第9話 胡耀邦総書記の失脚

この事件の2年前の86年12月、安徽省合肥市の中国科学技術大学学生の民主化要求のデモは南京、上海、北京と広がった。天安門でも学生デモが行われた。学生に一定の理解を示した胡耀邦の対応が問題とされ、総書記の職が解任(中央委員には留まった)された。保守派の巻き返しと、反ブルジョア自由化(民主化)運動に消極的だったことが鄧小平の怒りを買ったのである。胡耀邦は鄧小平が後継として抜擢した改革開放の旗手であったが、政治改革を巡って見解の相違が双方に存在したのである。


鄧小平の基本的な考え方は、事件のあった2月末のブッシュ大統領訪中時との会談で話した一節がよく現している。改革開放を断固やり抜くとして、


「中国の問題において、一切全てを圧倒して必要としているものは安定である。中国は必ず改革開放を堅持しなければならない。しかし、改革をやるためには政治環境の安定が絶対に必要である。総体的に言って、中国人民は改革政策を支持しており、絶対多数の学生は安定を支持している。彼らは国家の安定を離れては改革開放を語ることはできないことを知っているからである」


「中国は特に今は経済発展に注意力を集中させなければならない。形式上の民主を追求したら、結果的に民主は実現できず、経済的発展もまた得られず、国家の混乱を招く。私は『文化大革命』のひどい結果をこの目で見てきた。中国では人が多いから、もし今日デモをやり、明日デモをやることにしたら、365日毎日デモをやることになり、経済建設などできなくなってしまう。もし我々が現在10億人で複数政党制の選挙をやったら、必ず『文化大革命』の『全面内戦』のような混乱した局面が出現するだろう。民主は我々の目標だが、国家の安定は絶対に保持しなければならない。」


毛沢東についてもこう語っている


「毛沢東同志の歴史と思想についても適切な評価を行ってきた。毛沢東同志の晩年の誤りに対する批判については過度に行ってはならず、常軌を逸してはならない。なぜならばこのような偉大な歴史上の人物を否定してしまっては、我が国国家の重要な歴史を否定しまうことを意味し、思想の混乱を招き、政治的不安定をもたらすからである」


胡耀邦の解任には賛成した、趙紫陽は死後の(趙紫陽秘録)の中で、


「わたしは、経済改革には開放論者、政治改革には保守派だと思っていたが、経済の改革開放を進めていく責任者になると、政治改革の必要を感じるようになった」と語っている。


鄧小平は、改革開放路線が「ブルジョア自由化」に繋がらないかを危険視する保守派の勢力も強く、鄧小平は胡耀邦、趙紫陽などの改革派とのバランスを巧みにとりながら、政局の安定に努めたとされるが、政治改革に対しては保守派と同じ立場であった。民主化を求める学生運動については、むしろ保守派以上に〈断固として強硬〉派であったと云える。そのことを胡耀邦や趙紫陽が見誤ったと思える。

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