第11話 ゴルバチョフの北京訪問

北京の大学では授業のボイコット、天安門の占拠と運動は過激化し、学生の自治連合組織が模索された。官製の学生会は存在していたが、当局はこの自治組織を違法組織とした。事態の収拾として李鵬政府が党幹部(袁木国務院報道官)と学生たちとの話し合いを持ったとされるが、この官製の学生会であった。出来たばかりの学生自治連合組織は統一した運動方針が提示できず、大学や学生団体の意見はバラバラであった。


しかしこの社説によって、運動方針は一つになった。『動乱規定の撤回』であった。鄧小平は一種の〈おどし〉によって、これ以上の運動の拡大を警告したのかも知れない。しかし、学生側は公式に動乱と決められたまま運動をやめたら、厳しい処罰にさらされると信じた。火に油を注ぐ結果になったのである。


国家安全部の要員が匿名を希望する一学生の交した会話にこう言ったものがある。「学生が新華門に押しかけ請願書を差し出した時、誰かが出て来て代表を中に招じ入れ懇談をするべきだが、実力排除をした。学生が主導権を握り、政府はそれに対応するだけという後手に回っている。政府は学生が行動を取る前に対話の機会を捉えるべきである。学生との対話にあたっては実質的な問題は避けても構わないが、政府は学生の民主への憧れと愛国心は肯定すべきで、その方法とか決定とかは拒否してもいいが、動機の否定はいけない」と語っている。これは運動に参加した学生の最大公約数を表しているように思われる。


しかし、政府首脳部は反党、反政府を考える一部黒幕の指導者に一般学生は踊らされている存在とみなしていた。





4月26日の社説の修正を含め、学生らとの対話路線によって事態を収拾しようとする趙紫陽総書記らの柔軟路線と李鵬総理ら保守派の強硬路線が対立し続ける中、ソ連のゴルバチョフ書記長の訪中という歴史的イベントを迎える日(5月15日)が迫って来た。


出迎えの歓迎式典はこの天安門が使われるのが政府の恒例であった。当局は学生の広場からの度々の立ち退きを要求したが、学生側は世界の目が北京に集まっているこの機会を、政府に最大限の圧力をかける機会と考えた。天安門では学生のハンガーストライキが決定された。ハンガーストライキには、市民は同情を示し、知識層も積極的運動支援を表明し、市民や労働者の姿が天安門で見られようになった。今までは伏せられていた鄧小平批判、八元老支配を批判する過激な表現が登場するようになった。


結局歓迎式典は北京空港で行われ、首脳との会談場所も変更される事態となり、政府の面目は潰された形となった。また趙紫陽がゴルバチョフとの会談で「現在でも重要な案件の決定権は鄧小平氏にある」と発言したことが、〈天安門の混乱の責任を鄧小平に押し付ける意図であった〉と後で問題となる。


事態の収拾を計って、5月17日党政治局常務委員会(趙紫陽・李鵬・喬石・胡啓立・姚依林の5人)が鄧小平邸で会議を行った。参加者は5名のメンバー以外に楊尚昆、薄一波の元老、勿論鄧小平も入った。


李鵬は事態が深刻化した責任を趙紫陽に求めた。ゴルバチョフとの会談発言、学生デモについて「政策の運営上の欠陥を批判しているのであり、社会主義に反対しているものではない」と述べたアジア開発銀行総会での演説を取り上げ、党務委の決定、鄧小平同氏の発言、四・二六社説の精神を無視したものであったとしたのである。


この席で最後に会議を締めくくる形で、鄧小平は断固とした処置、即ち戒厳令を敷き、人民解放軍の投入の提案を行った。これに異議を申し立てた趙紫陽に鄧小平は「少数は多数に服従するものだ!」と一喝した。

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