マジメな高知旅日記〜中岡慎太郎
2012年、高知を旅した。
もろ「龍馬ゆかりの場所を巡る」という企画で、生家跡や桂浜や、脱藩した時のルートが残ると言われる山の上の村(?)檮原(ゆすはら)に一日がかりでバスで行ったり、など。
いつものようにあまりにテンコ盛りで、これは怒濤の旅程を完遂するためによく利用するようになっている手なのだけど、三日のうち一日は観光タクシーをお願いした。
その日の龍馬コース最初のスポットは、龍馬の盟友、中岡慎太郎の生家跡。
それで、タクシーのオッちゃんは最初渋い顔をしたもんだ。なぜなら、龍馬が生まれ、その後チョロチョロしていたエリアと中岡慎太郎の生家は、かなり離れているらしく。私の予算内での時間的制約やガソリン代も考えると、ちょっと困るという感じで。
でも、何とかお願いをきいてくれた(交渉の過程はすでに記憶が曖昧)。気のいい人だったせいかもしれない。
確かに、高知の中心部から長い時間がかかった。そのおかげと言えば、オッちゃんとのおしゃべりがすごくおもしろかったことだろう。それは今後の、過去のエントリ転載でも出てくる。ちなみに、本エントリは遠い記憶を思い出しながら書いてます。
途中、「モネの庭」とかいう観光スポットの看板があった。今回の旅が「龍馬巡り」でなければ、いの一番に興味を引かれるところだったけど、華麗にスルーした。
これを書くにあたって一応グー○ルマップで見てみると、生家跡もモネも安芸の方みたいだ。
記憶が確かなら、海岸沿いの道を延々と走った。
そして思った。
「龍馬たちがふつうに闊歩していたあたりとずいぶん遠いな」
さらに思った。
「この距離を、車のない時代に歩いていたのか」って。
私は某国営放送の大河ドラマで龍馬伝を見た、という程度の知識しかないのだけど、中岡慎太郎は、最後、龍馬とともに襲われて命を落とした幕末の志士の重要な一人、という認識でよいですか??
その前提に立ちながら山奥のド田舎の生家跡に立つと、彼がどんなに高い志を持っていたかが実感できる。
何も資料など調べず、ただテレビで見た知識だけを下敷きにした感想だけど、いったいどうやってあのド田舎で高い志を持つに至ったのか、まず不思議に思った。集落の近所の人の中に、素人ながらの思想家でもいたのか?
現在で言う高知市の方の人たちと交流するのだって大変だったと思う。思想の中心部との物理的距離が、心理的距離になるというか ”蚊帳の外” って感じにならなかったのかなぁ、とか。
それもこれも、志の高さゆえに乗り越えられたことだったのかも。
などなど思いを馳せると、ますます中岡慎太郎ってすごい!と実感する。
もしかすると昔はみんなこんな感じで、人々は広範囲に散らばって住んでいて、お互いに距離があるのは当たり前だったのかもしれないけど、ネットもない時代に、足でつながり、あんなド田舎にまで何らかの思想が行き渡るなんて、新鮮に驚いた。
もっと学術的な知識をお持ちの方には、何を今さらな感想言ってんだとか、あるいは「ちょっと間違ってるよ」って言われちゃったりしたら身もフタもないが、この時のこの旅程、「距離」を実地に体感したことで、私の中の中岡慎太郎像がよりリアルになったのを感じられたというのが特筆事項の一つです。
ちなみに、中岡慎太郎の生家跡はちゃんと整備されて残されてました(2012年当時)。周りの風景も含めて、妙に落ち着く場所だった。
次回は、檮原(ゆすはら)の話を。
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