第2話 アウター

「あ、旭。ちょっとお願いしたいんだけど」

 母がキッチンから顔をのぞかせてきた。

「何?」

「私のお姉ちゃんがりんごくれるらしいんだけど、ちょっとおつかい頼まれてくれない?」

「いいよ。でも叔母さん家知らないよ」

「え?何回も行ったじゃない。あの狭いとこ」

「それは小さい頃の話でしょ?」

「うーん、わかった。ちょっとメモするから外に行く準備して待ってて」

 俺は部屋に行ってジーパンに履き替えて、お気に入りの上着を羽織った。僕が初めて学校の友達に褒められた上着だ。


     ***


「その上着、似合ってるね」

 俺がクラス会に参加したのは、昨年の末のこと。少し遠出して都会の方に行って、昼ごはんをみんなで食べるだけのものだったが、とても楽しかった。その帰りに、偶然方向が一緒だった彼女―――花田さんと二人で帰っている電車の中で言われたのがその言葉だった。

「そう?」

「うん、合ってる気がする。倉田くんに」

「あ、ありがとう」

 たどたどしい返事になってしまった。こんなふうに同い年の子に褒められたことがなかったからだ。小学生の頃からずっと読書をしていて、たまに家族の外出に付き合う程度で、高校入学祝いでスマートフォンを買うまでは世間の流行を知らなかった。だからクラスのみんなが話している話題の中で、映画の話は原作を読んだことのあるものもあったからついていけたものの、漫画やアニメやファッションは無知に等しく、置いてけぼりだった。

 そんな俺を褒めてくれる人はあまりおらず、そもそも話しかけてくれる人が少なかった。高校二年生になると、仲がいい数人とはことごとくクラスが離れてしまい、結局今のクラスの中で本当に友達と言えるような人もただ一人だ。それ以外は、まあ話すという程度だ。

 俺はたった二人で帰った時の彼女の言葉に惹かれた。


     ***


「このアパートか」

 俺はなんとか教えてもらったメモを使って―――というよりスマートフォンを使って叔母さんの住んでいるアパートにたどり着いた。メモにはここの情報と要件しか書いておらず、その情報が(喫茶「花田屋」の隣のボロいアパート)だったので、マップアプリを使わなければならなかったからだ。このあたりは月に一回ぐらいのペースで通るが、本当に通過地点なのでいざ名前を言われてもピンとこないのだ。

「で、えーと……」

 どこが叔母さんの部屋だろう。母は狭い部屋と言っていたけど、ドアは全て似かよっていて、表札すら出ていない。そういえば、マンションも〇〇号室としか書いていない。そして、狭い部屋は外見は全くわからない。

「どうしよ……」

 俺はてんで困ってしまった。今から母に電話しようか。そう思っていたときに、

「倉田くん?」

 聞き覚えのある声が聞こえた。



「いやあ、ありがとうね。こんな時間にわざわざ。青森の方に旅行に行ってきて、そこのクジ引き景品がりんごダンボール一箱分だったから。食べきれないと思って」

「いえいえ、暇だったもんで」

「久しぶりだから色々話をしたいけど、こんな時間だし。呼び止めちゃ悪いから。また今度ね」

「別に俺はいいですよ? なにか用事があったら連絡さえすれば許してくれるんで」

「ああ、じゃあ……待って、電話だ」

 叔母さんは携帯電話を持って部屋の隅の方に行った。

「ごめんね。ちょっと用事入っちゃって。また別の機会ね」

「あ、はい」

 俺は半ば追い出されるように部屋を出た。

「ちょっとのこの量は多いな」

 かご二つ分のりんごを持っている自分は、傍から見ると大道芸をしているように見えるだろう。

「そういえば、ここの喫茶店……」

 『花田屋』と書かれた看板を見上げた。

「花田さんの家って、喫茶店だったんだ。あ、そうだ。助けてもらったことだし、少しおすそ分けしよう」

 僕はドアを開けた。中ではエプロン姿の花田さんがスマホを触っていたが、僕が入ってきたのを見て慌ててポケットに突っ込んで「いらっしゃいませー」と慣れた様子で言った。

「えーと、どうも……。おすそ分けに来ました」

 花田さんはきょとんとしていた。

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