第8話 3

 電気もガスも水道も使えるようになり、人並みの生活ができるようになってひと安心した僕は、夕方になってまだすませてない2階の住人への挨拶まわりをすることにした。

 なかば留守であることを覚悟しながら階段を昇り、いちばん奥――つまり僕の真上にあたる部屋のドアをノックした。すると、嗄れ声の女性が返事をしながらドアを細めに開けた。一見したところ水商売の女性のように映った。これから出勤するらしく、ばっちり化粧をしている。

 早々に挨拶をすませ、次に隣りの203号室のドアをノックしたとき、先ほどの女性が顔を覗かせ、

「そこの人やったら、ようわからへんけどOLみたいやからこの時間にはまだ帰ってへんちがう? どうしても挨拶したかったら土、日ならいてるんやないの」

 と、親切に教えてくれた。

「そうですか、ありがとうございます」

 僕は軽く頭をさげた。

「ついでにいうとくと、201号室の若いおニイちゃんもほとんど部屋にいてへんみたいやで」

「そうなんですか」

「だって長いことここに住んでるけど、いままで1回か2回くらしか見たことあらへんも」

 女性は部屋のドアにせわしなく鍵をかけながらいった。

 僕は女性が階段を降りる背中を見てから部屋にもどった。

 なにかまだ自炊をする気がしない。夕食をどうするか悩んでいたとき、突然ドアがノックされた。

「はい」

 僕は大きく返事をしながらドアを開けた。

 するとそこに、隣りの花木さんが薄化粧の笑顔で立っていた。

「あのさ、みんなであんたの歓迎会をしようといってるんだけど、どう?」

「えっ、僕のですか?」

「そうよ。どっちみちあんた晩ごはんまだなんでしょ?」

「でも、僕のためにわざわざ……」

 僕は頭を掻きながら申し訳なさそうにいった。

「違うわよ。本当は、みんななにか口実をこしらえて飲みたいだけなの。まああんたもなにかの縁でここの住人になったんだから、顔合わせをしといたほうが先々都合がいいんじゃないかな」

 花木さんは真摯な顔つきになって諭すように話した。

「わかりました。で、どうすればいいでしょう」

「参加するんだったら、101号室の野田さんの部屋においで。もうみんなはじめてるから」

 それだけいうと、しっかり贅肉のついた背中を見せて、さっさともどって行った。

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