第3話 ヒガンバナは貴女の手に咲く

「で、僕はあの時『ユー・レイズ・ミー・アップ』を吹いたんだ。二年ぶりにね。あー、話してたら当時のこと思い出してむかついてきちゃったな」

 秋村は頭を掻きながらつぶやいた。

「お前らすごい過去を送ってきたんだな。俺なんかほんとに本読んで音楽作って演奏して、ってだけの人生だったから、そんな生活を送ってみたかったな」

「いや、多分柿原さんの人生のほうがきっと楽しいですよ。無駄な争いもないですし、葛藤もないですし」

「それは違うよ。まいちゃん」

 如月が口を開いた。

「私も二人の人生の一パーツとして生きたから言えるけど、確かに、えーと」

 口ごもってこちらを向いてくる如月に、柿原は口の形で(か・き・は・ら)と送った。

「そうそう、相原くんの人生も……」

「柿原だよ! 漫才かこれは」

 柿原はもはや反射的にツッコんだ。

「あ、ごめんなさい。で、柿原くんのこれまで過ごしてきた時間はのんびりしていたものかもしれない。でも、柿原くんが憧れるのは、二人の人生の波乱万丈、五里霧中な部分、そして出会ってきた十人十色、千差万別な人々にあこがれているんだと思うし、まいちゃんが憧れるのは柿原くんの人生の自由さ、そしてわだかまりのなさが魅力に感じられたからだと思う。で、秋村くんはその二人の人生、そして自分の人生もすべてひっくるめて、人が生きていることを素晴らしいと思っているんだよね。前に話してくれたことを思い出してね、人生はほんとに色々なことがあって楽しいし、悲しい。でも絶望しないことが一番大事だって。珍しく君がポジティブな話をしたから、印象的だったんだ」

 如月は髪をかきあげて優しい顔を見せた。でも、それは笑顔ではなかった。それに気づいたのは秋村だけだった。

「で、如月さんの話は?」

 柿原が尋ねたが、如月は首を振った。

「私から話すことは何もないよ。ほんとに楽しかったよ、私は。これまで二人に関わってこれて。二人とも見ていて面白いし、自分の意見をしっかり持っていたり、時々挫折してうつむいている顔も。私は二人のそばにいただけで、まるで小説の主人公の隣でいるような気分になれた。だから私は二人に感謝しているよ」

 如月は和やかに微笑んだ。

「そうか。じゃあこの話はおしまいだな」

 柿原は体を仰け反らせ、目を細めて空を見た。雨はすでに止み、夕日が空を橙色に染めていた。

「あ、虹だ」

 秋村が同じように仰け反ると、虹がかかっているのが見えた。少し違和感は感じたが、きれいな虹だ。

「え、見たいです!」と、まいちゃんが秋村の座っている場所の近くに移り、キラキラした目で空を見上げた。

「俺もそっちから見る。……おお、久しぶりだから余計きれいに見える」と、柿原も感動のため息を漏らした。

「ほんとにきれいだね」と如月も言った。その方を秋村が見ると、彼女は優しい笑顔で三人を見ているようだった。まるで暖かく見守っている母親のように、彼女の優しさに包み込まれそうになった。


「じゃあ、もうそろそろ移動しようか。まず俺が偵察に行ってくるから、みんなは準備をして待ってて」

 柿原は荷物をさっさとまとめて走っていった。そして、自転車できた道を戻って行ったが、一分も立たずに戻ってきた。

「おかしい。商店街にほとんど人がいない。いるのは入り口にいる女性ただ一人だ」

「あれより状況は悪化しているようだな」

「あれって?」

 如月が首を傾げた。

「さっきの商店街、人が多めだったじゃん。俺たちが来たばかりの時は違和感が少ししか感じられなかった。それは街にいた人がそんなに少なくなかったからだ。俺たちが状況を把握していなかったから、というのもあるけど。でも、自転車を買ったときは明らかに半減していた。で、今はたった一人。でも、本を読んでいてこちらには全く気づいていない様子だった」

「とりあえず、その人にも一回話しかけてみるか」

「でも、話しかけるのはまずいんじゃないですか?」

「まいちゃん。ここは秋村くん達に任せてみようよ」

 如月が秋村の肩に手を置いて言った。

「えー。早希ちゃんが言うなら」

 まいちゃんは納得した様子だった。如月は僕の肩に置いていた手を離し、親指を上に立てて得意げな表情をした。

 僕は如月に感謝したかった。でも、感じる違和感を拭いきれずに曖昧な表情を浮かべて自転車にまたがり、商店街へ向けて漕ぎ出した。


「すみません」

 やはり声をかけても何も反応がない。

「こりゃ触ってみるか」

「うわっ、なんか気持ち悪い言い方」

「誰が変態……だよ」

 秋村は一瞬素になって如月に反応した……かと思いきや、まるで急に故障してずっと画面の中央でロード中の文字が表示されたパソコンみたいにおとなしくなった。

「……」

 電源が落ちたと思って、柿原は代わりに「じゃあ肩に触れてみる」と言った。

「でも、本当にいいんですか?」

「大丈夫。もう僕らの立てた仮説はだめになったから」

 秋村は残念そうに言った。

「そうなんですか。じゃあ、この世界は本当に何なんでしょうか」と、まいちゃんは考え始めた。柿原は顎に手を当てて考察を始めた。

「まず、ここはどこかのパラレルワールドだと思っていたのが俺らのもともとの仮説。でも、ここまで人がいなくなってしまっては検証のしようがないし、そもそも火がまだここまで来ていないのに人がいなくなっている時点で僕らの立てた仮説に矛盾が生じている」

「そして、僕は最初の時点でこの仮説が間違っていることに気づくべきだった。二人と合流する前に一人の女性を見た。ここにいる女性とはまた別のね。その人は燃え盛る家の崩れた瓦礫の中で僕に助けを求めていた。僕はその時に炎に触れているから僕に気づいて助けを求めているんだと思っていた。でも、そういう考えをするには早すぎた。僕が家を出た時に熱は確かに感じたし、煙は煙たかった。ここの世界では、この炎は本物で、これに触れてしまった人がここに連れてこられてこんがり焼ける。もうおかしい点に気づくよね、まいちゃん」

「あっ、そうか。いくら炎が別の世界で見えなかったとしても、周りの人の変化に気づく様子がなかった。もし、炎に触れた人が転移されても、現実世界で苦しんでも、周りにいる人で違和感を感じる人はいないわけがない。あの時人間観察をしていたおじいさんが気づかないわけがない」

「そういうこと。で、僕はだいたいこの世界に対する見当はついた」

「本当か!」

 柿原が食いついてきたのを、まあまあとなだめて「じゃあ柿原、お願い」と頼んだ。

「おう」

 柿原は肩に手を触れた。


「はっ……え? ここは?」

 女性は本を落として、こちらを見た。その女性の顔を見て、秋村はどこかでその顔を見たことがあるような気がした。

「ここはあなたがいた場所とは違う世界です」と、柿原が説明するも、いまいちピンときていない様子だった。

「違う世界……?」

 もちろん、気がついたら知らない場所にいて、知らない人に囲まれている状況で人の話を信じられないのは、絶対に割れないというキャッチコピーで売られているコップにいまいち信頼感を得ることができないことと同じだろう。

「正直、私達もよくわかっていないんですが、とりあえずこの世界にはそんなに人はいないんです。かなりレアケースだったんです。今この世界では人が減り続けていて、その中で本を読んでいるあなたの存在が」

「えーと、つまりここは死者の世界ってこと?」

「え?いや、それは違いま……」

「ちょっと待って、まいちゃん」

 秋村はすべてを悟った。

「たしかにそうかもしれない。この人は昨日のニュースで報道された、放火魔による事件の被害者の女性だ。その女性が今ここにいるってことは、そういうことなんじゃないか」

「そう。私は一通りの家事を終えて二階で韓流ドラマを見ていた。でも、急に下の一階から何かがが聞こえたの。これまでに聞いてことがなかったから階段下を覗いてみたら、ちょうどその時に火災報知器が作動してスプリンクラーで消火しようとしていた。それを見て私はなんとかして逃げ出そうとしてベランダに出て外を見てみたら、もう周りは火の海で。とても降りられなかった。だから、私は死を悟ったの。でも、私はまだ死にたくなかった。だから、私の子の書いた絵本を見ていたの」

 そう言って女性は落とした本を拾い上げた。それをよく見ると、表紙に『はるきのえほん』とクレヨンで書かれていた。

「私にはまだ五歳の子どももいるのにまだ死ねないって思ってね。とにかく子どものことを最後まで忘れたくなくて、私はこの本に読み入っていたの。そして、気づいたら誰かに肩を叩かれてここにいたっていうこと」

 僕はそのニュースをちょうど昨日見た。東京都の二階建て一軒家をもとに広がった火災。住宅六棟が全焼した。しかし、その地域はお昼時は仕事や学校に出かけている人が多く、その火災で意識不明の状態で発見された一人の女性を除いて、全員無事だった。その火災を引き起こしたのは、この母親の夫だった。

「私がいなくなってあの子達は大丈夫かしら」

 母親は何かを懐かしむように空を仰いだ。


「秋村さん、これってもしかして私達は……」

「違うよ」

 如月が口を開いた。

「いい? 今から私が言うことを冷静に聞いてほしい」

 四人は固唾をのんで如月を見た。

「この世界は……」

 その時、後ろの方でガシャンと大きな音がした。商店街の崩れる音だった。母親は大きな悲鳴を上げて下にかがみ込んでしまった。

 その時、一番初めに秋村が正気を取り戻し、四人に呼びかけた。

「三人とも、早く走って! 自転車に乗ってさっきの橋の奥まで全速力で先に行って!」

「でも、その人は……」と、柿原が戸惑いを見せた。

「この人は俺が連れて行く。大丈夫! さあ、早く!」

 柿原は納得した様子でまいちゃんと如月を連れて行った。

「さ、あなたも行きますよ」

 秋村がそう言って母親の方を向くと、まだ下を向いてわなわな震えている様子だった。

「早く行きましょう! もしかしたらこの先助かるかもしれないんですから」

「そんなわけ無いでしょ! だってここは死者の世界。そう簡単に戻れるものですか!」

 母親は下を向いて頭を抱えたまま叫んだ。

「あなたには子どもがいます! 母親を失った子どもが、どれほど辛い思いをするか、さっきいたやつが痛感しています! 彼はきっと、あなたの子どもにも同じような思いをしてほしくないと思います。だから!」

「もういいの!」

「でも……僕はおいていけな……」

「早く行きなさい!!」

 その女性は顔を上げた。僕はその顔を見て、底知れない恐怖感を覚えた。

 女性の顔は、赤く腫れ、所々の皮膚がただれていた。すすだらけの顔は、見ているだけで息苦しくなった。

 僕にはその顔が、まるで自分の機嫌を損ねた相手に対しての憎悪の気持ちで溢れている鬼のように思えてしまった。先程までの子ども思いの母親の面影はどこにもなかった。

 僕は逃げ出すように自転車にまたがった。すると、後ろから声が聞こえた。

「この世界はっ」

 その後に続いた言葉を聞いて、僕はぎょっとした。後ろを振り返ると、母親の顔は笑っていた。晴れて赤くなった口で「あ・り・が・と・う」と言っているような気がした。

 母親はどこからか仮面を取り出し、顔に付けた。その仮面は赤い般若の仮面だった。すると、仮面から黒いものが出てきて、もう一度仮面の中に引っ込んだ。母親は仮面を懸命に取ろうとしていたが、ぴっちり貼り付いているようで取れる気配はなかった。母親は苦しそうに倒れ、じたばたした。僕はこれ以上彼女の苦しむ姿を見たくはなかった。

 さよならっ、と叫んで、僕は全速力で橋を越えるまで漕ぎ続けた。


「あっ、秋村さーん!」

 まいちゃんが橋の向こうで手を振った。秋村は片手を上げて振り返し、近くで自転車を停めた。

「おい、あの人は……?」

 柿原は震えた声で秋村に問いかけた。

「あの人は、死を選んだよ」

「……嘘だろ?」

「あの人は、自分で自分の首を絞めるようなことをしていた。でも、最後にそれを後悔してもがいていた。でも、もうその時には、あの人の後ろには炎が広がっていた」

「自分で……首を絞めた……?」

「正しくは、絞めたようなことをした。これについては僕より詳しい人がいるはずだ。そうだよな」

  秋村は如月の方を見た。如月は口を開いた。

「もう気づいたみたいだね。君たちはイレギュラーな存在なの」

 如月は僕の目に入り込むように見つめてきた。その目はすべてを悟ったかのようで、まるで世界を統べる神様みたいだった。

「秋村?」

「秋村さん」

 二人が秋村の方を見る。

「如月、いや、早希。君は本当に……」

「うん。私もう、死んだの」

 後ろの川でせき止められている炎とは対象的な、氷のような静けさが辺りに立ち込めた。

「そんな……早希ちゃん……」

「ごめんね、まいちゃん。どうしてもこうしなきゃだめだったんだ。私の計画を遂行するためには」

「色々おかしいと思ったんだ」

「そうでしょ。だって私は少し透けてるもん」

「えっ、本当だ。俺たちは透けてないのに」

「それだけじゃない。そうだよね、早希。さっき見た虹、黄色のところが橙色を消すぐらい黄色が光っていた。しかも、早希はいつも僕の考えることに対してなにか助言や批判をくれた。この世界についても、僕らにもっと共有できる情報があったはずだ。でも、それをしなかった。それはできない理由があったから、だよね」

「やっぱり秋村くんには敵わないや」

 早希は優しく笑った。やっと、秋村は彼女を信じることができた。

「私は、つい六時間前ぐらいに、この世界に来たの。私は、自転車で横断歩道を走っていたんだけど、車に追突されてね。一瞬だった。体が浮いて、地面に叩きつけられて。意識を失っているの。それからしばらくたってからここに来たの。じゃあ、それまでの話をしよう」

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