第2話 杭は槌に抗う覚悟を

「そもそも私は大体のことをここにいる皆さんに話していますし、柿原さんはこの話は以前に全て話していますので、私の話はこれでおしまいです」

「よし、じゃあ次は僕からいろいろ話そう。かなりブラックな話だけど、聞いてほしい」

 秋村はチョコレートを口の中に一個放り込み、それが溶けてから話を始めた。

「僕は音楽未経験で大黒秦島の吹奏楽部に入った。僕にはこれといった特技もなく、友だちもそんなにいなかったから、テレビでよく見る有名どころに入ってみたいと思った。そこはテレビで、『初心者でも楽しんで互いに高め合える部活』というコンセプトでやっていたから、なにか打ち込めるものがあれば、と思ったんだ。僕が初めて行った日は、他の新入生が十人ぐらいいて、その中に数少ない友達の如月がいたんだ」

「あの頃は私のことを早希って呼んでくれてたのにな」

「え、二人はそういう関係だったんですか?」

「そうなのか? 秋村」

「論点ずれてるから。話を戻して、その日から僕の吹奏楽部としての生活が始まった」


     ***


 僕のほかはみんな何か楽器ができたり、器用な人が多かったし、僕の他に男子はいなかった。一番はじめに男子の部長さんに、この部活のルールを説明された。

「ルールは大まかに言うと三つ。その一、先輩後輩は仲良くしつつ、上下関係は絶対に守る。その二、楽器を大切にし、壊した際は弁償をすること。その三、時間は遵守し、礼を正すこと。いい?」

「はい」

「よし、じゃあ今からオーディションを始めよう。自分の好きな楽器は予め聞くけど、一番吹きこなせている楽器に所属してもらうつもりだ。そのほうが、後々絶対に楽しくなってくる」

 そういうものなのかな、と僕は納得し、サックスを希望した。他の人はユーフォニアムとホルン希望者以外はみんなトランペットだった。

 オーディションが始まり、僕たちは金管、木管、打楽器の順に試し吹きをした。金管は少し抵抗感があって、難しかった。木管は少しやれば簡単に音が出たので、自分にあっていると思った。打楽器は叩けば音が出るから問題ないが、サックスをしたかったので少し手を抜いた。

「よし、結果を発表する。まず、如月、アルトサックス」

 早希の方を見ると、落胆しつつも安心した様子だった。トランペットは確かに花形だが、サックスは巧みな技術と表現力で十分主役にも脇役にもなれる。僕はそんなサックスの変化に惹かれた。

 その後も何人もが楽器の発表をされた。ユーフォニアムとホルンの希望者は、何故か二人共逆のものになり、笑い合っていた。あの二人はもともと仲が良さそうだった。仲がいいのが一番だと思っていた僕にとっては、あの二人とは仲良くなれそうだと思った。しかし、他の人でトランペットに選ばれた人はいなかった。

 最後に僕の番が来た。

「じゃあ最後、秋村、トランペット」

 少しどよめきがあり、僕の相棒はトランペットに決まった。

「では、今から各パートのところに行ってもらう。それぞれのパートの練習場所は前の黒板に書いてあるから、今日は荷物を持って移動してくれ。解散!」

「早希、終わったら門の前で待ってて」

「わかった。じゃあまた」

 ばいばい、と早希が笑って手を振る。僕は小学生の頃からこの優しい笑顔が好きだった。

 しかし、その優しさが周りより浮き出て来たのが不思議に思った。周りを見ると、僕のことを妬むような目で睨んでくる同級生がいた。恐らく僕がみんなの望んでいたトランペットになったことを嫌に思っているのだろう。

 でも、部長が言っていた通り、そのうちに仲良くなれると信じて、僕はトランペットのパート部屋に向かった。


「失礼します」

 部屋に入ると、中には男子一人女子二人が楽器の手入れをしていた。

「お、君が新入生だね。トランペットパートへようこそ!」

「男子かぁ。女子が良かったかも、なんて、冗談だよ」

「これで比率一対一だな」

 賑やかで、仲が良さそうな人たちだったのでかなり安心した。一人の男子が近づいてきた。長身で優しそうな人だ。

「俺がパートリーダーの宝田兼政かねまさだ。よろしく。名前は?」

「秋村皐月です」

「皐月か、いい名前だ」

 少し照れてしまった。そこへ他の二人も来た。

「私は中学二年生の新田ゆうか。運動するのが好きだけど、ペットはもっと好き。よろしくね」と、新田さんがハキハキと話した。髪は頬を覆う程度の長さで、よく日焼けしていた。

「私は同じく中二の井浦香菜。よろしくね」と井浦さんは話した。僕と背は同じぐらいで、長い髪がキラキラ光っていた。

「俺の呼び方は特に決まってないから、好きに呼べばいい」

「一応私は、かねまっさんって呼んでるよ」と、新田さん。

「私は普通に宝田先輩かな」と、井浦さん。

「もっとなれなれしいのでいいよ。仲良くやろう。と、この話はまた帰り道にしよう。見てあげるからケースを開けてみて」

 僕はバックと英語で書かれた札のついたケースを開けトランペットを取り出した。

「よし、まずは口をブーって震わせてみて」

 僕はなんとなく、さっき部長さんから教えてもらった方法で震わせてみた。

「なるほどね。これは才能ある」

「そうだな。次はマウスピースだけで吹いてみようか。マウスピースっていうのはさっきも説明を受けたと思うけど、楽器の吹き口を基本的にそう言うんだ。大抵の学校はこれだけで一ヶ月は練習するんだが、俺達はそれよりノリでやるべきだという方針である程度の合格ラインを突破したら、楽器をつけて吹くというコンセプトでやっているんだ。さあ、吹いてみて」

 僕はさっきの容量で唇を震わせ、息を吹き込んだ。ブーっという音が楽器の音のようになった。

「すごい、私が初めてやった時よりうまい」

 井浦さんが驚嘆し、「これだったらつけてもいいですよね。宝田先輩」と続けた。

「そうだな。じゃあトランペットにそれを差し込んでみて。で、持ち方はこう」

 持ち方だけで五分ぐらいかかった。こんなに複雑に持っていたとは。絵本にのっているものは横をパーで挟むものしかなかったから驚いた。

「よし、じゃあさっきみたいに息を吹き込んで」

 息を吹き込むと、とても下手な音が出た。

「おお、すっげえ。初めてのやつで音が出るとは。びっくりした」

 兼政さんは本当に驚いているようだった。

「これからたくさん教えてあげるから。運指表とか、楽譜の読み方とか。これなら大黒を代表するトランペッターになれるよ」

 ゆうかさんが兼政さんのトランペットを持ってこちらに近づき、肩を叩いた。

「はい、かねまっさん。見せてあげたらどうです?」

「そうだな。このレベルにはなれるように指導するから、一応デモプレイだ」

 兼政さんは大きく、かつその音を聞こえさせずに息を吸った。そして、演奏を始めた。僕が小学校六年生の運動会で、組体操で使用した曲だから、曲は音楽に疎い僕でもわかった。『ユー・レイズ・ミー・アップ』という洋楽だ。一般人が聞いてもわかる、うまい人の演奏だった。

 吹き終えると兼政さんは笑って「ちょっとミスったけど、楽しく吹いてればこのぐらいにはなるよ」と言った。人によってはこれが嫌味に思える人もいるのだろうが、この人の言い方は全くそういう気がなく、むしろついて行きたくなった。

「これからよろしくお願いします!」

 それは反射的に出た言葉だった。


     ***


「それから僕はその先輩たちに教えてもらって、その年のコンクールは見送ったものの、自分でもわかるぐらい著しく上達していた。そして二年生のコンクールの練習の時、僕は当時の同級生に初めて呼び止められて、一緒に帰ることになった。何人か先輩もいたけど、とりあえずその時僕が一番はじめに感じたのは、アウェイ感だった」


     ***


「本当にうまいねー。でもね、強豪校にはもっとうまい人がうじゃうじゃいるからね」

「いつも合奏の時思うけどさ、どうして管を動かさないの?」

「動かさずに口で合わせるって、兼政さんに教えていただいたので」

「合ってないから言ってるんじゃーん。そうだよね」

 同級生がクスクスと笑っていた。まるで出る杭を打つような、まるできれいな花をあえて枯らすような。僕にはそう思えた。しかもその次の日から衝突が始まった。大黒秦島は合奏中におかしいと思ったことやこうすればいいと思ったことは積極的に言えるので、僕は最近意見していたのだが、

「ここはもう少しダイナミクスをつけたほうがいいと思います」

「いや、まだろくに音も出ていないのにつけるのは筋違いです」

「これってこの楽器足りてないですよね。僕この小節付近吹いてないんで、手持ちのこれならやりましょうか?」

「別にいい。パーカッションの話題に首突っ込むな」

 といったように、とにかく否定されることが多かった。僕は早希やユーフォの子、ホルンの子に同情されてたけど、それ以外に僕の味方はいなかった。

 その年はいつも通り、全国大会まで行ったけど、結果は銀賞だった。そして波乱はそのコンクールの反省会で起こった。


「では、コンクールの反省会を始めます」

 部長さんが厳かに言い、周りを見渡した。全国大会が終わってから、ずっと部活には重苦しい空気が立ち込めていた。

「まず、顧問の先生から」と先生を促し、先生がざっと総ざらいと全体的な反省を述べ、仕事の為言い終えると出張にでかけた。

「では、何かある人」

 僕は兼政さんの教え通り、反省の場で一番に手を上げた。

「僕は音楽の経験が皆さんより少ないので、正直演奏どうこうは言うつもりはありません。僕が言いたいのは、むしろそれ以外です。運搬の時、先輩方の体力を温存するために後輩が積極的な行動を心がけるのが普通だと思いますが、中二以下の動きが鈍かった。そして、分担すれば早く終わったときも、べらべら喋って一つの場所に固まっていて、全く場が回ってなかった。僕はもう少し周りを見るべきだと思います。音楽以外の行動は、他の強豪校さんに比べて明らかに遅いです」

 すると、一人の先輩が挙手した。副部長だった。

「はい、それは中二が出しゃばる話ではないと思う。まずね、そういう話はここでするんじゃなくて、小学生のときに習っておくことなの。もしかして、秋村はそれを私達ができていないとでも言ってるの? 君はもう少し、社会での生き方を考えたほうがいいよ」

 その時、僕の中で何かがぷつりと切れた。

「そう言ってるじゃないですか。まだわかんないんですか。もう少し小学生にもわかるような言葉選びをしたほうがいいですか」

「なっ」

 副部長は一瞬戸惑ったが、すぐに反撃しようとした。

「私はね、ちゃんとみんなのために働いてるの。君みたいな何もポストのない人とはちが……」

「じゃあ昨日の部室大掃除の時、あなたはどこにいましたか?」

「それは……雑巾の買い出しよ」

「じゃあそのレシートを見せてください。部活のものなのでレシートは必須ですけど、まさか置いてきたんですか?捨ててきたんですか?それとも買っていないんじゃないんですか?」

「……」

 沈黙を守っていたので、僕は畳み掛けた。

「ていうかそもそも買った雑巾、誰か使いました? 昨日の掃除、カーペットの張替えと床の掃き掃除だけですよね。むしろ一昨日の掃除じゃないんですか?」

「……よ」

「僕昨日ゴミを捨てに行ったときに見ましたよ。先輩がクラスの同級生と一緒にお菓子を食べ……」

「もういいよ!」

 気がつくと、副部長は泣きながら叫んでいた。

「いいじゃない! 私副部長なんだよ! こんなことしたって、私はたくさん働いて、疲れたの!」

「遊ぶのにですか?」

「秋村、もうやめとけ」

 男子の副部長が手で静止した。

「なんでですか?」

「ここは共同の場所だ。自分のした仕事の見返りは求めなければならない。そうだろう?」

「じゃあ僕が貸した四千円、早く返してくださいよ」

「なっ、今はそんなこと話す場所じゃないだろ」

「前、あなたの彼女が入院した時、僕は連れて行かれて見舞い代を建て替えさせられて、その見返りは求めてはいけないと?」

「だからそれは私情の……」

「もういい」

 部長が話を止めた。

「秋村、一回頭冷やしなさい。こんなことして部活の雰囲気がどうなってるか、わかる?」

「部長、頭冷やすのはあんたの方だ」

「は?何を言って……」

「僕の四千円は、あんたの懐の中だろうが!」

「……」

 部長は黙ってしまった。そこで僕は今まで溜まっていた思いを発散した。

「ちょうど今日で、この腐った代は引退だ。僕達が変えるんだ。これが全世代の残した負債だ。だから……」

「秋村!」

 部長が今まで聞いたことのないほどの大声で叫んだ。

「出ていけ、今すぐここから出ていけ!」

「ああこんな場所、出てってやるよ。ただ最後に言わせてもらう。今年の全国大会の結果は、あんたらの残した結果だ。これがあんたらの言う精一杯の努力、楽しい部活だ。楽しかったな、あんたらにとっては。俺は認めない!」

 吐き捨てるように言って、僕は荷物を乱雑に持って出ていった。


 自教室の片付けをしていると、早希が来た。

「秋村くん。私もすごくわかるよ。確かに中三の人たちはおかしかった。私もこうやって肩を持てる」

「そうだな。たしかに僕は早希に生かしてもらっているところはある」

 僕は今日までも、不満が溜まったら積極的に全体に向けて発言していた。だから、今日僕が発言してもいつもの如く冷たくあしらわれるだけだ。

「でも、今日のは言い過ぎだし、言い方も違った」

「どうして?」

「あんなに喧嘩口調で、相手の弱みをただひたすらついて、あれは社会じゃ通用しないよ」

「でも、おかしいし。第一、たかが一歳違うだけであそこまで上下関係ができるのもおかしい。絶対社会じゃ年齢より経歴だし」

「それでも、今日秋村くんは自分の意見を全く言わなかった」

 僕ははっとした。確かに相手への罵詈雑言は浴びせたけど、それを周りに正当化させるための持論を一切言っていなかった。

「たしかにそうだ。これじゃ言いたいこと言っただけだな」

「そう。だから、ちゃんとみんなに後で言っときいや」

 と、担任の先生の真似の関西弁で早希は優しく語りかけ、それ相応の優しい笑顔を向けた。

「ありがとう。やっぱり早希がいると安心だ」

 秋村はそれに答えるように、慣れない笑顔を返した。

「あのね、秋村くん。一つだけ言いたいことがあるんだけど」

 急に早希が悲しい顔をしたのを見て、僕は彼女の悲しみを、悩みを解消してあげたいと思った。

「どうした? 何でも言ってみ」

「私、引っ越すんだ。隣町に」

「え……」



 その後のことを、僕は覚えていない。

 結果、僕は中学三年生になると同時に部活をやめ、本を読み、小説を書く今の生活になった。初めはそんな生活、退屈で仕方なかったのだが、その時は誰かの書いた架空の物語のほうが興味深かった。

 それが、今の所以。

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