Part 2 初めてのバトル(弟シンの冒険記)

   

 テントの外の世界は、一面に広がる、緑の原っぱだった。

 かつて家族旅行で訪れた北海道の牧場を思い出す。でも『牧場』とは違って、小屋や柵のような、自然の景観を損ねる人工物は存在していない。ただ遠くの山々が視界に入るだけだが、そんな『山々』も、北海道の大自然を思い起こさせる感じだった。

「これが、火の大陸か……」

 僕は『火の大陸』という言葉から、もっと赤々とした世界を想像していた。グツグツと煮えたつ溶岩の池と、赤く燃えた岩の大地からなる、灼熱の世界……。

 でも現実は、穏やかな世界だ。考えてみれば、ゲームの溶岩ステージみたいな場所だったら、徒歩で冒険の旅なんて出来ないよなあ。

「そうよ、シン。この北の大陸は、火の神様のおかげで、一年中あたたかいの」

 姉ルベラは、僕の発言の意味を少し誤解して、そんな言葉を口にした。

 確かに、あたたかくて過ごしやすい気候のようだ。これが夏も冬も続くというのであれば、キャンプには最適だ。テントを担いで冒険旅行というのも、さぞや楽しいことだろう。


「少し行けば、大きな街道に出るはずだわ」

 姉が指し示した通りに、まずは、東に向かって歩き始めた。テントは交代で持つということで、最初は、姉が背負ってくれている。

 しばらくすると、本当に、街道が見えてきた。舗装されていない、土の道路だ。日本なら田舎道だろうが、この世界では、これでも幹線道路なのかもしれない。

 同時に。

 背筋がゾクッとした。体中に、ちょっと気持ち悪い感覚が広がる。

 思わず身震いした僕を見て、姉が、満足したように頷く。

「ちゃんと、モンスターを察知する感覚は『思い出して』いるようね」

 言いながら、彼女は、背中の荷物を足元に置いた。

 なるほど、この悪寒は、モンスター接近を知らせる警報のようなものだったのか。確かに、これならば自然と、体が警戒態勢になりそうだ。

 腰の剣を引き抜いた姉に合わせて、僕も武器を構える。姉と同じく、腰につけてあるが、僕のは剣ではない。

 魔竜槍マジカル・ドラゴン・ランス

 名前が少し恥ずかしいが、とにかく槍だ。竜剣士向けの槍ということで、武器名に『ドラゴン』と入っているのだろう。

 姉の剣と同じくらいの長さのそれを、しっかり両手で握る。そして、その場で軽く一振り。瞬時に、三倍くらいの長さに伸びた。一見、釣り竿の振り出し竿のような感じだが、そんなわけないと思う。振り出し竿のように中身がスカスカでは、武器としての強度が心もとないからだ。

 この槍の伸縮機構は、物理的なものではなく魔法によるもので、だから『マジカル』という言葉が名前に含まれているらしい。

 ともかく。

 そうやって、僕が戦闘準備を整えたところで。

 前方からモンスターが歩いてくるのが、見えてきた。


 赤い帽子を被った、茶色のヒト型モンスター。モンスターのくせに、武器として小さなナイフを手にしている。

 ゴブリンだ。

 数は二匹。

「アルデント・イーニェ!」

 いきなり姉が、魔法を唱えた。

 その炎で、二匹のゴブリンが焼かれる。しかし、致命傷には、ほど遠い。

 当然だろう。僕も姉も魔法が使えるとはいえ、黒魔法士の攻撃魔法みたいな威力は出せない。しかも、今姉が使ったのは、弱炎魔法カリディラ。しょせん第一レベルの炎だ。

 それでも、ある程度のダメージは与えて、モンスターの気勢をそぐ程度の効果はあったはず。

「私が左をやるから、シンは右の一匹を!」

「了解!」

「私についてきて!」

「はい、姉さん!」

 駆け出した姉に続いて、僕も走り出す。

 ゴブリンに剣が届く距離に達する前に、姉は、空高く跳躍した。真似して、僕も跳び上がる。

 器用にも姉は、空中で、最初のジャンプの最高点から、さらに二度目のジャンプを行う。物理法則を考えたらありえない挙動だが、これが竜剣士の二段ジャンプだ。ファンタジー世界ならではの動きかもしれない。

 ゴブリンのはるか頭上まで跳び上がった姉は、そのまま全体重を込めて、剣を直下に繰り出す。小型のナイフしか持たないゴブリンは、ただ見上げることしか出来ずに、垂直落下してきた姉に、脳天を刺し貫かれた。

 二段ジャンプ垂直斬り。竜剣士の特殊攻撃の一つだ。


 僕も同じように、二段ジャンプ垂直斬りを披露するつもりだった。姉と同じくらいの場所から跳び上がった以上、二段ジャンプでないと、ゴブリンの真上のポジションを取れないからだ。

 でも僕は、二度目のジャンプに失敗した。足場のない空中で、もう一度ジャンプすることが出来なかったのだ。

 ええい、仕方がない。それならそれで、一段ジャンプで出来る技を見せてやろう。

 僕がジャンプの最高点に達したところは、当然、敵の武器なんて届かない位置だ。しかし僕の槍ならば、攻撃できる範囲内だった。

 そこから、斜め下に向かって槍を突き出す。ジャンプしているので『斜め下』でも、ゴブリンの頭部を直撃することが出来た。

 これも一応は、兜割りと呼ばれる、ジャンプ攻撃の一種だ。

 こうしてあっさり、僕たちは二匹のゴブリンを倒すことが出来た。


「さすがね、シン。竜剣士独特の技術は、ちゃんと体が覚えていたみたいね」

 戦闘終了後に、姉は僕を褒めてくれた。

 少し年上の、美人で色っぽい女性から、こういう言葉をかけてもらえる。これは、凄く役得だと思った。正直、こんなゲームっぽい世界で初めてのモンスター退治というのも面白い経験だったが、それ以上に、この姉の言葉の方が僕の心に響いたかもしれない。

「しかも、戦術も良かったわ。私が垂直斬りを使ってみせたから、あえて兜割りを選ぶなんて……。あれならゴブリンも、警戒していた方向とは別のところから攻撃を食らうから、どうしようもないものね」

 一瞬、姉の言っている意味がわからなかったが……。

 どうやら彼女は、僕が二段ジャンプをしようとして上手くいかなかったのを、意図的な作戦だと誤解したらしい。

 一匹目は真上から脳天を串刺しにされて絶命したので、横にいた残りのゴブリンは頭上を警戒するはず。だから、違う攻撃パターンを選択すれば、敵の意表をつくことが出来る……。

 僕がそこまで考えた上で、兜割りをやってみせたのだと、姉は思ってしまったようだ。

「えへへ……。咄嗟に、ああなっただけで……」

 少し照れくさそうに、僕が答えると、

「咄嗟の判断で、ああいう戦術になるなら、それも立派よ。そういう、機転みたいな感覚は大事だわ。よし、よし……」

 姉は、僕の頭を撫でてくれた。

 やわらかな手の感触が、なんとも心地よい。

 実際は『咄嗟の判断』で最善の戦術を選んだわけではなく、あれしか出来なかったから仕方なく、という意味での『咄嗟』なんだけど……。

 もう訂正する気も起こらず。

 せっかくなので。

 僕は、姉の手の温もりを感じて、少しの間、幸せな気分に浸っていた。

   

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