参 一夜抄

第1話 壊れたメトロノーム

 おそらく、この状況で考えられるまいちゃんの行動は、「逃げる」か「喜ぶ」だろう。死んだはずの人間を見て、人は大抵そうなるだろう。

 しばらくしてまいちゃんはゆっくり近づいてきた。柿原はそれに続くように歩いてきた。

「秋村さん。だいたい確信が持てた気がします。あっちに自転車屋さんがあるんで、そこから自転車をくすねましょう」

「わかった」

 僕ら四人は歩き始めたが、まいちゃんを先頭に、少し距離をおいて僕と柿原が並び、更に距離をおいて如月が続く形を取り、どこかしら緊張感が立ち込めていた。

「なぁ、お前のことだから多分事故であたってしまったんだろうが、あの人は誰なんだ?」

 たまらず小さな声で柿原が聞いてきた。

「あれは如月早希。僕らと同い年だ。そして僕が中学生のときの吹奏楽部のクラブメンバーで、ほぼ同じ時に転校してまいちゃんの学校に行き、高校に上がると同時に死んだと、まいちゃんには伝えられている。どうやらまいちゃんは、如月のことをかなり慕っていたらしくて、如月も新しい学校での友達がなかなかできない中、気軽に話してくれる後輩の存在はありがたかったのだろう」

 そう言ってまいちゃんの方を見ると、案の定顎に手を当てて考えている様子だった。そして後ろの如月を見ると何やら睨んでいる様子だったので、「あとで続きを話す」と言って僕は話を切り上げた。果たして、自転車店にたどり着いた。そして散らばり、各々の自転車を品定めした。

「電動自転車は選ばないほうがいいよ。電池が切れるときつく感じるから」

 僕はみんなにそう言い、自分はかご付き荷台付きの、右ハンドルにギアのついた自転車を選んだ。柿原はすぐ手前にあった、かごすらついていないオーソドックスな自転車を選んでいた。女子二人はまだ悩んでいる様子だった。なので、僕は柿原とともに炎の様子を見に行くことにした。走って逃げることができたので、自転車なら簡単に振り切れると思ったからだ。僕はさっき買った簡易ナイフで値札などを切り、「すぐ戻ってくるからちょっと待ってて」と声をかけ、店を出た。


「何があったんだ……この短時間で」

「人数は半減している。何より、シルバー世代が一番多くいる昼時の商店街に、どこにもおじいさんおばあさんがいない」

「ぶつかるリスクは少なくなった。とりあえず先を急ごう。俺たちがやるべきことは、炎の偵察だ」

 僕らは漕ぎ出した。僕はギアを最大の六にし、全速力で炎へと向かった。

「いくらかガレージも閉まっている。さっき入った弁当屋までもだ」

「おかしいな。炎はまだ遠くにあるのに……ん? あんなに時間が経ったのに、まだ橋のところで止まっているのか。さすが川だな。こっちに来る水を完全にせき止めている」

「あの橋はところどころ木造なんだと思う。ほら、少しずつ燃えていっている」

 まるでそこに導火線が通っているかのように、炎は細く長くこちらに伸びては消え、消えては伸びを繰り返している。そのうち水の上にも火は迫り、こちらに来るだろう。

「戻ってからもう少し離れよう。ここに来るのも時間の問題だからな」

 僕らは半回転して、商店街の反対側の出口に向かっていった。

「そういえばさ、あの二人うまくやっているだろうか」

「うーん。わざと残していったんだけど、難しいだろうな。多分まいちゃんは敵としてしか見ていないだろうし」

「で、さっきの話の続きは?」

「ああ、それでまいちゃんが敵視しているのともつながっていて、死んだはずの大好きな先輩がここにいること、しかもさっきまで三人しかいなかった世界にいることが両方、まいちゃんの中で矛盾となって今あんな感じってわけ。で、多分まいちゃんはここを死後の世界、つまり黄泉だと勘違いしちゃってるんだろう」

「勘違い、というと?」

「さっきも言ったとおり、如月はまだ生きているんだ。だから、何らかのきっかけで僕らの考えるパラレルワールドに引き込まれたと考えるほうが普通だろう」

「なるほど。あ、あそこに二人いるけど……普通に話しているな」

「和解したんだろうか」

 僕らは到着して彼女らに近づくと、彼女らの顔は笑顔だった。


 どうやら、如月はこれまでの自分のことをすべて話したらしい。僕が黙っていたことももちろん話したらしく、まいちゃんは初めは僕に対して不機嫌だったが、次第に如月がいることの幸せのほうが勝ったらしく、僕らをそっちのけで話をしていた。このような世界だから自転車の並走についてなんやかんやを言う警察もいないので、僕らはさらにもう一つの川を越えるまで、のんびり話しながら時間を過ごした。ここまで来ると自分の地元とはとても言えないほど疎かったが、この川の水位もそこそこ高かった。

「そういえば、秋村くん。さっき買ったものの情報共有はしなくていいの?」

「そうだったな。じゃあこの辺りに適当な公園を見つけて休憩しようか」

 僕らは公園を見つけて、その外に自転車を止めて中のベンチに座った。漢字の口の形のベンチで、座ることでみんなで中央に向かい合う形になり、屋根もついているので眩しすぎることもないので、話し合うにはちょうどよいものだった。僕らは買ったものを共有した。すると、如月が口を開いた。

「そういえば、炎が迫ってきてるんだよね。だったら夜を無事に迎えられるかどうかもわからないのになんで夜の準備を買っているの?」

 あ、と三人は目を合わせた。如月はやれやれという表情でため息をついた。

「懐中電灯もいらないな。ここで置いていこう」

 柿原はようやくいつもどおりの柿原に戻り、冷静な判断を下した。

「そうだな。でも一応念の為一つは持っていこう。これはまいちゃんが持っておいたほうがいいよ」

「わかりました」とまいちゃんは懐中電灯をリュックの外ポケットの中に入れた。すると、急に雨が降り出した。

「この雨で炎は消えてくれるかな」

「それは難しいな。川の水でも消えなかったんだから」と言って、柿原は来た道の方を指さした。そこには赤赤と広がる光があった。炎がある証拠だ。

「お腹空きましたね」

 時計の針は三の文字を指していた。

「じゃあ、糖分補給用のチョコを食べようか。これで頭も働くはずだ」

 チョコの甘さが口の中に広がり、頭も一緒にとろけそうになった。

「あのさ、一つ提案なんだが」

 柿原が話しかけてもみんな反応がなかったので少し大きな声で「おーい!」と叫んだらみんな驚いて、如月に至っては持っていたチョコを落としてしまった。

「あ、ごめんなさい……」

「別にいいよ。ぼーっとしてた私が悪いし。それより、話そうとしてたけど?」

「ああ。俺さ、さっきから話についていけてないんだけど、三人がこれまで何があったか、どんな経験をしてきたのかを教えてほしい。つまり思い出交換会みたいなのしてほしいんだけど」

「確かにな。僕たちだけで完結していては、この世界に四人いる意味がないしね。僕は話すよ」

「私も話します。一回全て吐き出したほうがスッキリすると思いますし」

「私は多分二人の話すことで補完できるから、補足だけする」

「ありがとう。単純に興味があったってのもあるけど。お願い」

「じゃあ私から話します」

 まいちゃんはチョコレートを膝の上に置いて、語りだした。

「私は、もともと何かを叩いているのが好きで、小さい頃から机を鉛筆で叩いてたり、聞こえてくる音楽に合わせて音を立てずに足踏みしたりするのが好きな子でした。そして、中学校にはバンドがないから、吹奏楽部に入ることにしたんです」


     ***


「すみませーん。体験で来たんですけど」

「おおっ、新入部員か」

 大柄な男子生徒が話しかけてきた。その大きな体に比べて、顔は優しそうで、脂肪というよりも筋肉で大きくなったようだった。

「は、はい。まだ、体験なんですけど……」

 私は驚きのあまり素っ頓狂な声を出してしまった。

「じゃあどうぞ中へ。話は中でしよう。部長がいるので」

 私は連れて行かれるがまま音楽室の中に入っていった。そして部長さんに説明を受けた。

「さっきのは三年の低音パートリーダーの相沢で、私が部長の佐々木です。よろしくね」

「よろしくお願いします!」

「お、元気がいいねぇ。楽器経験は?」

「全くないんですけど、打楽器がやりたいです。小さい頃からいろんなものを叩いていたので」

「おお、これは別の意味でも元気かな?」

「あ、違います違います。人の頭をポカスカ叩いていたわけじゃないです」

「ふふふ。冗談冗談。面白いね君。なんて名前?」

「水無月舞です」

「なるほど、まいちゃんね。これからよろしく」

 部長さんは手を差し出してきた。私はその手を握った。この握手は契約が成立したときみたいな形だけど、まだ入るって決めてないのに……。

 まいちゃんというあだ名は嬉しかったけど。

「で、パーカッションなんだけど、ちょうど人員が不足していてね。今の中三の唯一のパーカッションパートの一人がアキレス腱断裂の大怪我をしちゃって、コンクールでの役割が一人で回らなさそうなんだ。その子も来てるから、少しまいちゃんの腕を見てみようか」

 そして、私はその車椅子に乗った真方まがたさんのところに行った。真方さんは髪をおかっぱに切っている小柄な人で、まるで座敷童子みたいな可愛げがあった。その雰囲気と包帯で巻かれた足が相まって、少し怖かった。でも、

「こんにちは。パーカッションパートの真方梨花りかです」と笑った顔を見ると、やはりこの人は優しい人なんだと安心できた。

「こんにちは。水無月舞です。新入部員です」

 あーあ。自分で言っちゃったよ。

「梨花は鍵盤の腕がとてもすごくてね。もう目に止まらない速さで鍵盤を叩くわけ。リズム感だけちょっと惜しいけどね」

「これでも頑張ってるんだから。ささ、今は新入りちゃんの面倒見なきゃ」と、真方さんは腕をまくった。

「じゃ、このスティックを持ってみて」

 部長さんは先に向けて細くなっていき、その端がちょっと膨らんだ棒を二本渡してきた。私はなんとなく持ってみると、ふたりはおお、と声を上げた。何がすごいのかわからなかったが、どうやら持ち方があるそうで、それを何も知らないで持ち方をクリアすることは全国的に見ても稀なんだとか。

「すごいね。じゃあこのスネアドラムもなんとなく叩いてみて」

「わかりました」と、私は最近見た鼓笛隊の小太鼓たたきのイメージで適当に叩いてみた。すると、やはり楽しくなって叩き続けた。一分ぐらい叩くと、何となくそれを終えた。手汗が滲んできて、少し気持ち悪かった。

「これは大型新人だね」

「だね。これはドラムも叩けるんじゃない?」

「あ、ドラムはちょっと叩いたことがあります」

「おお、じゃあ何か叩いてみて」

 私は促されて椅子に座ってエイトビートを刻み始めた。次第に技法を取り入れていって複雑な譜面を演奏した後、スネアドラムだけでアクセントを織り交ぜた高速連打をし、最後はリムショットでしめた。大体の音楽用語と技法はネットで調べてきたので、少し優越感があった。

「なんてこったい」

「あー、疲れたあ」

「すごいじゃん、まいちゃん!」

 部長さんに肩を掴まれ、少し驚いた。

「ほんとに見様見真似でやっただけなんですけどね」

「これこそ天才のなせる技だね」

「これなら大丈夫そう。これからいろんな楽器を教えていくから、コンクールにも出てほしいな」

 真方さんに頼まれたら、断りきれない。そう思わせる笑顔だった。

「わかりました。任せてください!」


     ***


「その後、私は練習を続けて中一でコンクールに出ました。私達は本当に少ない人数で、十数人で小編成の部に出ました。その年は県大会の金賞っていう、創部以来の快挙を成し遂げて、部長さんも真方さんもすごく嬉しくて泣いてて。その後の文化祭でも私はジャズの王道『シング・シング・シング』のドラムを叩いて、すごく楽しかったです。そして、県全体の総合文化祭を終え、その時の最高学年が引退して、次の代になったんです。で、その辺りで早希ちゃんが転校してきて、私達の部活の一員になりました。大黒秦島から来たと聞いて、みんなざわついて、やっぱりうまかったんでみんなすごく頼もしく思っていました。特にサックスパート中一一人しかいなかったので、大きな戦力になっていたと思います。もちろん、そのときも楽しかったんですけど、卒業式の時、少しだけ私の心に緊張の糸が張り詰め始めました」


     ***


「卒業おめでとうございます!」

 卒業式が終わり、卒業学年の打ち上げが始まるまでの間、吹奏楽部員は音楽室で、各々話をしていた。涙混じりに話している人もいた。とはいえ、四人しかいなかったので、残りの十人ぐらいの部員が群がる形になった。

「真方さん、卒業おめでとうございます」

「ありがとう。次は君が教えてあげるんだよ。まいちゃんには才能しかないから、きっとうまくいくよ」

 肩をポンポンと叩かれ、真方さんは別のところに行った。相沢さんと、もう一人の中三の九条さんは部員の三分の一を占める男子部員による男子会で盛り上がっていた。流石にあそこには入れないな、と思っていると、

「わっ」

 部長さんが急に肩を掴んで驚かしてきた。思わずひっ、と声を上げてしまった。

「部長さん、卒業おめでとうございます」

「ふふ、ありがと。まいちゃんには期待しているから、あと二年もあるし、私達を超えてもっと上の世界をみてきてね」


     ***


「私は、お世話になったお二方の期待を背負って、二年生になりました。しかし、そこから問題が起こりました。自分たちに向けられる期待の目を意識し始めて、常に緊張していたんです。部員も停滞を感じていて、悩んでいました。しかも、その年に入ってきた中一で、戦力になりそうな人が一人もおらず、小編成というより、アンサンブルみたいな規模になってしまったんです。各パート一人しかいない状況です。でも、早希ちゃんを始めとする、最高学年の人たちの励ましもあり、コンクールを迎えました」

「で、そこでスカったのか」

「そうです。終盤のスネアのリムショットから始まる私のソロ。皮肉な話ですよね。入部当初の、一番得意としていたリムショットでのミスなんて。結果は銀賞でした。地区大会はミスらなかったのに、県大会でやらかして。終わったから講評を見ても、半分は最後のことが書かれてました。みんな励ましてくれたんですけど、もう耐えきれなくなって私はそれ以降ドラムを触ったことはありませんでした。軽音楽部で『体験』するまでは」

 束の間の沈黙が流れた。

「と、こんな感じですかね。そもそも私は昔のことはすぐに忘れてしまうんで、そんなに話せるネタがないんです。でも、打楽器をたたこうとするときに震えるのは、本能的な拒絶があるんだと思います。あと、大体はもう皆さん知っているどおりなので。で、私はその年度の終わりに、早希ちゃんが死んだって思い込んでしまいました。もともと私はヒステリックなときが多々あったので、そのときに勝手に頭に書き込んで。知らない間にそれが本当だと思っていたみたいです。でも、こうして目の前にいる。それだけで嬉しかったんです」


 その時、秋村は公園で以前まいちゃんがした如月の真似を思い出した。

「まいちゃんはさ、緊張しなかったことってある? 絶対ミスもしないで何かやりきったことはある? 私はそんなことないよ。絶対にここはこうじゃなかった、とか、ああまたこの音が裏返った、とかさ。絶対ないんだよ。これさえなければ、私のミスがなければ絶対もっと上に行けた、なーんて、思ってるんでしょ。」

 秋村は如月のことを見た。如月はただ優しく、笑っているだけだった。

 柿原は、先程秋村から聞いたまいちゃんの過去について、如月の顔を見てそのことが真実であることを悟った。駅で見せたパニック状態のまいちゃんのシルエットが、勝手に想像したホールの外で励まされる様子にぴったりはまった。彼女は相当な心の傷を負って軽音部に入ってきたのだ。

 無事に帰ることができたら、音楽の楽しさを教えてやる。

 柿原はそう心に誓った。

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