私がサバを食べない言い訳(どう見ても捏造)

その日はとても疲れてたのね。

なんだっけ、たしか部署の小さい引越しみたいなのがあって、重いダンボールを移動させて数をかぞえたり、立ったり座ったり、しゃがんだり、いつもと違う動きをした体も痛いし、慣れない事をした頭も疲れてた。

だからすぐ寝ちゃうなって思いながら布団に入ったの。


でも寝れない。次の日も仕事だったから少しでもたくさん寝て回復したいのに寝れない。

寝よう寝ようと思うと逆に寝れなくなっちゃうやつで、一時間ぐらいゴロゴロしてたのね。

でね、私の家って大きい時計あるのよ。新築祝いで親が誰かからもらったってやつなんだけど、あれ二十四時間チクタクいってるし一時間ごとにボーンボーンってなるわけ。

私の部屋まではチクタクは聞こえないけどボーンボーンは聞こえるのね。

十二時とか長すぎてうるさいんだけど、あれが二回鳴って、二時なんだなあって思って、そしたら友達の言ってた怖い話を思い出して、幽霊の出る時間帯とかってやつ……


そう、それ、丑三つ時。


一度考え始めたら何だか怖くなってきちゃって、外で遊んでたり明るい部屋でテレビ見てたりしたら二時でも三時でも気にならないのに、暗い部屋で寝てると怖くなってきちゃって、小さな音が気になったりして、なおさら寝たいのに寝れない。

でね、なんとなく寝返りをうったわけ。壁を向くほうに。そしたら自分と壁の間に、ほんのちょっとしかない隙間にね、いたのよ、


サバ。


大きなサバがこっちを、何で笑うの!?

私その時すごい怖かったし今思い出しても怖いんだけど!

ネタじゃないしサバ見たし!

すごい死んだような目でこっち見てて、えっ、うん、そうだよ、横向きに……魚の目って横についてるから横顔っていうか……

いやいやネタじゃないし寿司ネタでもないしサバ見たし!






必死にサバの恐怖を語る久木さんを車内の全員が笑う。

久木さんはちょっぴり天然キャラだ。本人は怖かったのかもしれないけれど、その恐怖が一切伝わってこない。

三列あるワゴンは自家用車の中ではもちろん大きいけれど、車内は小さな密室だ。

広くない中に満ち満ちた笑い声が一段落して、次の怪談話に、という雰囲気になったところで久木さんの「だって……サバ……」という呟きで再度の爆笑へと突入した。


一日遊び歩いた帰り道、みんな疲れていたけれど全員が眠ってしまっては運転手がかわいそうだ。街灯も無い暗い山中に気をひくようなものもなく、眠気覚ましにと百物語を提案したのは、一番後ろの席に一人で座る久木さんだった。


運転席と助手席、二列目に私と松江さん、近場にいる人と話すと久木さんは余ってしまうので頑張って後ろの方へ話を振っていた。

やり取りの多い会話だとお互いに気を使ってしまうので、会話の往復の少ない、一人で語りやすい形を久木さんは提案してくれたのだと思う。


長い道中とはいえ百個も話せるだけの時間があるとは思えない。

話し終わるごとに消していくという定番のろうそくも無く、百物語とは名ばかり。

ジャンルを怖い話にくくっただけの雑談みたいなものだ。


それでも真っ暗な峠道で怖い話を続けていれば雰囲気は盛り上がってくる。

病院で入院中に聞いた話や、友達の友達という完全なる他人から聞いた噂話に続いて、本人の実体験という満を持した流れだったというのにオチがサバ。

久木さんの天然には常日頃から癒されているけれど、今回のこれはまた素晴らしい。

本人は本気で怖がっていて、恐怖を伝えようと必死なところがポイントが高い。

久木さん伝説に新たな一ページが加わってしまった。


笑いに包まれた車がトンネルに入る。

あまり明るくないオレンジ色の照明のついた古いトンネルだ。

短いトンネルを抜けると真っ暗な山しか見えなかった視界が開けて、少し遠くに町の明かりが見える。


楽しい旅路とはいえ疲れているのも事実なので、家が近づいているかと思うとホッとした。

笑い続けていた皆も似たようなことを思ったようで、車内は静かになった。

安心感に包まれた沈黙だ。


不意に携帯の通知音が重なる。メッセージの届いた時の音だ。

山の中だったので電波が途切れていて、山を抜けたためにまとまって届いたのかもしれない。

運転手以外、それぞれ自分の携帯を確認し始める。私もそうした。


久木さんからのメッセージ。


―みんなどこにいる?

―トイレの前の大きな木のところで待ってるね

―バスが来たから乗るね!


最初のメッセージの時間は二十分くらい前、バスに乗ったメッセージは五分前だ。

三列目を振り返る。荷物が置いてあるだけ。

ぞっとした。

私の隣に座っていた松江さんもほとんど同時に同じ動きをして、二人顔を見合わせた。


ミラー越しに私たちの動きを見たらしい助手席の吉川さんは強張った顔で、事情が分からないながらも空気の変わった車内に狼狽している運転手に、停めれるとこあったら停めて、と伝えていた。


一分も経たないうちにバス停が見え、広い路肩の隅に車が停まる。

車を停めてすぐ助手席の吉川さんは車外に出てトランクのほうへ回った。

私や松江さんも伸び上がって後ろを確認した。

三列目にもトランクにも荷物しかない。


携帯を確認した運転手はせわしなく手を動かして文字入力をしている。

隣に座る松江さんの持っている携帯から、かすかに定番の音声が聞こえる。


「おかけになった電話番号は、電波の届かない場所にあるか、電源が入っていないため……」


山中に入る直前、自動販売機とトイレのある小さな公園のようなところに寄った。

そこではぐれたような状況だ。ついさっきまで久木さんと会話をしていたということを除けば。


さっきまでいた久木さんはどこに?

本当に久木さんは車に乗っていたの?


全員が同じ疑問を抱きながら言葉にするのが恐ろしく、しかし放置するわけにもいかず。

バスの時刻表を見れば五分後にバスが通る予定ではあるらしい。

ひとまずバスを待ち、久木さんがいなければ山を越えて公園に戻ろうということに決まった。


バスは十分後に到着した。

定刻を過ぎて一分おきに待つか引き返すかのやり取りがあったのでヘッドライトの明かりが見えた瞬間には全員の顔が明るくなった。

久木さんが乗っていなかったらという不安を吹き飛ばすように、バス停に入ってきたバスの最前列には久木さんが座り、大きく手を振っていた。


「山の中に入ったら電波全然なくなっちゃったね~行き違いになったらどうしようかと思ったけど合流できてよかった!」


置いて行かれた状況であるのに久木さんは優しい。久木さんは全く気にしていないふうだったけれど、みんな必死に謝った。

なぜ、久木さんが車に乗っていないと思わなかったのかという本当の話は、しなかった。

あの山の中にだけ存在した久木さんのふりをした何かは、いったい何がしたかったのだろうか。

夜の暗い山の中で、怪談話を勧めてきて、何を伝えたかったのだろうか。

あの、サバの話で、いったい何を。





以上が、私がサバを食べない理由です。食わず嫌いとかじゃないです。本当です。

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