霧島連山・高千穂峰で死にそうになった件(1)

私の怒濤の観光において、「ただの観光だったはずなのに、なぜ、私は今こんなことをしているのか?」と心底疑問に思う瞬間が、時々訪れる。


それはたいてい命の危険を感じて「死にそうになっている」時であり、初めてそう思ったのは長崎で、とある歴史上の人物のお墓を探している時だった。


長崎は、ご存じのとおり坂の町で、そのことを忘れていたわけでは、もちろんなかったのだけど。

私はただお墓参りがしたいだけだった。なのに、想像以上にものすごい急な坂道やら石段やらを延々と上らされる羽目になり、息も絶え絶えになりながら、「いったい、私は何をやっているんだ!?」「もしここで、何日後に発見されるだろうか」と思った。


炎天下、飲み水もなく、もう体感で40分くらい上りに上ってきていた。踊り場みたいにところどころにある墓地のスペースを何カ所も通り過ぎてきたけど、この先、目的のお墓に辿り着けるかどうかはわからなかった(詰めが甘く、場所が曖昧だったため)。


ここで死にたくなかったら、引き返した方がいいかもしれない。

そう考え始めた時、腰の曲がった80歳代以上であろうおばあちゃんがひょこひょこと上ってきて、涼しい顔で私を追い越していくじゃあ、ないですか。

ア然として後ろ姿を見送りながら、私は悟った。


——モノが違う。

生まれた時からこの坂の町で生きてきた人と、地下鉄に乗る時に階段の上り下りする程度のヤワな都市生活者。


私は、トシの差倍以上だろうと思われるバケモノ体力のおばあちゃんに挑発され、負けじと無謀に死の階段を昇ることもなく、おとなしくスゴスゴと山を、否、石段を下りることにした。

賢明な判断だったと思う。


そして、後年、同じ九州で、私はさらに過酷に死にそうな目に遭った。

いや、目に遭ったと言うか、自らそこに身を投じてしまった結果だったのだけど。


今回このことを書くのは、ついひと月弱前に屋久島に行ったからで、屋久島のことを書く前に、比較のためにもこのことを先に書いておくのがいいと思ったからです。


「私、いったい、ここで何やってるんだろう。。。」

死の崖っぷち、遠のきそうになる意識を必死でつなぎ止めながら、この時ほど切実にそう思ったことはかつてなかったです。

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