ライフステージ(超長編)
時津彼方
第1編 喫茶「花田屋」へようこそ!
壱 喫茶「花田屋」へようこそ!
第1話 ひとだすけ
「由美ー、暗くなってきたからカーテン閉めといてよね」
廊下から母の声がする。
「はーい」
私は目処がついたら閉めようと思い、絵を描き続けた。
「閉めたー?」
母の声が再び廊下にこだました。
「はいはい閉めた閉めたー」
私は適当に返してからペンを置き、窓辺まで歩いた。
ここは私の自室だ。とはいえ、タンスと机とベッドがパズルのように敷き詰められて、床は人が一人寝られるぐらいの面積だ。壁には数個のカバンとアウターがかけられていたのと、小学生の頃に描いた絵が飾ってあった。時計はもう六時を指していた。
カーテンに手をかけた時、窓の外の風景が見えた。生まれたときからずっと見てきた景色が広がっていた。とはいえ見えるのは、隣のアパートと、それと自分の家の間の路地と、その路地の入り口から見える家の前の道路だ。別に、きれいな朝日やしっとりする夕日が見えるわけでもない。大海原やお花畑が見えるわけでもない。いや、そんなこと考える私の頭の中がお花畑か。
「確かに暗くなってきたな……ん?」
路地にキョロキョロしている人影が見えた。どうやら誰かを尋ねに来たのだが、どの部屋に住んでいるのかわからないのだろう。紙切れらしいものを持って首を傾げている。今どき悩むときに本当に首を傾げる人がいるのだろうか。
私はカーテンを閉めた。
「お母さん、ちょっと外行ってくる」
「こんな時間に?」
「こんな時間に。大丈夫、家の周りだけだから」
行ってらっしゃいの声を聞いて、私は外に出た。
立ち上がったついでに、ちょっとは人助けをしてみたいと思ったからだ。
「あ」
路地にいたのは、同じクラスの男子だった。普段本ばっかり読んでいる、おとなしい子だ。誰かのおつかいでも頼まれたのかな。
「倉田くん?」
「え、花田さん? どうしてここに?」
やっぱり彼で合っていた。
「ここ私の家だからね。私の部屋があそこで、カーテン閉めるときにここの路地が見えるんだけどね」
「あ、じゃあちょっと手伝ってほしいんだけど……」
「まあ、暇だったしいいよ」
彼の顔はぱあっと花が咲くように明るくなった。そして「ありがとう!」と満面の笑みで言ってきた。
「で、何したらいいの? 力仕事なら無理だけど」
「えーと、この人を探してて」
メモ用紙を見ると、彼の叔母さんの家がここの近くにいるらしくて、ものをもらってこないといけないらしい。
「ここに来るのは初めてなの?」
「何回か通りかかったことがあるぐらい……」
「そうなんだ。でもこれ頼んだ人知ってるのかな。ここのアパートの表札は、ちょっと特殊なところにあるってこと」
「え、そうなの?」
「やっぱりね。いいよ、連れてってあげる」
私は一階の一番道路に近いところの部屋の前に立った。そして、ドアノブに手をかけた。
「え、ちょっと待って。勝手に入ってだいじょ……」
「大丈夫。ごめんくださーい」
ドアを開けると、そこそこ狭めの部屋が出てきた。
「ここはね、このアパートの大家さんの仕事スペースなの。で、あそこにたくさん札がかかってるでしょ? あれに載ってる名前と部屋番を見て、部屋を訪ねるの」
「めんどくさっ」
「仕方ないよ。ここのアパートの方針だもん。えーと……あった。二階の、一番奥の部屋」
「あ、ありがとう。じゃあ行ってくる」
「いってらっしゃい」
私は手を振る彼を見送った。外に出ると、もうほとんど夜だった。
家に入ると、ほのかにコーヒーの匂いがした。
「さっきもだけど、勝手口から入ってきてよ」
母がカウンターから注意を飛ばしてきた。
「いいじゃん。もうこの時間じゃ誰も来ないでしょ」
「もう……でも事実だしね」
私の家は喫茶店を経営している。カウンターの奥のドアを開けると、一般的な二階建ての家につながっている。なので、私の家は少し大きいからお金持ちに思われがちだ。でも、私はそんなに裕福な生活をさせてもらえない。今後の貯金とかを考えたらそれが普通らしい。
「あ、今からちょっと外にいってくるから。砂糖のストック切らしちゃって」
「わかった」
「あ、あとコーヒー豆も買ってこないといけないから、一時間ぐらい、店番よろしく」と、私の母はそそくさと店の入り口から出ていった。
「どの口が言ってんだか」
私はエプロンをつけて、スマホをいじりだした。
『今週末遊ぼー』
友達からのチャットだ。
『いいよ。駅に何時に集合?』と送ったところで店のドアが開いて、上に取り付けていた鈴がチリーンと鳴った。私は慌ててスマホをエプロンのポッケに突っ込んで、「いらっしゃいませ−」と言って入り口の方を見た。
「あ」
「えーと、どうも」
倉田くんがかごいっぱいのりんごを持って入ってきていた。
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