第27話 8
ここに来てかれこれ4ヶ月になろうとしている。
季節も移り変わり、あの爽やかだった風がいつの間にか湿度を含んだ蒸し暑い空気と化している。覚悟はしていたものの、やはりエアコンが恋しくてしかたがない。ほかの部屋の人はどう対処しているのだろう。どの部屋もついている様子はない。
仕事のほうは、いまでも友人の山本クンが紹介してくれた渋谷のバーに通っている。
不満がないこともないが、まあ我慢できないほどではないのでなんとか続いている。
いちばん辛いのは、仕事を終えてから最終電車までの時間があまりないので、毎日渋谷駅まで全速力で走らなければならないことだ。
きょうは土曜で仕事が休みだから銭湯の帰りに田中食堂に行こうと思った。無性にアジフライ定食が食べたかった。
店に入っていつもの席に腰かけると、躊躇することなくビールとアジフライ定食を注文する。すぐにビールが目の前に置かれた。いつもはビールなんか贅沢で頼まないのだが、なぜか咽喉が渇いて冷たいのを口にしたかった。
グラスに注いだビールを一気に咽喉の奥に流し込む。炭酸のひと粒ひと粒が急いで駆け降りて行くのがよくわかった。そのすぐあとで軽い苦味が追いかけた。立て続けに2杯あけた。
しばらくして、まだチリチリと音がするアジフライの定食が搬ばれた。僕はソースをかけることなくいきなりかぶりついた。フライはコロモのパン粉が上顎に刺さりそうなくらい立っていて、ふわふわと柔らかいアジの身は新鮮なのがよくわかった。そして冷たいビールをひと口含んだ。
僕は1200円を払って店を出た。空はまだ充分に明るさが残っている。蒸し暑いことこの上ない。アパートに着くまでに汗びっしょりになってしまうことだろう。これでは銭湯に行った意味がない。
部屋の前に佇み、ほかの部屋の気配を盗み見る。
(みんなは飲み会をしていないみたいだ)
きょうは飲み会に参加する気分じゃない。鍵を開けてゆるゆるになったノブを回して物音を立てないようにそっと部屋に入った。
真っ先に台所で蛇口をひねり、首のあたりの汗を丹念に洗い流す。そのあと、冷蔵庫の扉を開けて腕を折りたたんだまま差し込んだ。ひんやりとして気持よかった。
外から在室がさとられないように台所の電気を消し、居間の電気も豆電球だけにした。ガラス戸だけは半分ほど開けてある。少しでも風が欲しかった。
しかしまったく風がない。花木おばさんにもらったガラスの風鈴がちりんとも鳴らない。恨めしげに見上げるものの、さげられた短冊は微動だにしなかった。
うんざりとしながらスマホをいじりはじめる。額にじわりと汗が滲み出た。
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