第10話 プレイヤー・ジェーンの提案


邦人の予想に反し、扉の中は広い洗面所が有り、更にその奥に扉が有った。天井の高い洗面室は光沢の有る黒石で張り込まれ、そこだけ白い三つ並んだ洗面台の周りから間接照明の白光が、冷たく輝いていた。ヨルトンなど高級シティーホテルのトイレを彷彿とさせる。


邦人は、先ず自動放水の蛇口から出る温水に手を浸し、次いでソープサーバーの泡で手を洗う。顔も石鹸で洗ってペーパータオルで拭う。焼けて髭が濃くなった自分が、鏡から見つめ返していた。トイレに進む。


VRだから可能なんだと思う。では邦人がここにAIを呼び出して同じ事が出来るだろうか?出来ない。素材、デザイン、エネルギー、etc。このトイレは、彼女の力を見せ付けるデモンストレーション。


魔法は素晴らしい、何でも出来る。私は船でも飛行機でも戦車でも一瞬で作り出せる…そう言いたくて、彼女は邦人にここを使わせたのだ。


「やってくれる…。」


邦人は思わず呟いて苦笑する。

閉じられたベージュ色の便座の蓋上には、黒い紐めいた女性下着が置かれ強烈なエロスを放っていた。思わず手に取ったそれからは、強い女性の香りが漂っていて、禁欲生活を続けている邦人は頭がクラクラした。遠慮なく革パンのポケットに突っ込む。


すると次に彼女は身体を差し出すのか?見返りに何を要求されるのだろう。物ならばスマホ、そうでなければ何らかの契約。……邦人の破滅に繋がる何かだろう。


そう考えながらも劣情しそうな自分を、意思の力で抑え込み用を足す。自動洗浄が状況を忘れそうな程快適だった。


>トイペ、金属板、液ソープ、ソープボトル、小瓶x2GET!(+女性下着)


その後邦人は、トイレットペーパー1個、ペーパーホルダーの蓋を外し取り、洗面所ではソープサーバーと化粧水の瓶2つを取る。鏡を割って持ち帰る事も考えたがそれは止めた。戦利品を抱えて扉の外に出た。


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「早かったですね。もっと時間が掛かると思っていました。」

「そうですか?」


ジェーンは持っていた赤い本を閉じると、長い脚を組み替える。思わずそこに目がいく邦人に意味有りげに笑い掛けると、立ち上がって何事か呟き壁面の扉は消えた。トイレから持ち帰った戦利品を運ぶ邦人の様子を、ジェーンは興味深げに眺めていた。


やがて二人は熾火を挟んで元の位置に座る。邦人は熾火に薪を加え、焚火にした。


「私達は大分仲良くなりました。そう思いませんか?」

「その通りです。」

「私達がもっと親しくなるかどうかは、貴方次第です。私は貴方を好ましく思っています。」


邦人が頷くとジェーンは微笑んだ。


「ところで、貴方はこれからどう行動するつもりか、教えてくれませんか?」

「方法を探し、現実に帰還するつもりです。」

「この世界に…魅力は感じませんか?」


ジェーンは怪しく微笑み、邦人からは焚火でよく見えないが脚を広げて座った。あからさまな挑発だ。


「非常に魅力的です。しかし私は帰りたい。」

「では、なぜですか?」

「貴女が魅力的なのは認めます。」


ジェーンは満足気に頷く。


「しかし…。」

「しかし?」

「この世界に他にどんな魅力が有るのか私は殆ど知りません。一方、現実ではそれが解っています。」

「貴方が現実で記憶しているものも、そうでないものも…その全てを私は貴方に与えられるでしょう。貴方が現実では望んでも得られなかったものも。」


いよいよ怪しく微笑むと、ジェーンは上着を一枚脱いだ。その下ははち切れそうな黒いブラジャーだ。一体どんなサイズなんだろうと遠慮無い視線でそれを眺めながら、邦人は言った。


「それではリゾートと変わりません。現実は理不尽な面を持ちますが、一方で私の予想を超えた何かを産み出します。」

「魔法が有ります。ここでは魔法が、貴方の予想を超えた何かを産み出し、貴方に与えるでしょう。」


するとジェーンは椅子から立ち上がり焚火の横を抜け邦人の傍らに来ると、腰を屈め胸の谷間を見せ付ける姿勢で1冊の本を差し出した。さっき彼女が読んでいた物だ。官能的なコロンの香りがする。邦人が本を受け取る時手を引き寄せ、一瞬胸に押し付けた。


「先程貴方が見たいと言った魔法の本です。貴方は私の質問に答えたので、約束通りお貸しします。」


赤い革表紙の本は表裏に奇妙な刻印が焼き付けられている。邦人は軽くページを捲り、後ろの方からパラ、パラと捲っていく。左ページに紋様、右ページにタイトルとその下に複雑な分子式やその応用が、解説付きで記されているようだ。文字が読めない邦仁は、ジェーンにその“魔法”の内容を質問する。


「音を消す魔法です…。」

「それは灯りを灯す魔法。」

「これは面白いですよ…光学迷彩です。」


ページを捲る邦人に、背後から抱きついたジェーンは身体を探り首筋にキスし、耳に息を吹き掛ける。胸を押し当てながら質問に答えた。しかし手がジャケットの左胸…スマホの収めてある場所に触れると、熱い物に触れた様にそこを避ける。


「…色々ありがとう。本を返します。」

「ふふふ、凄い精神力、貴方は私を欲しいって言いませんね。」


立ち上がり邦人の正面に回り、ジェーンは本を受け取る。邦人の鼻先に短いスカートの腰が有り、焚火が作る影で見えないが、官能的なコロンと女性の香りが強く鼻を撃つ。


「ジョン。貴方は私のゲストになりませんか?私はゲストに非常に多くの物・知識・力を与えられます。私の身体も。」

「それは魅力的な申し出に聞こえますね。(見返りはなんですか?)」


ジェーンは邦人の言外の問いを無視して、辺りを見回しながら続ける。


「ここも素敵な場所だけど、まずは私の宮殿に行きませんか?安全で清潔で快適。そこでゲストに関してもう少し、私は貴方に説明したいです。」


ジェーンは腰を下ろし邦人の肩に手を掛け、目を見つめる。影になった顔の中、彼女の目だけが光っている。


「その移動に魔法を使いたいのですが、貴方のスマホが障害になります。だから貴方のスマホを、私にちょっと“預けて”くれませんか?」


ちょっと預けろか。スマホ…考えていた以上に重要らしい。


「すみませんが、ノーです。私に取って、これは現実に帰還する為の鍵なんです。」


ジェーンの顔が、邦人の顔に近付いて来る。焚火が作る影の中なのに、その美貌が視界いっぱいに、淫らな笑みをたたえ、息が掛かりそうな距離から邦人の顔を覗き込んでいた。


「我慢は貴方の身体に悪い。」


今や邦人は目を閉じ必死に何かに耐えていた。禁欲的な生活だったにせよ、これはおかしい。ビールに興奮剤でも…魔法か?


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