第13話 天安門事件が残した課題
天安門事件によって、西側の制裁や保守派が力をもったことで、一時停滞はしたが断固として進めた改革開放、結果GDPはアメリカに次ぐ経済大国になった。鄧小平の執念である。
しかし、経済改革がある地点に達したら、政治改革が必要となるある地点とはいつなのだろう。一国2制度、香港、台湾を入れた統一の問題は残されている。習近平の今も政府の重要課題のスローガンの一つは「腐敗の撲滅」である。共産党の一党支配のもとで、党の腐敗を取り締まる。報道の規制は以前とたいして変わらない。果たしてチェック機能が効くのだろうか。ともすれば、権力闘争の道具として使われていないか。天安門事件の提示した課題は今も、これからも課題として残っていくと思えるのだ。
李鵬は1989年9月に訪中した自民党の伊東正義に対して「死者319人」と云っている(鄧小平秘録)が、到底信用できる数字ではない。2000人とも3000人とも云われているが闇の中である。何より国内的には第2天安門事件は公式的にはないことになっているのである。
中国革命は社会主義を目指した革命であったが、一面では国家統一革命であった。香港、台湾、天安門のあの事件がこの二つの間をより深くしている。一国2制度と云う形を取っているがいつまでもとはいかない。いまだ、統一と云う意味では中国革命は終わっていない。現在の世界状況で台湾を武力で統一できるだろうか。ふたつの海峡に橋を架けるとしたら、天安門の再評価は避けて通れない課題だと思える。
居合わせた学生たちは、兵士の姿をみても、まさか人民解放軍が人民に〈発砲〉するとは思わなかったと述べている。また広場よりも、広場に向かう軍隊を途中で阻止しようとした市民、学生たちの死者の方が多いという意見もある。
「動乱」は「反革命暴乱」とされ、一部反革命集団の悪質な陰謀、果ては西側の干渉、陰謀、CIAの名前までとお決まりの言葉になり、関わった学生たちは逮捕、指導した者の多くは海外に亡命した。
経済大国を達成した今、民主化の道に進むのか、もし民主化を進めるのなら、第二次天安門事件の再評価が問われる。それは共産党の正当性を問われることを意味する。
鄧小平理論は毛沢東思想と並び憲法に規定されている。習近平は2期10年とされた憲法規制を外した。新しい路線は覇権大国を目指す方向にある。一国2制度、香港、台湾を入れた統一の問題は以前残されている。統一が革命の最終地点であったのなら革命いまだならずと云える。
最後に今の中国を建設する過程で鄧小平の功績を認めない人はないであろう。わたしは、毛沢東は建国し、鄧小平は建設し、ふたりを繋いだ周恩来は実務をした。
毛沢東はマルクス・レーニン主義の原理に拘り、鄧小平は、建前は別として、国家建設の前にはそんな主義はさっさと捨ててもいいと考えていたが、自らも加わった建国革命に果たした共産党は揺るぎない存在であるべきと考えた。と思うの
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