第12話 趙紫陽の失脚

翌日趙紫陽は鄧小平抜きの政治局常務委員会を再度開き、戒厳令に対して慎重な対応を図ったが、薄一波の意見で投票となり2(趙と胡啓立):2(李鵬と姚依林)、喬石は白票となって、八元老にすべてを一任することになった。


これによって、趙紫陽の立場は取り上げられたのと同然となった。辞職を申し出るも、楊尚昆に党を分裂させる行為であると反対され、辞表は提出されなかった。


北京ではデモは100万人規模にまで脹れ上がっていった。


5月19日午前4時、趙紫陽は李鵬らと広場を訪れ「われわれは来るのが遅すぎた」と云い、学生たちに健康を守り、ハンストを中止し手遅れにならないうちに広場を離れるように訴えた。私もテレビニュースの画像でこれを観た。


鄧小平はその日の朝、楊尚昆を自宅に電話で呼びこのように感懐を述べた。


「趙が天安門に行って、喋ったのを知っているか?何と言ったか聞いたか?涙を流し、不満顔しよって。党の原則をあざ笑った。だらしがない」


「わが国の経済は近年とみに改善した。庶民には食うものも着るものもある。経済はやはり基礎だ。われわれにその経済的基礎がなかったら農民はひと月どころか、たった10日の学生運動でも造反に立ちあがっただろう。しかし、現実は全国の農村は安定している。労働者も基本的には安定している。これは改革開放の成果だ。経済改革がある地点に達したら、それに伴う政治改革が必要になる。われわれは政治改革に決して反対しているわけではない。しかし、現実を考えねばならない。党内のどれだけの老同志がいまただちにそれを受け入れられるか考える必要がある。人は一口食べただけでは肥え太れない。それほどやさしいことではない。わたしは老いた。人はわたしを『もうろくジジイ』と呼びたければ呼べばいい。ボケていると云いたければ云えばいい。しかし党内の同年代のものにとっては保守的ではなかろう。わたしは権力にしがみついているのだろうか?」


この感懐に鄧小平の姿勢がよく表れていると思う。経済に対しては改革論者であっても政治改革には保守主義者、ふたついっぺんは無理だということである。改革開放の旗手として期待し、抜擢した胡耀邦、趙紫陽を学生運動(ごとき)で失う無念さが滲みでている言葉だとわたしには思われる。改革開放にともすれば否定的な保守派が多い現実の中で苦闘しているのに、それを配慮できない二人を怒っているのだ。改革開放賛成は8元老の中では楊尚昆と彭真の二人ぐらいであり、陳雲、李先捻は経済特区には生涯一歩も足を踏み入れなかったという。


鄧小平は別のところでもこう語っている。


「われわれは建設にいそしみながら混乱に対処する芸当はできない。今日は大デモ、明日は大いに意見を述べ、大いに壁新聞を貼り出すのでは、何かをやる精力は残らないだろう。それが、われわれが広場の学生排除を力説しなければならない由縁である」と。

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