バレンタインチョコで異世界転移(俺たちの旅はこれからだ)
外履きあるいは内履きの入った四角い箱が無数に並んだ列を眺めながら正輝は毒づいた。
「一年中、年中無休で靴の入ってる箱だぞ。いや、夏休みとかは持ち帰るから三百…何日か分かんないけど大体いつも靴が入ってるんだぞ。こんなとこに食品を詰め込むとか正気を疑うわ。ありえん。衛生的に考えて無理。だいたい下駄箱って何だよ下駄入ってねえよ」
「靴箱でいいよね。何で変えないんだろ。いつものデントーかな」
苦笑いで相槌を打つ充希。
下駄をはく人の極端に少ない現代社会、靴箱という名称が適当であるはずだが、創立百五十と何年かを越えていることを微妙に誇っているらしい本校では恐らく創立時に命名されたであろう下駄箱という名称のまま変更はなく、教師も生徒も先輩がたにならって下駄箱と呼び続けている
正輝も充希も、今までにこの伝統ある下駄箱の中に食品を詰め込む人に出会ったことは無い。
詰め込まれてしまった人に出会ったことも無い。
実は校内や校外ですれ違っているかもしれないが、気づいたことは無い。
つまり縁のない人生を送ってきた。
下駄箱にチョコレートの入ったバレンタインデーには。
縁がないために毒づいている。
正輝は本当は喉から手が出るほどチョコレートが欲しかった。
机の中か、校舎の裏か、下駄箱というのが正輝がチョコレートと遭遇したい場所ランキング上位であるが、今まさに下校せんと下駄箱にたどり着いた状況。
朝も休み時間も机の中には何もなく、校舎の裏に誘われることもないまま、最後の希望あるいはトドメが待っているこの地へと、たどり着いてしまった。
期待と不安から、正輝は「べつにチョコ入ってなくても気にしませんよ、むしろ入ってないほうが正常です、ここは靴を入れる場所なのですから」という言い訳に精を出していたのだ。
たくさんの言い訳で心の準備のできた正輝は、靴を入れる場所に食べ物を入れるなんてありえないとしつこく繰り返しながら扉を開け、そして黙った。
やっぱり入っていないという予想通りかつ期待を裏切る結果に落ち込んでいるのかと思った充希が慰めようと近づき、息をのんだ。
外履きの靴の上に、小さな箱が鎮座している。
「えっあ……」
「あ、う?」
「……んん?」
「ぅおう……!」
最早、彼らに人語を操ることはできない。震える正輝の手が靴箱の中に伸び、小さな箱へと触れた、
瞬間に正輝を中心に世界が歪んだ。
正輝は小学校の合唱コンクールを思い出していた。
緊張のせいか貧血で倒れたことがある。ふわりと揺れる感覚。
チョコレートに緊張しすぎだろと自嘲した正輝は下駄箱の扉を掴み、目を閉じ、しっかりと両足を踏みしめて目を開けた。
目前には宇宙が広がっていた。
「えっあ……」
ついさっきと同じ、人語に満たない声を漏らすが充希の返事は無い。
ゆっくりを左右を見回す。充希はいない。宇宙しかない。
貧血で倒れてしまって夢を見ているところだろうか。
「いらっしゃいませ! 神です!」
宇宙の只中、突如として目前にピンク色の髪を三つ編みにした少女が現れた。
ヒッと小さく叫んだ正輝は、もう一度左右を見回した。
「時任正樹さんですね? 私はフィトレジャと普湖永遠、ふたつの世界を担当している神で、トットカルヌェンムといいます!」
「とっ……?」
「トッティでいいですよ!」
「とっ……」
「トッティ!」
神って何だ。ふたつの世界ってなんだ。知らない単語ばかり並んだぞ。
正輝は混乱しながらも、別に少女の名前にそんなに興味はないものの名前呼ぶまで引き下がらないだろうなという空気を感じ取り、トッティさん、と小声で呼んだ。少女がにっこり笑う。
「急に呼んじゃってごめんなさい。いまフィトレジャにラセップウェが現れて魂の均衡が危ういのでローヨボメツが……」
少女は正輝の顔を見て、ようやく察した。
「ちょっと事態をのみこめてませんね?」
正輝は頷きながら恐る恐るたずねた。
「もしかして異世界転生とかいうやつ……?」
「そう! それです!」
少女の笑顔が弾ける。
「普湖永遠で直近三日間に、他の世界に行ってみたいといった旨のことを思った人の中から抽選で時任正樹さんが選ばれました! 私はこう見えてけっこう上位の神なので体力も魔力もお好きな能力を付与することもできますからチート無双も夢じゃない素晴らしい異世界ライフを、」
「バレンタインなんだけど!?」
正輝の叫びに少女は面食らった。
「そうですね、普湖永遠の地球ではバレンタインです。異世界転生に抵抗がありますか? 地球の日本では異世界転生が好意的に見られているのでは……?」
「まあ少しは憧れたりするけど……」
本当は少しでなく正輝は相当に異世界無双の妄想をしていた。
「憧れるけど、でも、だってダメだよ、戻らなきゃいけないんだ、早く戻って、そして……」
チョコレートを送ってくれた人を探さなきゃいけない。
かわいい子だったら付き合いたいし、そんなにかわいくなくてもいい子だったら付き合いたいし、見た目も中身がちょっとイマイチでも友達から始めてみたいし、見た目も中身も良い所が無い場合は、まあとりあえずキープしときたい。
正輝は正直者の俗物だった。
「ローヨボメツは難しいのですね……」
少女はションボリと肩を落とした。
恐らく救世主や勇者のたぐいと思われる良く分からない役職を求められているようだが、正輝には荷が重い。
正輝にはチョコレートの主の彼氏あるいは男友達という役職があるのだ。
他のことをやっている暇はない。
少女の顔を決意と共に見つめる。
まあまあかわいい顔の神様だ。運命の相手がいなければ、何とかいう救世主役を受けてやっても良かったが、正輝には運命の相手がいる。
「残念ですが、しかたないですね」
少女が両手を広げる。世界が歪んだ。
帰るんだ、下駄箱に。
正輝はめまいのような感覚から逃れるために目を閉じ、そして、目を開けた。
視界には下駄箱。
閉じたままの扉を掴んだ格好のまま静止した状態の正輝を、充希が横から覗きこむ。
「だいじょうぶ?」
正輝は少し微笑み、頷いた。
さあ、再度のチョコレートとのご対面だ。
勢いよく下駄箱を開く。靴が出迎えてくれた。靴だけが。
「……ん?」
箱が無い。チョコレートが消えてしまった。
なぜだ。元いた世界とは違う世界へと来てしまったのか。
ふたたび静止してしまった正輝を気遣わしげに見ながら充希が自分の下駄箱を開く。
「あっ!?」
充希の声に正輝は視線を動かした。
驚いた顔の充希の見つめる先には、見覚えのある箱が。
手を伸ばす充希。同時に正輝も箱に手を。
「いらっしゃいませ! って時任正樹さん!?」
出迎えたピンクの三つ編みに正輝が詰め寄る。
「トッティさん、あの箱、トッティさん?」
端的過ぎて意味不明だが、二人の間では通じた。
「時任正樹さんも仰っていたように、普湖永遠の地球の日本ではバレンタインですので。それに合わせた召喚をとお伝えしたつもりだったんですが……」
あどけない神様の返答に正輝はガッツポーズを見せた。
充希は呆然と宇宙を眺めている。
「何でもチート能力もらえるんだよな? それとは別に報酬ももらえたりする?」
「そうですね、世界に影響が少なく、私にできる範囲のことでしたら」
充希は宇宙を眺めるのをやめて神様と正輝を眺めはじめた。
正輝は運命の相手のため、よくわからない救世主的な何かになる決意をしている。
状況が飲み込めないなりに何となく察した充希は正輝の肩をたたいた。
「よくわかんないけど、一肌脱ぐよ!」
バレンタイン異世界ライフが今はじまった。
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