第5話

 田代さんに礼をいってクルマを降りた瞬間、これまで全身を覆っていた不安というベールがすべて取り除かれたようにすっきりとした気分になった。

 自然と笑みがこぼれてしまう。有頂天になってしまっている自分を抑えることができなかった。いま頭のなかにあるのは、引越し屋に電話をして家財道具を搬出する段取りをとることしかない。あとはこの部屋のオーナーに退去報告をするだけだった。

 そんなことを考えながら自分の部屋の前に立って鍵を差し込んだとき、ふと肝心なことを忘れていたことに気づいた。

 電気、水道、ガスの申請だった。これらがなければ生活することができない。

 焦った――。まずガスはいいとしても、電気と水道は欠かすことができない。急いでスマホから電力会社、水道局そして最後にガス会社に連絡を入れた。

 結局明日にならないと生活ができる状態にはならないことがわかった。

 ひと安心してスマホの時計を見る。引越し屋には時間の余裕をみて午後からにしてあったため、まだ時間的に余裕があった。僕はほっとしたこともあって、タタミの部屋に大の字になって天井を見上げ、大きく息を吐いた。

 この部屋に住みはじめたころはいまとはまったく違っていた。あのころはとにかく派遣会社からのはじめて決まった仕事だったのと、勤務先が世界的に有名な自動車メーカーでまったく不安がなかったことで自分の心に希望という明るい光があった。

 でもいまは表と裏とをたがえたくらい状況が変っている。想像もしなかったことだ。

 まったく僕はついてない――自分のふがいなさに強く目を瞑った。しかし、目蓋の裏側にはなにも見えなかった。

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