第7話 天安門事件で見る中国 1

天安門事件と云われるものに、二つある。1986年に起きた六四天安門事件(第二次天安門事件)と、1976年に起きた四五天安門事件(第一次天安門事件)とである。四五では周恩来総理の追悼を、六四では学生運動に理解を示した前胡耀邦総書記の追悼をきっかけにして起きた。


1971年の林彪失脚以降、文化大革命の行き過ぎを是正すべく、毛沢東も周恩来(癌との闘病で後継を必要とした)の意見を取り入れ、追放されていた鄧小平の復権(副総理)に応じた。江青ら文革の強硬派「四人組」と、整った工業体系と国民経済体系を完成させ「4つの現代化」を進めようとする周恩来、鄧小平ら実務派との間に権力対立が起きていた。そんな矢先の周の死であった。


4人組の働きかけによって、中央政府(華国鋒総理代行)は公的葬式以外の一切の私的な追悼会のような集会を禁止した。これに反発した民衆は死者を弔う清明節(4月5日)に天安門にある人民英雄記念碑に花輪を捧げた。北京市当局に撤去されたことに激昂した民衆と取り締まり当局との間で激突が起きた。これは反革命動乱とされ、鄧小平は4人組にこのデモの首謀者と指弾され再び失脚、全ての職務を剥奪された。


同年10月、毛沢東が死亡し、後ろ盾を失った「四人組」は逮捕された。この後の鄧小平が復活する過程で,「四人組」がこの事件を政治的に利用し,鄧小平の失脚をはかったとされ、この天安門事件は「偉大な大衆運動」として名誉回復された。この四五天安門事件は、次の六四天安門事件の伏線になっていく。

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