ホテルに帰って。

由紀: 「じゃ、彩愛に何が何だかきちんと説明して頂きましょう。」

 私は文隆に言う。

「ラウンジかどっか、開いているでしょう。」


彩愛: 「勿論。じっくり聞かせてやるわ。」

 何だか、面白くなって来た。


彩愛: 「ホテルのラウンジって、何だか微妙なものね。」

 先程の料理屋さんの設えに比べて、若干趣に欠ける。致し方無いのか、趣味の問題なのか。


文隆: 「余り多くを期待しないで。僕の部屋でお茶でも飲みながら話そうや。」

 私は他人の耳を気にしないで済む自室が良いと思った。


由紀: 「ハーブ・ティーもあるかしら。眠れなくなっちゃうから。」

 もうお酒は十分。本当はコーヒーが飲みたいけど、既にお抹茶お頂いているし、様々な精神的興奮材料もあるから、眠れなくなるのは必至。


文隆: 「部屋に備え付けであったかどうか覚えていないよ。でも、いざとなったらルーム・サーヴィスで取るべ。」

 ハーブ・ティーは良いアイデアだ。私も思った。今後、ティー・バッグになっている物を旅行の荷物に忍ばせようと思う。軽いし嵩張らない。


彩愛: 「ルーム・サーヴィスって、初めて。」

 妙な所で感動する自分が殊の外滑稽だった。

「ホテルの部屋で朝食って、憧れるのよね。」

「私も、ハーブ・ティーが良いな。」


文隆: 「ポットで持って来てくれるのかな?」

 私はエレベーターの中で言った。


彩愛: ふと、思った。

「これ、若しかして私が居たらお邪魔な状況?」

 私は、大人二人にして置いた方が良いのかと真剣に思った。普通に考えれば、私は全く不要な存在だ。


由紀: 「何を言っているの。アンタにお稲荷さんの秘密を教えて貰わなくちゃならないでしょうよ。」

 私は半ば向きになる。


文隆: 私は二人に椅子を進め、私はベッドに腰掛けた。

 彩愛は何かの連絡か、スマートフォンを覗いた。その間、由紀は、テーブルの上に置いてある本に目を向けていた。


由紀: 「これ、面白い?」

 相変わらず、外出時には必ず何らかの本を持ち歩いているのだろう。タブレットに入っている書籍類も、多岐に渡る分野を網羅している筈。そして、この簡単な質問に対しても、素直な感想は返って来ない。


文隆: 「現在の処、前菜を摘んでいるところだから、美味いかどうか未だ確定的な事は言えない。ただ、板場が清潔であるとは言える。腹痛は起こしていないからね。」

 私は料理屋に例えて言った。


由紀: 「普通の人間は、面白いか、面白くないか、若しくは未だ分からないって答えるものなの。」

 私は、昔も同じ様な事を貴方に言ったと、大笑いする。


彩愛: 「影の発見。」

 私は、笑いの後の一瞬の静寂を突いた。

 そして、これからする話しにタイトルを付けてみた。二人は、うんと、揃って小さく頷いた。

「先日ね、電車に乗って居る時に、父親が小さな娘を抱っこして居るのを見たの。窓から午後の光が射して、その親娘の影を床に映していたの。その子は、その影をじっと見ながら自分の手を動かしたり、父親の顔を押しやって自分と離してみたりしていたの。自分の影を発見した瞬間だったと思うの。」

 私は、単にこの発見を誰かに話したかった。文隆は熱心に身を乗り出して聞いていた。ママも、同じ様な表情。

 この二人、デキてる。そう思わせる何かがあった。

私は本題に入る前に、場を温めて置きたかった。その間に、どう話したら二人に伝わるか考えていたのだ。


文隆: 「それは面白いね。僕も見たかったな。自分が影を発見した瞬間なんて、勿論、自分では覚えていない。それに、息子達が何時何処で影を発見したかなんか、知らないしね。どうやって見つけて居たんだろう。きっと、遊びの中で、だろうな。」

 私は、本当に見たかった。考えてみれば、人間は影を当然の物として見て居るが、遡れば、ある日何処かで己の影を発見し、きっと驚いて居た筈なのだ。


由紀: 「手の発見と同じよね。きっと。調べる価値は有るわね。子供の成長は発見の連続。」

 彩愛はいつまで焦らす積もりなのだろうか。何か、特別な意味を有する話しであることは分かるが。


文隆: 「で、そろそろお稲荷さんの話しを、最後まで聞かせてくれないか?」

 ふと、団欒という単語が頭に浮かんだ。そして、独り、照れまくった。


由紀: 「詰まらない下げだったら、タダじゃおかないわよ。」

 私は、楽しく、本当に寛いだ気分だ。

 ここに愛理が居ないのが残念でならない。


彩愛: 「夕方の雷雨で、この話しをする時が来たと思ったの。何故か、あのお稲荷さんに深い縁を感じたのよ。だから。」

理想的な展開だった。他人の耳を意識することもない。

あのお社が、おじいちゃんが願を懸けたお稲荷さんかどうか確証も確信も無い。でも、話して置こうと思った。

「因みに、これから話す事はもう、全て愛理の耳には入れているわ。御心配無き様に。」

 私は、何となくママが妹の不在を気にしている様に見えたから言った。


由紀: 「アンタ、時々、気味悪いわ。」

 苦笑しながら、また、計り知れない娘の力を見せ付けられた様な気になる。


彩愛: 「昔々、おじいちゃんがね、川端和一郎がね、ママが生まれる前に…。」



彩愛: 私は、話し終わると、ママの顔をじっと覗き込んだ。

 彼女は上気して、明らかに興奮していたが、同時に穏やかな微笑みを浮かべていた。


由紀: 「成る程ね。だから家では絶対においなりさんを食べなかったのね。禁忌の料理。だから、お他所で頂くのが嬉しかったわ。」

 確かに、今も自分の父親は大真面目に自分を守ろうとしている。その健気な努力と、圧倒的な覚悟が、可笑しく頼もしい。

 可愛い。愛おしい。


由紀: 「パパは、必死だったのね。」

 言葉が、漏れる。


文隆: 川端和一郎ほどの男も、一度は神頼みをしたのだ。知られざる一面だった。そして、彼もまた、家族を守る為に己の命を張ったのだ。


由紀: 「帰ったら、『コンッ』って言って脅かしてやろうかしら。」

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