ『まずい、また自分が原因で変な空気になっちゃった』とか思ってる?」
私はさっきみたいにならないように自分から積極的に仕掛けた。
「え? う、うん……」
「じゃあさ、私の手、温めてくれる?」
私は彼の脇にりんごを置いて空いた両手を彼の前に出した。
「え!?」
「冗談だよ!」と、私はその手を引っ込め、いつもの癖で上着のポケットに突っ込みかけたが、彼を前にそれは失礼だと思ってなんとか踏みとどまった。
「ちょ……本当に握りかけたじゃんかぁ……」
「触る?」
「いえいえ、結構です!」
ちょっとからかってみたら、まるでりんごのように顔が真っ赤になった。こういうところも可愛らしく思えた。
「別にいいんだよ。倉田くん、あんまり私みたいな同年代と話したことないんでしょ? これから慣れていけばいいんだよ」
私は手のやり場に困り、上着の裾を掴んだ。倉田くんも出しかけた手をなんとか自然に見えるように体の横に持っていった。
「慣れられるかな……」
「大丈夫。倉田くん優しいから、直感的に人を傷つけないことができる」
(そんなことを言ってくれる花田さんのほうが優しいと思うけどな……)
旭はその言葉を抑えて「わ、わかった」と言った。
「とりあえずりんご渡せたということで。また明日」
「うん。本当にありがとう!」
俺はまた、花田さんに向かって手を振って見送った。
ドアが閉まると、俺は二つの意味でホッとした。一つは花田さんが帰ったこと。もう一つは……。
「旭、りんごちょうだーい」
「はーい」
帰ってきたばかりだったからりんごを忘れてきたことを気づかれなくて済んだことだ。
「はああ、なんであんなことしたんだろ」
由美は帰り道、遅れて熟したりんごのように顔を真っ赤にし、帰り道を歩いていた。
二人はそれぞれの家でゆっくり休んだ。そして、今日の放課後は濃かったな、と思ったりするのである。
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