第3話 あなたは誰
案の定、誰もこちらを見ることはなかった。これで、まいちゃんと一致した仮説を立証するには、僕ら三人以外の誰かに触れるだけだ。しかし、得体のしれないものに触るにはまだ信用が低かったし、勇気もなかった。
僕らが橋に到着したときには、もう火は十メートルに迫っていた。ここで、僕は柿原とすばやく荷物、まいちゃん、靴の交換をし、更に遠くまで走った。
橋を渡りきり、そこから数十メートル離れたところにある商店街に到着した頃には、僕の履いていた柿原お手製の新聞紙スリッパはもうなかった。全力で生きることだけ考えていたので、気づかなかったようだ。その時、自分たちの仮説を確かめる一番簡単な方法を思いついた。
「そうだ、靴屋に行こう」
「えー? もうちょっと休憩しません?」
「店内にいるほうがゆっくりできると思うけど」
「よし、行くか」
「はぁ。わかりました」
――靴屋店内――
「やっぱり、彼らには僕らが見えていないどころか、僕らの手にとったものにすら興味を示さない。普通、僕らが透明になっているのだとすれば何かを持ち上げたとき、周りの人にはものが浮いているように見えるはず。でも、こういう状況ってことは……」
「私達が見えているものが、相手には見えていない」
「つまり、俺達がパラレルワールドに行ったのではなく」
「僕たち以外のみんなが、パラレルワールドに行ったんだ。それも共通のところに。二人と合流する前に、瓦礫に潰される人を見たんだ。その人は僕のことが見えていて、火も見えていた。そして、熱い・痛いの感覚はあった」
「だから、私達が見えている炎は現実の世界で、それが触れたときに感じる熱い・痛いの外的なアクションが現実世界へと引き戻すってことですか?」
「そうだ。ただし逆っていう可能性も考えられるが……」
「今の話を聞いていて、秋村の立てた仮説がわかった。もし逆で、俺達が見ている世界が全て偽物だとしよう。そうだとしても、俺達が見えている世界の炎が、だんだんこちらの世界に人を巻き込んでいるという事実は変わらない。だから結局、アクションを起こさなければならないのは俺達だっていうことは変わらない」
「もちろん。だからとりあえずここで靴をいただいて、この商店街のもので使えるものは、可能な限り持っていこう。おそらく、あの火は橋のところにある大量の水で多少は弱まるはずだ。時間はある」
「食料と水は絶対だな。だったらとりあえず、俺はここで靴をみる」
そう言って柿原は履いていた靴を僕に返してきた。
「じゃあ私は食べ物を持ってきます。多分惣菜コーナーとかお弁当屋さんにあるはずです」
「まいちゃんはここで靴を見たほうがいいよ。その靴じゃ歩きづらいでしょ?」と、僕はまいちゃんの履いているヒールのような靴を指して言った。
「僕が飲料と、非常食をとってくる。集合は二十分後、この商店街の出口だ。なるべく今は周りの人に触れないこと。その他必要なものを持って、解散!」
――柿原弥生&水無月舞――
「柿原さん。どんな靴がいいでしょうか?」
「うーん、どんなのでも似合うと思うけどね」
柿原はまだいろいろなことを考えていたので、適当な返事をしてしまった。
「え、そういうのじゃなくて、歩きやすさですよ」
「あ、ああ、そうか。えーと、やっぱりスニーカーじゃない?」
柿原はそう言って、赤色の女性用のスニーカーを指した。舞は苦笑いを浮かべて、「それはちょっと……」と退けた。
「でも決まらなかったらそれにしますね。時間もありませんし」
「そうだな。いや、俺は女性用の衣類を見たことがあまりないんだ。もともと父子家庭で育ったから。親戚にもおばあちゃん以外には一人しかいないし、あまりあったことはなかったからね」
「そうなんですか」と相槌を打って、舞はそれ以外を見るふりだけをして、すぐにそれを買うことを決めた。舞は自分がもともと人の心を読みづらく、ヒステリックな人間だと知っていた。本当は靴屋に新しい靴を買いに来たら、かかとが高くなっている靴が履いてみたいといつも想うのだが、少し申し訳なさそうな顔をした柿原の、どこか寂しげな様子を見ていると、こちらまで悲しくなってきてしまった。
「柿原さん、私それにします!」
「別にいいんだよ? 気を使わなくても」
「私もそういう感じの靴選ぶセンスないんですよ。だから柿原さんに選んでもらったもののほうが愛着が湧くんで」
「お、おう。じゃあさ、まいちゃんが俺のやつを選んでよ」
「わかりました。じゃあこれで」と、真伊はそこそこ高めの軽そうなスポーツシューズを選んだ。
「よし、じゃあ靴はこれでオッケーだから、まだ時間もあるし、時計見に行こっか」
「なんで時計ですか? スマホで見ればいいのに」
「すぐに時間を知りたいときが来るかもしれない。今もこうやって集合時間まで何分あるかっていうのをわざわざスマホを取り出して見なければならない。電話とかチャットとか、いろいろ用途があるんだし、俺はあまり無駄な電池を使わないほうがいい気がする」
「確かに。この辺りだとマップアプリも使いますし。行きましょうか。あそこに時計が売ってそうな店があります」
「よし、行こうか」
二人は靴屋を後にし、百均ショップへ向かった。
――秋村皐月――
「これが良さそうかな」
秋村は消化に良さそうなものの詰め込まれた弁当三つくすねた。そしてその店の前のドラッグストアに入って、ペットボトルに入ったお茶と、塩分補給用のタブレットを一箱、一口サイズのチョコレートの入った箱を三箱持って店を出た。まだ時間があるので、なんとなく登山用具店に入って、簡易ナイフを2つと腰につけるポーチ、さらに薄い毛布を四つ買ってカバンの中に入れた。これ以上買うと重すぎるので、もう集合場所に行くことにした。腕時計で確認するとまだ時間はあったが、少し考える時間が欲しかった。昔読んだサバイバル関係の知識が出る小説とテレビドラマのおかげで、ある程度の知識はある。やはり知識は偉大だ。この状況が少しだけ楽しくなってきた。最近は軽音部に介入を頼まれたこと以外は高校入学から特に面白いこともなく、ワンパターン化したコマンドに動かされているかのように生きていたから、このような刺激は、いわゆる脳がひとりでに求めていたものだったのだ。
秋村は集合場所に到着した。あと十分もあるからなのか、二人が百均ショップに入っていくのが見えた。僕は軽く伸びをした。
その時、誰かがぶつかってきてしまった。秋村は飛び跳ねるが如く、すぐさまその場を離れようとしたが、その人はもう既に彼の名前を呼んでいて、しかも秋村のよく知る人物だった。
「秋村くん。久しぶりだね。元気にしてた?」
「…………如月………早希…?」
透き通ったような声で話しかけてきた如月は、他の生きている人とは違った、独特の雰囲気を醸し出していた。恐らく、この世界に憚った存在なのか、はたまたこの世界が拒んだのか。その理由はわからないが、違和感を感じなかったのは自分たちも同様な空気感の中で生きているからなのかもしれない。
彼女は笑った。僕の大好きな、優しい笑みだ。
しかしその時、秋村は自分の立てていた仮説が、少しずつ崩れ始めていることを知らなかった。
それでも、彼女は笑っていた。他人には見せない、悲しみの仮面を被って。
――柿原&水無月――
百均ショップに入ると、店員がいらっしゃいませと言ったので、舞は一瞬何かの拍子で当たってしまったのかと不安になったが、
「あれは自動ドアが開いたのを音で聞いて、反射的に言ってるだけだから安心していいよ」と柿原が声をかけてくれたので安心した。
「よし、まだ集合時間まで十分ぐらいあるからゆっくり見ようか」
「そうですね。あ、ついでに何か便利なものものも持っといたほうがいいですかね。例えば懐中電灯とか、カイロとか」
「確かに。そういうものも見ていこうか」
二人は相談して懐中電灯三つ、カイロが十個入った箱を一箱、そして真伊はヘアゴムとニット帽、柿原は軍手と靴下を買った(奪った)。
「ヘアゴムならわかるけど、なんでニット帽?」
「これがあったほうが髪の毛が邪魔にならなくて済みそうじゃないですか。それより、なんで靴下なんですか?」
「俺冷え性だから、夜万が一寒いときに履く用にね」
「そもそも無事に夜を迎えられるかどうかわからないですけどね」
「それは言わないお約束。そんなこと言っていると、本当にそんなことになっちゃうよ?」
「そうですね。でも私、今やっと気がついたんです」
「……多分俺も同じことに気づいていると思う」
「じゃあ言ってみてください」
「俺達がはじめに目指すべきって、消防署じゃない?」
「同意です」
二人の間に一瞬の沈黙が流れ、時間差で笑いが起こった。
「行きましょうか……あ!」
「どうした?まいちゃん」
「そういえばこの商店街ってレンタサイクルありましたよね」
「うん。でもいっそのこと商店街出たところにある自転車屋さんで取ってきたらいいんじゃない?」
「そうですね。じゃあ合流してからそこに行きましょうか」
舞は店員の無機質なありがとうございましたに押されて、リュックを背負い直しながら百均ショップを出た。
――秋村&如月――
「なんで、お前は動いているんだ?」
「私にもわからないよ。でも、私はここにいないんじゃないかっていう不安な気持ちではあったよ?」
もし、ここにいる如月早希が本当に僕の知っている如月早希なら、とても心強いだろう。でもこの世界にまだ確証が持てていない以上、彼女が本物かどうかを判断できる余裕がなかった。そうこう悩んでいると、如月が僕の手を握ってきた。
「本当に、秋村くんだ……。私は今、秋村くんと一緒にいる…………」
「さ……如月……」
僕は言いかけた彼女の下の名前を本能的に引っ込めた。
「大体は私にもわかる。この世界は普段の世界とは全く違う。ここはパラレルワールド。そうでしょう?」
そうだ。如月はもともと頭の切れるやつだった。僕は昔の記憶を少しずつ思い出しつつあった。如月早希。僕の背中を、唯一最後まで押してくれた人。そして、僕が一番最後に裏切った人。
「如月、本当に如月なのか?」
「何その質問。知らない間にだいぶ頭が鈍ったみたいだね。幼馴染の顔を思い出せないぐらい」
そんなわけ無い。でも、彼女は僕の知っている彼女とはどこか違っていた。
じゃあ教えてあげよっか。君の好きな食べ物は[麺屋
僕は感嘆のため息しかつけなかった。
「さらに、そのお店には月に二回行っていて、そのときに一緒に行っているのが私」
「そうか……本当に如月なんだな」
「だから何言ってるの? そうに決まってるじゃん」
「じゃあ、水無月舞のことは知っているか?」
「もちろん。私が転校する前にいた学校の吹部の子でしょ?てかなんで秋村くんが知ってるの?」
「今、この世界に来ているのは僕と、もう一人僕の同級生と、水無月舞だ」
「そうなんだ。あの子にひどい思いさせちゃったからなあ。謝らないとなぁ」
「ちなみに、僕にぶつかったときはもうこっちの世界に来ていたの?」
「違うよ。私は朝起きたときにもうこの格好でこの辺りにいたんだ。さっきまで私は、周りの人がおかしいことに気づいて、全く人と話さないでここに来たの。でもその時、偶然秋村くんとぶつかって、今この状況ってこと」
「そうか。ちょっとだけ違うな。僕らとは」
「聞かせて、そっちの人たちのことも」
「まず僕は朝……」と話し始めようとした時、
「秋村さーん!」
まいちゃんが声をかけて走ってきた。でもその足は、ちょっと離れたところで止まり、その顔には困惑の色が浮かんでいた。
まいちゃんはただ、口をぽかんと開けたまま、突っ立っていた。
「ん、どうした? まいちゃん。早く行こうぜ」
隣の柿原も、動かないまいちゃんを見て困惑するだけだった。
自分たちの幼い記憶が体に呼び起こす本能的な拒絶と、現状に追いつけていない理性的な困惑が、そこにはあった。
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